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22年前の映画「ジュラシック・パーク」は、いま思えばまるでおとぎばなしのようで、恐竜が動きまわるだけで嬉しかったものだ。だが〈恐竜の反乱〉を描いたとも言える本作は、むしろ現実のさきどりなのかも。これに最も近いのは「パパ、遺伝子組み換えってなぁに?」というドキュメンタリーだと私は思う。アメリカの巨大作物企業が行なってきていることの延長にこの映画の世界がある。最近のSF的娯楽大作の作り手側には、地球環境の危機への無自覚の予感があるのでは――なんてね。
アイスランドの小さな町にペニス博物館なるものが存在するとは! 多くの動物のペニスを収集展示してきた老館長の最後の望みは人間のペニスを飾ること。死後自分のペニスを提供するという者も出てくるが、それに張りあっておれの巨根をぜひと願うアメリカ人が自分のペニスに星条旗の刺青をいれ、マンガのキャラクターにしてしまう というこのドキュメンタリー映画に、なんて男ってバカなのと、笑うかもしれません。たしかに誰も雌(女性)の性器の博物館なんて考えませんよね。
広びろとセットを組んだ室内と屋外の、動く絵画のような風景に私たちは向きあい、そのなかに飲みこまれていく。多くのことが起きる。例えば船の食堂で急死した客が注文し支払いずみの料理を誰か食べますかときかれ、おれが食べるという船客がいたり。色彩は渋く、とりわけ赤色系は極端に抑えられているが、最後の場面で生きる。一貫して人間についての静かで壮大な皮肉を描く絵巻物を見ている気分になるが、もちろん日本語タイトルが示すような、人類への訣別の映画ではない。
毎年、香港国際映画祭に通って30年になるが、そのたびにはるか新界地域に密集してそびえる高層住宅の眺めに圧倒される。初めて映画祭に来てそれを見た日本の某映画監督が、思わず「香港は独立すべきだ」と語ったのは知らない強味というものだろう。これは新界の高層住宅建設の利権をめぐる争いを描いた最初の香港映画では――と、もちろんフィクションと承知のうえで私は目をひらかれる思いがした。香港の私の友人のひとりも新界に住んでいる。映画の背景にある歴史をもっと知りたい。
人々が恐竜の生態を楽しめるテーマパークに、秘密裡に研究開発されていた新種の恐竜が入り込み暴れ回る。突然襲いかかった未知の猛威を前に、人はどう身を守るのか。自然界の掟を見つめ直せ、という方向性は保守的とも取れるけど(メインの子どもが〝兄弟〟なのは、ディズニーへの対抗?)、サバイバルの基本は確かにこの辺りに潜んでそう。俳優陣が良質で、人間ドラマに広がりがある。クリス・プラットは、ポール・ニューマンみたいな頼もしさ。スターになるね。恐竜も迫力満点!
40年間にわたり、哺乳類のペニスばかりを集めて博物館を作ってしまったアイスランドの元教師の男性。残すは人のペニスのみ。自らのものをぜひ歴史的展示物に、と名乗り出た2人の候補者の顚末は? 女である私にとって、男性がそれを誇示したがる感覚はわからないけれど、人によっては、それは人格に直接影響を与えたり、デリケートなものなのだと思う。映画はユーモラスで笑えるけど、ちょっと切なくもある。アメリカ人の候補の男性、彼の本心はどうなのかな。勉強になりました。
スウェーデンの巨匠ロイ・アンダーソンが、哲学的な視点で人類の可笑しみと愛おしさと愚かさを浮き上がらせる。欲望、愛、美、戦い、権力、金、差別、残虐、歴史、惰性、笑い、子ども、生活……。巨大スタジオに組まれた精巧な背景と構図の中、1シーン1カットで人間の営みがスケッチのように淡々と描き出され、それが次第に壮大な人類絵巻と化していく。全39シーンの優美なる配置。深まりと軽さ。後味に残る心地よい生への肯定感。1時間40分に完璧に織り成された至高の芸術だ。
土地の利権をめぐって争う男たちの因縁のドラマを、泥臭く、ドラマティックに、かつ現代的な目線で描き切った力作。昔から政府と住民との間で土地開発問題が続く香港郊外が舞台。「インファナル・アフェア」の監督&脚本コンビだけあって、人間への洞察力鋭い脚本は絶品で、あくまで人間の執念や愛憎から湧き出るようなアクションの高まりに惚れ惚れする。男の権力欲を物語の核にしながら、男女の一途な愛の要素も見え隠れして、これまたグッとくる。俳優たちも魅力的な大人の映画だ。
映画はライドに近づき、ライドは映画に近づく昨今だから、まさにこれ、という本作を楽しみにしていたのだけれど、テンポがにぶい。兄弟と大人の二組の主人公をかまえたせいで、作劇が散漫になっている。おまけに兄弟はさほど活躍せず、お荷物になっているようでは夢がない。たがのはずれた進撃の恐竜はけっこう人間などを食べたりするのだけど、血飛沫描写も中途はんぱで、脚本も演出ももうひとつ。ブライス嬢がだんだんに薄着になっていく謎のサービスだけはシッカリと受け止めた。
これはあれだ、アホ映画だと思っていたら存外にシリアス、いやはや学ばせてもらったよ、という方面のあれだ、と予測しつつ見ていたのだけれど、最後までアホ映画だった(敬愛の表現です)。しかも全員実在するから始末に負えない。もちろん主人公の博物館主には、性器をめぐるタブーの成立を問う真摯な姿勢があって、それが垣間見えもするのだけど、そこは掘り下げない。ドキュメンタリーとしてはそこらへんに残尿感。奇行の奥にあるものをぐっと引きずり出すわざがあってほしかった。
頑迷固陋の完璧主義者ロイ・アンダーソンのフィルムは、ここにもっともシンプルで厳格な表現を得た。これは二〇世紀の人間の博物誌であり、その悲壮なコレクションである。決まって全景の同じ構図をくりかえす無機質な室内空間はホワイトキューブであり、人間はそこに所在なげに展示されている。終盤にあらわれる密室の殺戮装置は、前世紀の虐殺の記憶を画面に充満させずにおかない。そうしてこの三部作が、近代の意味をはげしく問うていたことにあらためて気づかされるのである。
香港の住宅問題がどうやら深刻らしいことは、パン・ホーチョンの「ドリーム・ホーム」でも知らされていたけれど、その背景にはかつての悪しき制度があったわけか、ふむふむ。というほどに、お話の背後に横たわる事情は特殊で、説明されてもチョットなじみづらい。それはさておくにしても、ハッカーものはどうにも乗れない。最新技術を駆使してどうこうされても恣意的の印象しか受けないのが正直な感想。ホモソーシャルな男たちの絆も、かんたんにハックされてしまう時代になったのね。