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「ファウンドフッテージもの」的なスマホ縦型画面の導入部から、「ミッドサマー」や「犬鳴村」のヒットでにわかに活気づいている「ウィッカーマン」系「村ホラー」へと突入。と思いきや、そこからの展開に驚きの仕掛けが。監督のフィルモグラフィーからも明らかなように、さほどホラーというジャンルに思い入れがないからこそなし得たトリッキーな一篇なのだろうが、だとしても村人たちのキャラクターの作り込みがユルすぎて緊張感が皆無。メインの若者たちの生態や所作はリアルなのに。
本作に限った話ではないが、まともな振り付けを施した形跡がなく、役者が台詞を歌っているだけの「ミュージカル風映画」は、ミュージカル映画の本質からほど遠いのはもちろんのこと、そもそも本質を履き違えているという点において「なんちゃって」ですらなく、自分には受け入れ難い。また、本作は主役を演じた少女の「アイドル映画」でもあるようだが、仕事で日本の芸能界にも少なからずコミットしてきた立場からの視点として、最後まで彼女にアイドル性を見いだせなかった。
離婚した父に連れられて田舎に引っ越してきた主人公。東京から赴任してきた女性担任教師。突然のUFO話。え? これってもしかして『北の国から』の変奏? 柳葉敏郎も出てるし。と、中盤から俄然前のめりになるも、作り手の生真面目さは、ミステリーサークルでさえも物語の内側で律儀に回収してみせる。ドローン撮影を必要以上に多用しているのは興醒めだったが、初監督作であることをふまえると、やりたいことをほぼ100%やりきれている稀有なケースなのではないか。
もし有村架純が介護福祉の現場取材をしていたら、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』放送時の騒動の後日談という別の意義も立ち上がったわけだが、そんな気の利いた切り口もなく、コロナ禍の限られた条件と人気俳優2人の空白となったスケジュールから捻出された限られた素材が、ただ漫然と並べられているだけ。取材対象をエッセンシャルワーカーだけにすればもう少し焦点は絞られたとは思うが、いずれにせよ作り手の力不足は明らか。「映画」である理由がない。
怖くもなければ痛くもない賑々しいスプラッタホラーで、なにやら肩透かし。阪元監督作品といえば、今年公開の「ある用務員」や「ベイビーわるきゅーれ」には、設定やキャラには遊びがあったが、ハードなバイオレンス演出は本気だった。それが本作では殺し合いごっこでもしているようで、過激なわりに格好だけ、まるでうちうちでじゃれあっているかのよう。奇っ怪な風習のある山村に迷い込んだ8人の若者たちが、村人たちから皆殺しにというのだが、凶器も仕掛けもふざけすぎ。
映画2作分のタイトルで、時間は1作分の半分以下の39分。しかもガランとしたキャンプ場が舞台で、主人公の少女は自分の思いを歌にする。離婚を決めた両親との最後の旅で、でも少女は離婚に大反対。そんな少女のちょっと危なっかしい行動を、ミュージカル仕立てで描いていくのだが、ひと夏のエピソードとしてもどうもふわふわして摑みどころがない。何より歌も歌詞も単調で、演じている櫻井佑音はそれなりに達者だが、歌で作品が膨らむわけでもない。プロによる実験映画的な趣。
なぜか以前に何度か観たことがあるような気がした。孤独な転校生男子も、屋根に上る不登校の女子も、背景や設定は違っても、思春期映画の常連キャラに近いからだろう。むろん、本作が映画第一作という成田監督は、秋田を舞台に、いま撮るべき作品として、周囲に馴染まない少年少女を選び、そんな彼らに謎の光線とミステリーサークルを用意して、背中を押すのだか、私的には廃校となる中学校のエピソードをもう少し描いてほしかった。嫌な大人が一人も出てこないのは気持ちいい。
俳優二人の、いささか及び腰のインタビュー(特に有村架純)は決して悪くないが、ここ一年半、コロナ禍で以前と同じには働けなくなった人々の話は、新聞やテレビで連日のように報道されていて、そういう意味ではこのドキュメンタリー、格別な情報があるわけではない。夜の街新宿で働く風俗関係の人々の話にしても。取材相手の多くは、人と直接関わる仕事をしている人たちで、顔を出して質問に答えるその姿は、仕事は何であれ、みな普通の生活者。二人が自分を語る場面はちと甘い。
先頃公開された同監督の「ベイビーわるきゅーれ」より個人的にはこちらのほうが好きかも。ブチ殺す・おっ死ぬ、で、終わりっ! という映画の系譜(「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」「忠烈図」など)にまた一本。本作に比べれば「発狂する唇」(00年、監督佐々木浩久、脚本高橋洋)はまだ上品すぎ、優雅すぎたかもしれない。どうなるか読めず、斜め上に抜けていく、その角度と速度を愛する。なるだけ観る人には予備知識なしに観て驚いてもらいたいので、下手な説明書けず悩む。
櫻井佑音さんが良い。小沼勝「NAGISA」的なことをいまおか氏がやった。ここ数年ハンス・ジマーよりも宇波拓音楽の映画を多く観、聴かされているがそれは愉快なことだ。劇中のミュージカル曲が妙にレトロと思ったがそれゆえに滑らかに終盤の〈黄昏のビギン〉を呼び込み、〈黄昏のビギン〉の歌詞にはそこはかとなく大人の恋愛、性愛が織り込まれており、そこから11歳女子の恋そのものに恋する思いはシームレスにいまおかピンキー世界につながる。映画作家とは一貫してしまう業。
未確認飛行物体と撮影するカメラと神の三位一体。本作においてすべての登場人物が憂いを抱え、悩み、しばしば互いに諍い憎みあうが、UFOを目撃すると少し解放される。何も解決していないが。本作のドローン撮影の画のいくつかはUFOから人々を見る目線。監督は本作の撮影自体をひとときの仮の神として人々の心を集め、慰撫、解放を生み出そうとした。その賭けの重みは認めたい。中川翼と長澤樹が見交わす場面は強く、屋根の上の民謡、絞めた鶏の血抜きには文化が映っていた。
有村架純氏は、働く、生活する芝居が良く、自身もその階級に属する労働者階級のマドンナ、と思っていたので、このドキュメンタリーと本来撮られるはずの劇映画にも適役、と思ったのも束の間、観てると途中から、本作の構造と、被写体となった市井の人々の存在感によって、有村氏と志尊淳氏はペラッペラにされる。コロナ禍直撃の歌舞伎町ホスト社長、ママさん風俗嬢らの話の後にはもう二人の話が入ってこない。空疎で。だが、そこからどうする?ともなる。意義ある優れた企画だ。