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この映画は一切の情報なく見るのがいい。30分程度でコンセプトが完全に理解されると、そのあたりで原題「ファットマン」と発音される仕掛け。原題はサンタさんのこと。それにしてもファミリー・ムーヴィー極悪版という前提が凄い。つまりお子様向きじゃない聖夜企画。善人がガンガン射殺され、悪には最後まで反省心もなし。軍事産業で成り立っている国家ならではの一部設定に疑問を呈する方もあろう。他人のクリスマスプレゼントを蒐集する殺し屋、という説話的細部に痺れる。
地味だがこれは相当のもん。突然聴覚障碍者になってしまったドラマーの悪あがきを描く。詳細は書けないものの、このオープン・エンディング感覚が鋭い。この時、彼は果たして何かを取り戻したのか、あるいは逆になくしたのか。そこから批評が始まるといった手触り。主人公が手指にラヴ&ヘイトのタトゥを入れているのは「狩人の夜」由来かどうかは分からない。偶然かな。障碍者も楽しめるように字幕にも工夫が。タイトルはキンキンした金属音の意味でありメタルロックではない。
見応え満点、ルーマニアの医療体制告発映画。出来がいいのでかえって書くことがない。星取的には最適。さすがに日本の病院はここまで酷くはないだろう。今さらだがルーマニアというのはかつて独裁大統領の腐敗政治で有名だった国。すべては歪んだ冷戦体制の余波である。面白いのは、こういう時にはちゃんと亡霊のように共産主義陣営から御用ジャーナリストが現れ、不正を正そうとするリベラルを潰すことか。一日も早くこの世界から誤った思想政治社会がなくなることを祈る。
本気で褒める人は少ないにしても貶して終わりじゃもったいない。★を足す。園の妄想カタログに放射能が加わったのは例の原発事故以後だが、ここでも、進むのを阻止された大時計という細部やニック・カサヴェテスの異様な顔貌にそれが突出する。前者はどこか劇団維新派って雰囲気だがとりあえず無関係か。監督の抒情詩人的気質の炸裂をハリウッド的規模で堪能できるのは眼福である。ニコラス・ケイジのタマは英語でもボールだと知ったのはちょっとお得な豆知識。主演女優が色っぽい。
成功しているのは、何をしても死ななそうな剛健なメル・ギブソンとかつてのジャック・ニコルソンを彷彿とさせるサイコなウォルトン・ゴギンズのキャスティングくらいで、凡庸なショットが延々と続いた後に呆気なく終わってしまう。物語を駆動させるために性根の悪い子供を中心に据えておきながら、暴力による恐怖支配が循環していくだけかのような結末はブラックジョークの体もなしておらずただ後味が悪い。妻役に黒人女性をあてているのは、ギブソンのレイシズムを踏まえてなのか。
聴覚の喪失を音楽映画の枠組みにおいてカタルシスの一要素として動員するような作品なのかと疑っていたら、別の次元へと連れていかれた。本作にも出演するマチュー・アマルリックが主演した「潜水服は蝶の夢を見る」と同じく、当事者の世界の〝感じられ方〟を追体験させる手法はともすれば作り手の独善になりかねないが、その辺りの匙加減が絶妙なのだ。音を持たずして開始されるエンドロールの在り様が主人公の人生と見事に呼応しており、観客にその先までをも想像させる。
第一部から第二部へより内部へと迫っていく構成で描かれるルーマニアにおける政治と医療の汚職問題は、コロナ禍以降ますます国民の社会的不安を高め続ける現政権に疲弊する日本にとっても決して対岸の火事ではない。映し出されるのは完全無欠の正義者ではなく、権力の前に心を挫かれもする生身の人間たちだ。火災事故で手指を失った女性生存者は自身をアートに昇華させているが、何度も画面に現れる彼女の存在はこの映画をより高次元に押し上げているようにも見え、とりわけ忘れ難い。
ニコラス・ケイジを迎えた本作も、相変わらず園子温的な悪趣味で毒々しい世界観に満ち満ちている。過去作でいえば最も想起されたのが「TOKYO TRIBE」あたりであり、底層に流れる主題系としては「ヒミズ」や「希望の国」とも結びつくだろう。しかし、その時代までのほとばしるような園子温作品と比べると、どうしてもエネルギーの減退が垣間見えてしまい、空虚感が否めない。園子温のハリウッドデビュー作としては、やや低迷な幕開けになったのでは。
てっきり「ホーム・アローン」のようなものを想像していたら、ペイバック・ノワールの快作であった。万人にとっての善と思われる行為が万人ではなくあくまで多数の幸福を生む行為にすぎず、そこに含まれなかったものたちのルサンチマンは時にテロリズムとして噴出するという現代の宿痾。アメリカ軍に手を貸すことでどうにか糊口をしのいでいるしょぼくれたサンタクロースがそれを全身で受け止める。それにしてもメル・ギブソンが出演している最近のインディーズ映画は傑作揃いだ。
とかく人間は視覚に頼って生きている。それはわれわれが視覚以外の五感を意識する時間が一日のうちにどれくらいあるかを考えてみればわかるだろう。ゆえに本来は映像と音像が一対一の重みを持つはずの映画芸術も映像表現と呼ばれることこそあれ、音像表現と呼ばれることはない。だが本作の音像は決して映像に屈することがない。それどころか映像と拮抗・凌駕し、映画とわれわれの身体が持つまったく新しい可能性に気づかせてくれる。耳と皮膚で見る映画。劇場の中心で必聴。
いやはや凄まじい。タイトル前の衝撃映像に度肝を抜かれ、それにつづく決まりに決まった演出やカメラ・ポジションを見ていると、いよいよ虚実の境目があいまいになってくる。だが、そこにこそ生半可な想像力や問題意識では太刀打ち出来ないルーマニアの現実が潜んでいる。中盤で主人公が切り替わるのは本作の賭け金であっただろう。そしてそれが映画的駆動力を高めていることもたしかなのだが、一方で構成を散漫にしていて、映画の難しさを憂う。願わくば倍の尺で観たい。続篇希望。
ニコラス・ケイジのムダ使い。園子温がこの10年間、俳優のクリティカルな瞬間をすくいあげるという天才を捨てて、何ら特筆すべきことのない安っぽい映像センスと幼稚極まりなく下卑た悪ノリの汚泥によってスクリーンを汚し、来る日も来る日も己を省みることなく劣化し続けていたということはたまにしか氏の作品を見ない筆者もうすうす気づいてはいたが、事ここに至る。まったくもって言語道断の105分間であり、作品レベルでも倫理レベルでもこれより醜悪な代物はなかなかない。