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原作を群像劇に脚色したのは正解だったろうか。結果、誰にも感情移入できず、最近の瀬々作品と同じく平均点のチョイ上いく出来に。震災が映画感を出すための道具にしか見えない。震災のエンタメ消費。生活保護問題、本当の敵は国家でしょ。それでもやらないよりやった方がいいのか。声を上げろと犯人はアジるが、映画を観た人は衆院選で誰に入れるのだろう。震災で大切な人を護れなかった人はこの映画をどう観るのだろう。「雷魚」の頃の瀬々さんは今の瀬々さんをどう見るのだろう。
これは果たして映画だろうか? 1年以上もアマゾン先住民に密着しなければ撮れないものの凄さに痺れつつ、その問いが捨てられない。ドキュメンタリーの場合、撮影対象が面白ければ、知らないことも知れるし満足感もある。しかしテレビのドキュメンタリーの映画版が闊歩する今、テレビと映画の線引きはどこにあるのか。ストイックな本作が映画でしか存在しえないのはよく分かる。夢や幻覚という寓話性もある。しかし映画として何かが足りない気がする。それが何か分からない。→
→その点、こちらは明快だ。『情熱大陸』と見紛う作り。いや情熱の方が数百倍上手い。何がやりたいか分からない。家族話いらないし。普通は一点突破全面展開で、ラーメンを描くことで食の在り方やひいては世界を描こうとするのでは。その点、「カナルタ」とは天と地だ。同列に語っては申し訳ない。でも映画なのかという問いは変わらない。映画とは何か。それは自分に向けた問いでもある。しかし観終わってラーメン食べたくならないラーメン映画って、ある意味スゴい。映画は難しい。
斎藤さんの持ち味のヒリヒリ感が意外な程希薄なので理由を考える。結婚して子供ができた監督と脚本家夫婦が、子供が生まれるのに自殺未遂する自己中夫とラストにようやく家を出る妻を描く。原作にない夫婦話。これはパラレルな自分たちなのか。だから切実さが見えないのか。その分見易いから、今後の監督人生にはプラスなのかな。斎藤夫婦が何をやりたかったのか考えているうちに映画が終わってしまった。別れの肯定? ならば少年切って、夫婦をもっと描くべきでは。この奥が見たい。
瀬々敬久作品の中でおそらく最も社会派的なミステリー。生活保護の支給にあたる福祉事務所職員の連続殺人事件から、東日本大震災後の貧困問題に迫る。途中であらかた察しがつく犯人探しよりも、被害者である福祉事務所職員の非常時でのもう一つの顔が明らかになっていく過程にスリルがある。普段は善良な市民が、極限状況の中で組織の歯車として人間性を擦り減らす。そこに今の日本社会の実相が映る。瀬々の力技に敬意を表したいが、ちょっと材料を盛り込みすぎで、せわしない。
エクアドル南部のアマゾンの熱帯雨林で暮らす先住民の自給自足の生活を撮ったドキュメンタリー。太田光海監督は、薬草を採集する主人公らと密接な関係を構築し、口嚙み酒の作り方、火のたき方、身の守り方など森の生活の知恵を学び、ひいては彼らの精神世界にまで迫っていく。映像人類学の手法にのっとったアプローチであろうが、そこからはみ出すような詩情が緑濃い密林からそこはかとなく漂ってくる。あたかもジャングルに迷い込んだような錯覚を起こさせる不思議な力がある。
ニューヨークのラーメン店のカリスマシェフ中村栄利と、その兄でチェーン店を展開する中村比呂人。2人の活躍を軸に世界的なラーメンブームの内実に迫るドキュメンタリー。海外のラーメン好きや有名レストランのシェフらが証言する前半は、クールジャパン信奉者が泣いて喜びそうなラーメン讃歌のオンパレード。後半は一転して、天才肌の弟と経営者気質の兄の対立、決別、和解という家族の物語。始終しゃべっているインタビュー中心の構成で、どんなラーメンなのかはよく見えない。
心を病んで故郷に戻った夫、慣れない土地で夫を理解しようと努める妻。闇へと降りてゆく夫、支えるのに疲れてしまった妻。斎藤久志は、佐藤泰志の原作には出てこない主人公の妻を登場させ、こわれゆく夫婦の情景を繊細に描き出した。周囲の世界になじめない孤独な2人がいとおしいのは、はみ出し者の人生への穏やかな肯定感が画面に満ちているからだ。斎藤は佐藤の世界を自身の世界と重ねあわせて、鮮やかに具現した。東出に存在感がある。売れっ子の奈緒もこの作品が一番よい。
前号をもって終了となりました