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岡本喜八版では、後姿だけだった天皇を、本木雅弘が演じたのが原田眞人版の特徴だが、本木の佇まいが魅力的なこともあって、天皇のお陰で戦争が終わりました、という印象が強まった。むろん、それには、物語の起点を、昭和二十年四月に設定しながら、八月十四日に至るまで日本人が被った被害を視野の外に置いたことも大きく作用している。これでは、国体護持に固執して結論を先送りし、国民の生命をないがしろにした当時の権力者の無責任を容認する結果にしかならない。
冒頭の車で新居に向かう場面に重なる音楽。祷キララ演じるヒロインが歩道橋の階段で母の手記を読む時、唱和するように響く男の声。級友たちと別れて、独り交差点で信号待ちするときの周りのざわめき。耳を犯す切れ切れの声。それら声や音が画面に緊迫した空気を漲らせると同時に、ヒロイン自身の内なる怪物を目覚めさせていく描写が秀逸だ。誰もが内に抱えながら目を背け、やり過ごすなかで、自身の怪物に向き合い、怪物であることの孤独と哀しみを抱えて生きる少女が美しい。
最後の零戦パイロットだった原田さんの、零戦は、攻撃性能の向上だけに力を注ぎ、防御をまったく考えない飛行機だったという言葉が、胸に響く。その設計思想は、そのまま日本の戦争の性格を表しているように思われるからだ。イケイケドンドンの攻撃一本槍で、劣勢になった時の防御も負け方も考えないから、玉砕するしかない。本作は、そんな戦争を、個人の体験の側から検証していく。個別の証言は一面、作品としての求心力を弱めもするが、連作を重ねることで威力を発揮するだろう。
家族の絆などということが、自明の現実でもあるかのように語られる時代に、既存の家族から逃れたバラバラな個人が集まって「家族」を営むという設定は悪くない。それも、生活の手段は、空き巣や、結婚詐欺や、偽造パスポート作りという裏稼業である点も面白い。それを、もっとピカレスクな方向に推し進めれば、家族幻想への痛烈なパロディになったはずだが、ここでは、松雪泰子を拉致した村本大輔の暴力だけがブラックで、全体は、ソフトなファンタジーに収まっているのが、残念。
復興も経済成長も成した後の日本に生れ、戦争も敗戦も戦後すぐの世の中も知らないが、幾つもの戦争映画を観てきた。そして本作には激しく、これはないわ、と思わせられた。忘却に抗うのではなく、遠ざかる時代をうまく題材として処理した若者騙し、欧米人向けの映画。旧版の重み苦みがない。この切り口なのに戦争責任が問われない美談だとは変。岡本喜八「血と砂」や、最近の作「この国の空」などにおける無名の人物があの八月十五日をこう迎えた、ということこそ大事に思いたい。
05年映画「まだらの少女」(監督井口昇)で脚本の小中千昭は楳図かずお原作に04年長崎佐世保市で起きた小学六年女子による同級生殺害事件を重ね焼く脚色を行ない、もともとの蛇女話をネットが存在する現代においてより強化される嫉妬と妄想の病理として描いたが、本作はそれにやや似つつ、システム論やアクチュアリティは抜きに、蛹化、羽化の季節にある少女の自己内部の怪物性への恐怖という普遍を描いた少女映画の佳作。主演の祷キララが光る。父親役の鈴木卓爾が好演。
ラフなつくりのドキュメンタリー。それは監督の前作「陸軍登戸研究所」にもあった短所だが「登戸」では撮られているネタの目新しさからかさほど気にならなかった。本作では個々の証言を拾いあげ記録すること(それがタイトルの由来、志向するもの)がなされているが、どこか行き当たりばったりな感じ。決め打ちで撮影しても何も出てこないだろうし、体験者の話はどれも印象的だが、映画がどこにも着陸しない。真珠湾攻撃からはぐれ機があったというニイハウ島事件は興味深い。
邦画でなかなかプロの犯罪者というものを描くのは難しい気がするが、戯画的なまでの幸せ一家がやはり戯画だった、というところから犯罪をやって食っている一家を語り起こすというのは面白かった。ただ、この家族が集まってくる過程を説明する構成にもたつく感じがあった。本来の家庭の荒廃が根底にあるという設定は良い。竹野内豊、坂口健太郎、國村隼の、汚しと翳りをつけた役柄の風貌がかなりハードボイルドでそれも良い。犯罪映画かつ家族映画、それが泣ける映画にもなっている。
男たちの長い一日を、ぶ厚いガラス越しに遠巻きに眺めている気分のまま終わった。前のめりに観た岡本喜八版との違いは、男女や立場を越えた市井の人々との距離、一人一人の本能に寄り添う視点の有無なのでは。実際の映像を交え、惨たらしく命を落とした人々を映し出し、敗戦が決まっているのに散るしかなかった若い命の虚しさを正面から見据えていた旧作と違い、今回は中枢の人物のドラマのみに重きを。にも拘わらず、旧作の阿南や畑中の形相や汗にこそ、遥かに生きた人間を見た。
父と暮らす、中学一年の少女。独り言を呟き、暴力の衝動を抑えきれない。そこには、死んだ母の抱えていた闇が関係していた 。父は〝病気〟と呼ぶが、主人公・育美の感性は何も間違っていない。率直で、まっとうだ。ただ、子どもから大人へと移行する時に誰しも感じる他者との断絶や孤独、人と人とが傷つけ合わずにはわかりあえない悲しみを感受しているのだと思えた。バケモノになり咆哮する母や、腫れ物に触るような父の描写の鮮烈な不気味さ。何より祷キララの射抜くような目がいい。
題名通り、記憶に残る戦場も、戦争に対する思いも、ひとりひとりきっと違うのだろう。主要な証言者となる99歳の元零戦パイロットの原田要氏。まずはその、年齢を感じさせぬ明晰な記憶と確かな語り口、かくしゃくたる佇まいに感服。さらに、氏が熱く語る、零戦がいかに最強だったか、その零戦を操るパイロットであったことがいかに氏の人生において重要な意味を持つ経歴であり、誇りであるのか。そのことに感じるところ多々あり。ただ、淡々と証言を繋ぐ構成に、ひと工夫ほしかった。
これはやはり、短篇小説でこそ成立し得るある種のファンタジーで、感動を主軸にした映画として成立させるには、原作を今以上に大幅に改変しない限り厳しいのでは。それぞれに辛い過去を抱える者たちが築いた温かい家族。血縁がなくても絆を作ることはできる、というメッセージは伝わるが、ワケありだろうと犯罪者としてでなく、法を犯さぬ職に就く術はないのか、と思ってしまう。トリッキーな設定と隠れた事実の重さ、落としどころにしたい感動とのバランスにどうしても無理を感じた。