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菅義偉の人物像と彼が目指すものを、公式な場での菅首相の言動と、ジャーナリストや政治家、学者らへのインタビューで考察し、日本の未来に(諦めずに)警鐘を鳴らす。タイトルや劇中アニメーションの毒気のあるキャッチーさに工夫と気骨を感じる一方で、外国人女性がベッドで菅氏の著書をセクシーに読む映像や、ロリ声女性のナレーションなどに「?」がいくつか残る。個人的には、安倍&菅政権は「戦後エリートへの仕返し政権」という鮫島浩氏の分析に膝を叩いた。
プロの仕事を堪能できる秀作。特に、主演の柳楽優弥をはじめ、俳優陣の演技が素晴らしい。戦時中を描く作品は、ファッションや髪型などでキャラクターをわかりやすく区別ができない上、場面が大学の薄暗い研究室となるとなおさら見分けにくい。それなのに、原子核爆弾の開発に勤しむ7人を、早い段階で観客に識別させるカット割りと演出に唸った。もちろん、俳優たちの役への深い理解が伝わる芝居ありき。研究室のシーンに参加した俳優たちに、アンサンブル演技賞を贈呈したい。
いろいろあっての体育館でのクライマックス。生徒たちが見守る中で、ハダシと凛太郎が剣に見立てた掃除道具をぶつけ合うそのやりとりは、肉体的接触はないけれど、誰にも割り込むことができない、紛れもないラブシーンだった。ハダシが映画監督になり、彼女が作った映画を凛太郎が受け取る未来までもを、ひと夏のストーリーから感じさせる、青春映画の大傑作。二人の体がクロスした瞬間を切り取ったラストショットの残像が、今でも脳裏にこびりついて離れない。
70年前の事件の実態と、なぜこの事件が公に語られずに歴史の闇に葬り去られたのかを明らかにする、二層構造が深みになっている。枢軸国側だった日本に対するヘイト本の存在や、移民内での沖縄の人への差別、日本の敗戦を認める移民と認めない移民との間での「勝ち負け抗争」など、現在の日本が抱える病巣に繋がる事柄ばかりで驚愕した。事件の当事者への取材を時系列で並べた構成は、やや薄味の印象。編集にもう少しのメリハリを、インタビュイーの発言にテロップを。
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったのはリンカーンだが、日本の政治家の中にその責任を持てている人はどれくらいいるのだろうか。顔の良し悪しは作りではなく、表情だ。笑顔でも目が笑っていない風の菅義偉という人の顔はどうなのか。叩き上げと言われているが、実家は秋田の資産家。にしても、かつて「JAPAN AS NUMBER ONE」と言われた日本の国力の衰退は無残だ。こんな日本に誰がした? 悪人面の政商の下品な笑顔が目に浮かぶ。
予備知識なく見始めて、これがテレビ関係者によって作られたものだろうと感づき、エンディングロールが流れて、やはりそうだったのかと知る。僕はテレビドラマは大好きだが、映画とは別種のものだと思っている。この映画(?)がテレビ的だと思ったのは、たぶん人物造形がいかにも社会派ドラマにありがちなものだったため。つまり「正しき人々」なのだ。原爆を製造しようとしている人々だが、究極の平和を実現するためと言い張っている。「正しき人々」はどこか胡散臭い。
映画愛に満ちた人には、やはり同業者として好感を持ってしまう。主人公のハダシが時代劇好きで、「座頭市」や「眠り狂四郎」や「椿三十郎」をこよなく愛しているのもいい。しかも彼女は勝新や三船の殺陣までしっかりマネできるのだ。実際、ラストの彼女の殺陣はグッとくる。が、あの撮影時の映画に対する取り組みの雑さはどうにも看過できない。ママゴトやごっこ以上の何物でもないと思ってしまう。それに、SF発想まで飛び込んでくると、もうついていけない気になってくる。
第二次大戦下のブラジルでこんなことがあったとは!? 枢軸国でなおかつ中国を侵略していた日本はブラジルにとっては悪そのもので、サントスに住んでいた日系移民はスパイと見做され、強制退去させられる。その人たちの多くが沖縄からの移民なのだ。沖縄の民はなぜこんな目に遭うんだろう。日本では、本土防衛のための踏み台にされ、10万人以上の無辜の人々が殺された。にも拘わらず、サントス事件の当人やその末裔の人たちの顔の良さはなんだろう。こんな顔の日本の政治家は皆無だ。
壊国的身びいきと反動的思想信条実現に権力を行使した前首相と違い、権力維持のために権力を行使する権力の自動装置たる現首相。国会の多数派の長として権力を付与されるわけだが、その国会では議論を通して政策が決定されるはずながら、言論が呆れるほど空洞化、うんざりさせるのも奴らの手なのだと明示しつつ、それは国民の側の問題(批判を悪口とみなす風潮)でもあると告げる本作、未知の事実が少ないのが難だが、改めて暗澹とし、行動に踏み出すには見る価値はあるだろう。
幼い頃からの夢で物理学を専攻、愛情深い母、友達のような弟、芯のしっかりした従妹からなる家族にも恵まれた大学生。科学や家族という貴重なものを戦争が汚染するわけだが、しかし彼が従事する科学とは原爆の製造であり、科学自体の価値観にも疑念が生じる(次に京都に落とされるかもしれない原爆の爆発観測のため比叡山に籠るという展開もなかなかに狂気じみている)。映画の本体は科学の魅惑と狂気にあり、悪く言えばありきたりな戦時下の家族劇が本体の深掘りを弱化させている。
作りごととはいえ撮影場面がでたらめだとか、当て馬たるキラキラ馬鹿恋愛映画に尺取られてメタ映画なのに映画内映画の内容がよく分からないとか(本来、映画内映画と本篇の二篇の映画を構想、それが対位法をなすことで本篇が奥行きをもって見えてくるよう作り込むべきだが、それをネグっているかに見える)疑念はあるが、時代劇の対決はラブシーンという映画の核の哲学には賛同するし、ラストの殺陣も悪くない。何より映画の記憶・体験から楽しそうに映画を作っている感じに好感。
戦時下でのブラジル日系移民の強制収容。ブラジルにおいてその事実が長らく隠蔽されてきた日伯の地政学の問題、その六割が沖縄人だったというその特殊性、また日系移民間にもあった沖縄差別。提起されている問題は複数あるが、そのどれに対しても踏み込もうとしない。そもそも監督がこの問題を追いかけてみようと思ったその動機、また取材を通じて知ったことから何を描こうと思ったのかその狙いが伝わってこない。思想=哲学を欠いていることが、事実の複雑さに迫れない根本原因。