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尺はもう少し刈り込めたはずだが、深刻で重厚な主題をストレートに提示するのではなく、コメディタッチの演出が中心となる序盤から次第に各人物が直面する切実な状況を強調する方向に舵を切っていく流れは非常に巧み。また、展開にメリハリをつけることに加えて、ユーモアや軽みの要素が劇中でウィシクが何としても守ろうとした平等や民主主義の価値観とリンクさせられている点も見逃せない。悪役や主人公の部下たちも含め、すみずみまでイイ顔を揃えた俳優陣もそれぞれに魅力的。
すでに何度も映画化されている実在の人物を従来以上に史実に忠実かつ現代的に再創造しようとする方向性は買いたいが、同じオレゴン・トレイルを舞台とした「ミークス・カットオフ」などと比べると、やや単純で優等生的すぎる印象。人物のアクションに関連するアニメ表現にはそこまで惹かれるものはなかった一方で、ナビ派やフォービズムの色調を踏まえたという、高畑勲の後期監督作あたりを想起させる、写実とは異なる鮮やかな色彩で塗り分けられた風景の美しさには目を奪われた。
見慣れないタイプの絵柄に序盤は違和感を抱くも、徐々に気にならなくなった。ボディポジティブが盛んに叫ばれるようになったとはいえ消滅するはずもないルッキズムを反映した、整形や醜形恐怖症をめぐる物語を限界まで露悪的に描くにあたっては、実写よりもはるかにアニメという形式が相応しかったのは間違いないだろう。突拍子もない展開の連続には退屈しなかったが、ツッコミ所の多さを力業でねじ伏せる作風のせいか、どちらかというとコメディ的に見えてしまう部分も。
サイモンは序盤に傍若無人な発言や振る舞いを繰り返すが、田舎の因習的な社会や家族といった制度に中指を突き立て続ける彼の姿勢と、その後パティやその弟に見せる優しさは全く矛盾するものではない。一見正反対なようでいて、まともさを押しつける規範にどうしても従えない不器用さと純粋さを共有するサイモンと出会ったことで、パンクスとして少しずつ目覚めていくパティの表情の変化が感動的。おそらく本作を最後まで観れば誰もが二人をとにかく愛さずにはいられないはず。傑作!
独裁政権の手段を選ばぬクズっぷりに反して民主化を進める党首側の人間味あふれる温かさの極端な対比はわかりやすすぎるが、社会派ドラマをエンタメとして楽しませようという心意気はとても好き。ただ「若くて純真で父親思いの美人な娘」を無惨にも犠牲にすることで主人公が心を入れ替えるためのトリガーとして機能させたり、見ることと聞くことに特化された極めて映画的な「張り込み」を映画の中心に据えながら、その描写に新しさを感じさせてくれなかったところなどが悔やまれる。
西部開拓時代のガンマン、カラミティ・ジェーンの幼少期を描く本作は、予想に反して彼女が一発も発砲しないのがまず良い。また「女性らしさ」を求められる時代にあって、ジェーンは髪を切り、スカートを脱ぎズボンを履く。しかしその行為は男装ではない。つまり男社会へと参入し、そのなかで優秀であることとは根本的に違うのだ。あくまで荒野を動き回るうえで最適な格好をしているだけであるという本作の身なりの変遷は、性を一つのテーマとしている映画の演出として大変好ましい。
美しさに囚われて破滅へと突き進んでしまう人々の話は特段目新しさはない。また、美しい肉を文字通り我が身のものとしてコレクションするクライマックスはかなり奇妙なものだが、あくまでその奇妙さは表面的な表現の問題で、美しさに執着してしまう人間の狂気に対する恐怖や畏怖を感じることなく、むしろ笑ってしまった。美への欲望とはなにか、別人の人生を歩むとは何かという問いを、限りなく表層的に描く、この映画それ自体のあり方こそが現代的だとも言えなくはないが……。
日常の娯楽といえばダイナーで食事をするかゲームセンターで散財するしかない、見事なまでの退屈で平凡な田舎町で展開される変わり者同士のこのラブストーリーは、最終的な目的地が一向にわからず、その道行を見守るのはかなり辛い。彼らは一体なにを目指しているのか。目指すものがないことの絶望を語っているわけでもなさそうだ。ここではないどこかへ向かうこともせず、かといってこの場に蔓延るしがらみに向き合うこともなく生まれたパンクソングは誰の胸に響くのだろうか。
懐かしい手触り。二十年近く前、韓国ノワールに「洗練」という枕詞が付く遙か前に量産されていた、笑いも涙も感動もミソもクソも全部まとめて煮詰めたような、泥臭くも深く濃い、煮凝り風味の韓国映画のにおいがした。#MeToo運動で性犯罪疑惑が浮上したオ・ダルスが、金大中を彷彿とさせる人物を演じ、二年ぶりの復帰を果たした本作。彼の抑揚の効いた演技と、対するチョン・ウの熱血ぶりの塩梅も程よく、個人的には同監督の大ヒット作「7番房の奇跡」より、むしろしっくり来た。
氷に囲まれた北極を舞台にした前作「ロング・ウェイ・ノース」同様、レミ・シャイエ監督が独特のマットな色彩の内に描く、性別の壁を越えた一人の少女の過酷なる冒険譚。善とも悪とも単純には判別つかない曲者が次々現れ、主人公の旅をややこしくするのも前作同様。だが、カラミティ・ジェーンの子供時代を描く本作は、活劇の魅力が格段にアップ。清々しいカタルシスの中迎えるエンディング、そこで流れる主題歌に震えた。荒野を駆ける馬、夕日、満天の星――大自然の描写も美しい。
主人公もごく平凡、至って簡素な脱力系タッチの原作(ウェブ漫画)を基に、通販番組が象徴する芸能界の片隅に舞台を移して独自性とインパクトのある作画で劇場版アニメへと六年越しで創り上げた制作陣の熱意にまず拍手を。極端なまでのルッキズム、整形も枕営業も強要されうる芸能界の闇、ネットの書き込みの痛烈さや過剰とも言える家族愛など、原作以上に韓国社会のリアルを切り取っていて、特に序盤は興味を掻き立てられた。人物像など根幹をなす部分にもう一段深みがあれば……。
片田舎の掃き溜めのような路地裏で出会った、自称「負け犬」と「負け犬」。ダメ人間meetsダメ人間。だが、ダメを掛け合わせたその先で、ゲロだのクソだの放送禁止用語だの、あらゆる汚泥をべちょっと集めて篩にかけたら、残ったものはごく小さい、けれどとびきり純度の高い一粒の結晶だった……。「バッファロー66’」の地獄の実家を思わせる〝アメリカの晩餐〟の居た堪れなさと、そこから解放される二人の夢の遊戯場と、サイモンの澄んだ涙に、恋というより同士の無二の愛を見た!