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名作「スペース・ジャム」の続篇。というより「サイバースペース・ジャム」という乗り。ワーナー・アニメのファンなら次々に登場するキャラに感涙間違いなし。ロードランナーとコヨーテはもっと日本でも流行らせたいところだ。ヴァーチャル現実の観客席にはテレビ版のバットマンとロビンとか「時計じかけのオレンジ」の悪ガキ連中とかどっさり投入されているので存分にご確認下さい。CGと同様に従来の平面アニメも大事にしているのが分かり、むしろそっちのファンに支持されそう。
科学(スターリン思想)で成立した国家という虚妄が一部崩壊した時代のソ連における科学研究施設の腐敗を描く。哲学と宗教を巡る真面目な議論に始まり、ネオナチそのものの若者集団によるハレンチ行為に収束する物語は醜悪極まりない。舞台は60年代だがセクハラなんて字幕が出てきたり既述の若者グループも現代人の感覚。資料によれば一人はその後、刑務所で殺されたようだ。恐るべき傑作。ただし私としては芸術映画の名の下に「消費される豚」が可哀そうでならなかったのも事実。
最初に辛口を書かせてもらうと前半、アンジェリーナのクロースアップが多すぎ。深刻の度が過ぎてもたれる。ラストのボロボロの顔だけでよかったのに。山林火災消火のスペシャリストが抱えるトラウマを、殺し屋二人組から逃げる少年の手助けに絡ませる作劇は巧妙だし、どこまでがSFXか判然としない山火事風景もさすがの仕上がり。注目ポイントはアンジェリーナも妊婦に扮するメディナ・センゴアも普通の女性であるところ。この二人は一緒に出る画面はないのだが、同志って印象だ。
ここまでダメダメちゃんを主人公にした映画は空前絶後。それがカール・マルクスの娘というのがミソである。有能な進歩派論客である彼女の苦難の生き方を辿る。しかし同時に彼女は親父の思想的虐待の被害者と言うしかない。こういう女ほどダメンズに引っかかる、の法則が完璧に当てはまる例だ。よくある話で少しも謎じゃない。それより興味深いのは、彼女の誤った選択が彼女の熟慮の末の選択であるかのように自分自身は思いたがっていること。親父の隠し子の一件も描かれていて貴重。
良くも悪くも老若男女楽しめる家族映画としてウェルメイドだが、予定調和なストーリーにも無味乾燥なCGがふんだんな映像にも、取り立てて秀でるものを感じられない。ワーナー・ブラザース所有のキャラクターたちの出演も、そこが面白くなりそうな要素であるのにもかかわらず、表層的に並べただけで魅力的には見えず、よって映画というよりも同社のプロモーションビデオ化している。肝心のバスケシーンももうひと工夫欲しかった。この内容ならば2時間ではなく90分が限界だろう。
破格級の規模ながら近視眼的な作品に仕上げた前作「ナターシャ」と比較しても、本作は「映画」というより「実録」の様相が強く、徹底したリアリズムと6時間に及ぶ長尺によって観客に追体験をもたらす。フルジャノフスキー自身が述べるところの「ソヴィエトが残した“記憶喪失”なる病」への「治癒」のためにこの「実録」があるならば、娯楽性が希薄である以上はその「効用」に評価が懸けられるが、そこに袋小路があるだろう。作品の全貌が摑めていないため本評価は暫定に留まる。
質が高い往年のハリウッド製ディザスター映画を彷彿とさせる演出力が優れた作品。孤高の消防隊員を演じたアンジェリーナ・ジョリーももちろんだが、妊婦を演じたメディナ・センゴアもアクションシーンを好演しており、女性俳優陣が珠玉の布石。主人公ハンナが苛まれているPTSDが一つのテーマにあるが、少年を救うことによって自らも救われるのではなく、両親を共に失った少年の悲劇性との比較によって傷が緩和されたようにとれてしまう台詞を含む脚本には綻びがあるのでは。
パンクロックな音楽と共に直立不動の女にカメラが迫っていくオープニングは、直近に公開されたフェミニスト映画の秀作「ペトルーニャに祝福を」(19)と同型であり、期待を高める。カメラ目線で観客に話しかけるかのようなスピーチ、誰も聞いていないお喋り、イプセン『人形の家』の劇中劇における台詞などは、エリノアの語りの形態を複数化する試みとして、彼女の言葉を誰が真に聞いていたのか? という問い、及び女の語りが軽視されてきた歴史的背景とも絡み合い必然性がある。
バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンを主演にすえ話題を呼んだ映画「スペース・ジャム」を、ジョーダン以降最高のプレーヤーと言われるレブロン・ジェームズをむかえリブートした本作、この25年の間に人類の敵は宇宙人からユビキタス内に住むアルゴリズムへと姿を変え、カートゥーンやCGは実写との境界を認知するのが困難なほど高度になった。数秒ごとにさまざまな身体的反応を喚起され、まるで神経刺激の洪水に飲み込まれるような映像体験はまさに2021年の映画だ。
ソ連の「社会実験」を再現した6時間にもおよぶ本作は、同じような「実験」を繰り返してきたラース・フォン・トリアーの諸作とは異なり、いかなる観客も安全な位置から傍観することを許されず、被験者のひとりとして参加することを強いられる。そこで流れる緩慢な時間や無為な反復、そしてそれを根底から引き裂こうと唐突に吹き出す暴力は、この映画があぶり出そうとしている全体主義の実際を越え、人類全体に備わっているあの真っ暗でうつろな空洞までをも照らし出しているようだ。
台本のト書きをそのままマルチアングルで撮ったかのような説明カットの連続に鼻白む上に、山岳レスキュー隊やパラシュート、暗殺部隊に山火事と、すぐにでも映画が立ち上がりそうな要素がいくつもそろっているにもかかわらず、それらがとっ散らかったまま最後まで像を結ばないのがなんとも残念だ。それでも、山火事の粉灰舞い散り色を失った闇夜の中を愛馬にまたがった黒人妻が猟銃片手に疾走していくシーンは、遠く「狩人の夜」を思わせる荘厳さと崇高さがあった。
昨今世界的にマルクスが大ブームだという。それは恐らく限界に達した資本主義から逃れる道を模索してのことだろう。本作はそんなマルクスがロンドンに残した末娘・エリノアに関する伝記映画である。マルクスは労働によって人の価値は形成されると説いた。しかし、残念ながらこの映画にエリノアが労働している様子はほとんど映っていない。ブルジョワのお嬢ちゃんが自我を持て余して世界を正しく論破していく様子は鳴り響く軽薄なパンクロックとあいまってあまりにナイーブに思えた。