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うまく作られた映画だと思う。それ故に気持ち悪さも際立つ。子供産めないから欲しくて子持ちと結婚して、子供と離れたくないから実父から奪って、病気だから子供の前から姿を消す。人のためという名の自分のため。そのエゴを批判せず、娘が立派に育ったから結果オーライって。結婚出産家族という価値観にも何かあるようで何もない。これが137分もかけて語る2021年の物語なのか。世界競争力ゼロ。より泣かせるための脚色演出。自分にこんな仕事が来たらどうしよう。来ないけど。
『世界ふれあい街歩き』とか『世界の車窓から』とかテレビと見紛う作り。飛行機の機内誌に書かれているようなナレーションが延々と。そこに新しい視点も切り口も批評性もない。何のために作ったの? 動くガイドブック? 仕事だから最後まで観たけど、映画館なら途中で出てる。いや、そもそも観に行かない。映画を作るならちゃんと映画を作って欲しい。配給宣伝、これをいいと思って売っているのか。映画館が可哀想。もう何年も底が抜けたと思ってきたが、底なし沼の底はなお暗く深い。
売れるとか売れないとか、ウケるとかウケないとか、分かるとか分からないとか、そんなことを考えず、ただ表現せざるを得ない衝動を表現する。それこそが表現において一番大切だと教えてくれるそんな映画。今井次郎をはじめ、本作に出てくるアーティストを誰も知らなかった。恥ずかしい。親の金で好き放題生きてきた感じ。自分と同じだと思う。なのにこの差。全映画人、爪の垢を煎じて飲め。僕も。入院中に病院食で作った作品群。食べたら消える死への暗喩。生ある限り表現。泣けた。
正直に書きます。退屈でした。類型的で陳腐で何の魅力もないキャラとストーリー。老後の資金がないという恐怖は家庭内から出ることなく、ついぞ社会を射程に入れることはない。結論の「我儘に生きろ」も結局はお金がなければ出来ないこと。社会問題の最前線をやりながら、現実は描かない。コメディは免罪符ではないはず。問題の本質を避けるから映画の資金が集まるのか。テレビで出来る話を映画でやらないで。こうやって毒にも薬にもならない映画とそれを撮る監督だけが増えていく。
2つの家族の物語が並行して語られ、やがてそれがつながる。だけどどうもしっくりとかみ合わない。アクロバティックな作劇の支点であり、2つの物語を結びつける要となる石原さとみ演じる母親のキャラクターにリアリティーがないからだ。現実味のなさの理由は実は物語上ちゃんとあって、それが最後に明らかになるのだが、そのあまりに紋切り型の決着にも啞然とする。語り方というより、やはりキャラクターの造型の問題で、そこが小説と違って具体的な事物で語る映画の難しさ。
早朝と夜の町に人々の営みが表れるというのは本当にそうだし、いい旅だなあ、とうらやましく思う。サンフランシスコやスリランカや台湾の朝食も実にうまそうだ。でも、これって『名曲アルバム』や『世界の車窓から』とどう違うの? 映画館で80分も強制的にスクリーンに向き合わせて何を伝えたいの? 「不安と寂しさを愛してみる」とか「自分をリセットする」とか、気持ちはわかるけれど、そういうあなたは何者なの? 自分をさらけ出さない人の独白に付き合うのはつらい。
魅力的な人物が映っていればそれだけで十分というドキュメンタリーがあるけれど、この映画はまさにそう。今井次郎という存在とそのオブジェやパフォーマンスを見ているだけで飽きない。人物と作品の力をよく知る監督と製作者が素材を存分に生かし、余計な味付け(意味づけ)をしない。仲間のアーティストたちがそれぞれの言葉で今井の魅力を語るが、今井本人の自己言及は一切なし。ただただあふれ出る創造力だけが映っている。がん病棟の病院食で作ったミールアートの力強さよ。
来月で定年を迎える筆者にとっては切実なタイトルでちょっと期待していたのだが、がっくり。この映画に出てくる人たちはちっとも困っていない。中産階級の没落という深刻な問題から、しれっと目をそらしている。そんな心配より目の前の人を大切にしなさいというのは、厳しい現実をやり過ごすにはいいのだろうが、麻薬みたいな思想だ。為政者にとって都合がいい愚民政策の極みではないか。そんな生ぬるい雰囲気に風穴をあける草笛光子の荒唐無稽な怪演に星一つおまけ。
映画化にあたり、ミステリー的な仕掛けも施されてはいるが、後の答え合わせも楽しめるよう情報量豊かに撮られているため、ある程度読める展開ではある。そんな構成上の微妙な塩梅も踏まえ、複雑な背景を繊細に忍ばせる俳優陣の巧演に、想像が膨らみ見方が広がるのも、映画ならではの醍醐味。性善説ばりの好人物ばかり登場するが、胸が塞がる事件も後を絶たぬご時世ゆえ、ひとつひとつの出逢いを大切に、心から信頼できる相手にバトンを渡すことの意義を、つくづく痛感させられる。
何かと悪者にされている“夜の街”の、世界各地のありふれた日常を見つめているだけで、目頭が熱くなる。ひとり旅や街歩きのすすめ的な側面ももつ作品と理解しつつ、ほぼ全篇、語られっぱなしのエッセイ風の朗読が、自我を抑制した耳なじみのよい小林賢太郎の声をもってしても、作り手の間だけで自己完結しているかのような印象を与えてしまう瞬間がある。映像や写真から自然とにじみ出てくる、異国情緒や旅行気分も味わってみたかっただけに、ちょっと残念に思った。
演劇集団〈時々自動〉での活動に加え、卑近な素材のオブジェ制作やパフォーマンス、元たまの石川浩司とのユニットなど幅広い音楽活動も展開した、今井次郎氏の生涯の濃密さは存分に伝わる。ただ、彼を慕う証言者やスタッフの思い入れの深さゆえに、その型破りな軌跡に観客個々が思いをめぐらす余地のようなものまで締め出されてしまった感も。病院食や薬袋などを愛らしく駆使した、今井氏晩年の自己表現を淡々と映し出す終盤、やっと“芸術家”の真価の一端に触れられた気がした。
生きるにも死ぬにも何かとかかる金に振り回される人びとを、厄介な見栄やプライド、嫉妬も絡め、温かなまなざしで見守る。ただでさえ多彩かつ芸達者な面々がバトルを繰り広げるうえに、スローモーションやボウリングのイメージショットなども多用され、コメディとしては少々過剰で上滑り気味にも映るのが難。とはいえ、いい意味で生活苦の見えない天海祐希の潑剌さ、さらなる引き出しを披露する草笛光子(=老後の希望の星)を敬愛する現場の団結力も相まって、観賞後感は爽快。