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これが実話というから驚きだ。私たち日本人にとってシュタージ(秘密警察)の存在の実感は薄い。しかし、分断されていたドイツ国内ではこの映画は突き刺さるのだろう。疑念の目を持って隣人に接するというより、想像もしない人物がシュタージであったり、スパイであったという衝撃。矛盾を抱え生き続け、自身の音楽でそれを昇華したひとりの男の物語ではあるが、それが国民の共通経験と重なるとき、この作品は強く訴えてくる。それは個人の生の軌跡と集団の生の軌跡が重なるときだ。
よくぞこのような作品を見つけ配給し、公開に漕ぎ着けた配給会社と劇場に拍手を送りたい。世界中がコロナによる影響で新作映画が制作できていない現状だからこそ実現したのだろう。以前は映画館くらいしかエアコンが効いていなかった時代、適当に入った劇場でたまたま流れていた映画を見たような美しい思い出。これは偶然に出会ってしまった圧倒的に面白い作品だ。監督や役者などの名前というより劇中に蠢きスパークする熱量。このような作品を劇場で鑑賞できることはコロナに感謝。
周期的に必ずやってくる自然災害といえば、東北地方を襲った東日本大震災による津波も同じだろう。歴史的に見て周期の差こそあれ必ずやってくる自然災害。それは人間が勝手に統治できていると思っている自然からのゆりもどしだ。その周期的な災害がもたらす共通の集団トラウマとの間に挟まれたごくごく小さな一個人という人間の有り様。人間ではとても抗うことのできない事象の隙間の小休止に、自分の生の存在意義や生まれたこと、そして生き残ったことへの意味を探る尊厳を見た。
ラッセル・クロウ版都会の「ヒッチャー」か。特に脚本やセリフが練られているわけでもなく、現代の都会においてこれほど好き勝手なことをして警察に捕まらないことなど不自然が満載。月曜の朝は誰もがストレスを抱え憂鬱だ。微動だにしない渋滞だからこそ恋愛や妄想が生ずる「ラ・ラ・ランド」などもあった。予測ができない予定調和でない状態だからこそ物語は動き出すものではあるのだが。あまりに自由な乱暴者ゆえ、この男は現実には存在しない現代の抑圧の象徴にさえ見えてくる。
ミュージシャンの評伝映画ではきわめてユニーク。ドイツ統一前、東独の秘密警察シュタージによる市民監視活動に手を染めた主人公の悔恨を縦軸に、80年代東独の若者の日常を独創的なタッチで点描。シュタージの活動実態は「善き人のためのソナタ」を見ると分かりやすいが、600万人が密かな行動監視で思想評価され、その膨大な記録の倉庫も重要場面で登場。ドラッグで躓く西側のロックスターと違い、政治と日常が結合した問題だけに、表現者の苦悩が見る者に肉薄する。
70年の作品でS・レオーネの影響はもちろん、「荒野のダッチワイフ」(67年)や「エル・トポ」(69年)にも似た抽象活劇で低予算映画マニアはタマランチ会長。だが同じ頃ドイツにはファスビンダー、ヴェンダースらが登場し商業主義的な本作の監督は21世紀まで忘れられた。ま、感性が近いヘルツォークのほうが圧倒的に派手で目立ったから埋没も仕方ない気も。本来は映画祭の役割だが、こうした魅力的作家は全作品一気に公開すべき。でないと海外盤DVDを買って見てしまいそう。
リタイア後の理想郷物語として面白く、隠遁者の生活物資補給や現金収入など現実的問題も押さえており感心。ただ東京に住んでも窓全開すれば室内に蚊や蛾や蜘蛛が侵入するのに森林暮らしで虫害がないのは信じられないし、水辺の木造家は湿気も大敵で画面に映るロッジ型ホテルのような衛生的生活は実際には難しいはず。高齢者が掘っ建て小屋でカナダの冬を越せるか、肥満体を維持できるのか等、大小いくつもある不審点に目をつむり、ファンタジーと割り切れば泣けるいい映画だ。
「ファナティック」のトラヴォルタ、「カポネ」のT・ハーディに負けじとラッセル・クロウも強烈なキモデブ中年サイコを真面目に熱演。ブサイクに変身が流行なのか? しかも中身は「激突!」や「ヒッチャー」を都市部に舞台移植しただけの新味も社会性もないDVDスルーにありがちなB級スリラー。ラッセル、過去の栄光をドブに捨てたくなる痛手でもあったかと心配に。とはいえ彼が演じる醜い中年の無様な暴走と心情吐露に私は感情移入でき、スカッと爽やかに見終えた口だ。
真面目で繊細な作りの映画ではある。時間軸が無説明に飛ぶ編集も、関連のあるテーマでつながっていくのですぐ慣れる。しかし時制を混乱させたことで、欠落した部分がより際立ってしまった。東ドイツの秘密警察に協力しながら、逆に裏切られてしまう出来事が重要なテーマとなっているにもかかわらず、その具体的な瞬間はこぼれている。周縁をなぞって際立たせようとした肝心の芯が見つからないなら、手管を使うより時間軸通りのほうが素直では。主人公の魅力が乏しいので引きが弱い。
大金をめぐって男たちが醜い本性をあらわにしていき、命の奪い合いとなる映画の系譜だが、本作は微妙な緩慢さが個性的だ。各々が何かしら最後の決断を下すのをためらっているようで、その遅延が奇妙な時間を作り出す。大金の動きよりもむしろ、欲望の話から外れた、とある轢死に至るまでの停滞と躊躇がもっともドラマティック。女性が狂った娼婦と、知的障害のある若く美しい娘だけというのは、男性にとって好みの扱いやすい人形となるゆえで、この男性本位な設定に時代を感じた。
自分の人生を自分で決めるというのは、ワガママを押し通さないと無理なのだと思う。本作は自分自身に従ったら社会から逸脱してしまった者たちを、ちょうどいい温度で描く。たまに山を降りてバーへ行けるような、社会との適度な距離感が絶妙で、山火事の迫る不穏な気配が立ち込めつつも悲愴ではない。過度な擁護に走らず、ことさら陰鬱にもならず、カリカチュアもないのに観ていられる不思議な演出力。気の合った男女の軽い和気藹々ぶりと、老年のピュアな恋愛のどちらも魅力的だ。
80年代辺りに粗製濫造されていたサイコスリラーを思い出す小品だが、端々で現代的な問題が浮き彫りになる。犯人像がもはや失うものがない、いわゆる“無敵の人”で、他責的な憤怒と暴力の過剰さがいまの時代の不穏さと共鳴する。「激突!」のような映像作品史に残る傑作の後追いは分が悪い。そのためか本作の恐怖は早い段階で車を離れ、責任の負荷に移行するのは、正解ではないだろうが仕方ないかもしれない。ラッセル・クロウの面立ちが暗く、不機嫌な顔は、恐ろしい悪役にはハマる。