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恥ずかしながらまるで知らなかったマルセル・マルソーのパントマイム以外の活動について学べたという点では有意義な作品だったが、肝心のパントマイムと絡んだ場面がことごとく冴えない。ラストへの伏線という狙いはわかるものの、観客の笑い声を過剰に強調するTVのお笑い番組のように、マルセルの動きを見て笑う人々の顔を捉えたショットがたびたび挿入される演出からは、演者の身体も観客の眼も信じきることができなかった作り手側の用心や不安が透けて見えるように感じた。
大胆な転身に伴う苦労や父親との確執がほとんど描かれないからか、やや盛り上がりに欠ける後半の展開には拍子抜けするも、コメディとして割り切って捉えてしまえば特に気にならない。設定上重要な主人公親子や女性たちが身に纏うスーツとドレスのデザインは、端役である父親の友人たちが着るカラフルなスーツに至るまでいずれも説得力十分。どこかジャック・タチを思わせるとぼけた魅力に溢れた、ディミトリス・イメロス演じる寡黙な主人公の表情や身振りがなかなかに楽しい一本。
命がけの過酷な国外逃亡の道行きは、しかしスリルやサスペンスに満ちてもいる。そもそも自らの映画制作を契機として祖国を追われることとなった監督は、悲惨な現実のドキュメントと虚構的な魅力の間で揺れる自らの心情を素直に吐露しつつ、膨大な素材を面白く「も」観られる形に再構成した。なかでも娘がスマホでマイケル・ジャクソン〈ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス〉の動画を再生しながら踊る場面は、幾重にも重なる象徴性が圧巻。タリバンが再び政権を掌握した今こそ必見。
執筆現在のカブール空港の混乱とも似たサラエヴォの極限状態における、ある程度は国連のお役所対応が招いたとも言える惨劇をつぶさに追った本作は、個でも組織でもなく両者の関係にこそ焦点を当てることで、いわゆる人道的介入の限界をまざまざと観客に突きつける。自分勝手な人間ではないはずの元教師アイダは、なぜエゴをむき出しにして近親者を救おうとしたのか。当事者を純粋な被害者として描かないアプローチが、かえって問題の根深さを浮き彫りにすることに寄与している。
神経質な顔つきと饒舌で早口という印象が強いジェシー・アイゼンバーグがパントマイムの神様とも評されるマルセル・マルソーを演じるというキャスティングに惹かれる。また、ユダヤ孤児と心を通わせるきっかけとなる火に息を吹きかけるというマイムが、あるときはナチの兵士を火だるまにするという変奏に顕著だが、レジスタンス運動に身を投じていた時期のマルセル・マルソーの映画化だけあって、抵抗運動あるいはナチスと芸術の絡み合いが律儀に時折ちらりと顔を覗かせる。
リスタートを描く映画はそれだけでどれも素晴らしい。高級紳士服の仕立て屋が、時代の変化に合わせて移動式屋台で街へ繰り出しウェディングドレスの露天商を始める本作は、旧世代、旧来のジェンダー観からのリスタートであり、芸術におけるハイとローをめぐる新たな価値観を創造する映画だ。チャーミングなキャラクターによって紡がれる現代的なそれらのテーマはしかし、一つの新しい物語として巧みに縫い合わせれているかといえば、いささか尻つぼみに終わってしまっている。
娘の一人が「退屈だ」と駄々をこねる瞬間が物語っているように、決して壮絶な出来事が写っているわけではない。むしろこの映画は退屈で不毛な時間こそを記録する。ゆえに難民家族の現実がたしかに写っているようにも思える。だから、悲劇を心のどこかで捉えたくなってしまうと、映画作家自らが業を吐露し自己批判をする場面ほど本作に似つかわしくないものもない。それより無意識の女性蔑視が透けて見える何気ない日常のシーンがタリバンが政権を奪取した現在、ひときわ心に残る。
侵攻するセルビア人と国連保護軍のオランダ部隊、その狭間で助けを求めるボシュニャク人という構図を明確にする通訳の主人公が、さまざまな境界線を文字通り右往左往する。過度な緊張感を漲らせる主人公家族とそれに対する国連軍(と我々観客?)の冷ややかな反応、そして映画自体の控えめなサスペンス描写のギャップが妙。それぞれの立場で感じる緊張感のギャップを埋めようと足掻くほどに、つまりはそのバランス欠いた場こそが紛争地域のリアルなのだと感覚的に納得させる。
存在しない物を見せ、存在する物を消し去る。パントマイムの魔力を随所に生かし綴られる、ナチに立ち向かったマルセル・マルソーのレジスタンスの日々。自らホロコーストを生き延びた者の子孫だというヤクボウィッツ監督の、ただ感傷に流されず芸術としての映画の力に堂々依った姿勢に感服。「大脱走」的なスリルの連打と、悪役(シュヴァイクホファーがいい)含む人物の造形が映画に引き込む。子供の頃、マルソーのパントマイムに漂う哀愁が怖かったが、この背景に改めて感じ入った。
ギリシャの新鋭女性監督長篇デビュー作。「次世代のアキ・カウリスマキ」と謳われているが、滑り出しの印象はむしろジャック・タチ!? テーマは50歳の仕立て屋の初めての自立、なんだろうか。だとしたら、いくらタチに通じるおとぼけ風味を狙ったとしても、老父との価値観の違いや自身の職人としてのプライド、女性服への宗旨替えに対する葛藤などはもう少しきっちり描くべきでは。隣の母娘との交流も、微笑ましいでは片付けられない生々しさが。遠きギリシャに吹く風は、心地よかった。
終幕、長女が「絶対に思い出したくない」と語るように、これはある一家の決死の旅の実録だ。だが、真の地獄は省略された日々に主に押し込まれ、本篇の多くは笑顔で埋められる。自転車、ローラースケート、明白な自己主張……旅の途中、妻と娘は、女性が不自由を強いられてきたあれこれに挑む。泣く日。笑う日。海を見てはしゃぎ、よその女性への夫の軽口に嫉妬する。逃亡に内包された「人の営み」が、「人生」が、ここにある。アフガン激震の今、彼らの今後に思いを馳せずにおれない。
「ミッドナイト・トラベラー」にも感じたが、一言で「難民」と括っても、彼ら一人一人に顔があり、生活がある。戦後欧州最悪の大量虐殺事件に焦点を当てた本作も、まさに「顔」で語る映画だ。現地に紛れ込んだかのような凄まじい臨場感 砂っぽい空気、人いきれ、すえた匂い、汗のしたたりや虫の羽音、むせかえるようなたばこの煙 の中で、アイダの必死の形相を筆頭に、無数の顔が蠢く。近い過去に起こった事実の悲痛をラスト、絶望の果て、針孔からかすかに覗く光が救う。