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お嬢さま系のミッションスクールの部活が和太鼓とは、これはこれで意表を突く。その和太鼓に出会ったことで成長していく少女の話で、作品のキーワードは自己表現、自己解放の“音”。そういう意味ではかなり難易度の高い作品で、実際、音よりも少女の環境とか、疎外感とかの話で遠回り、なかなか“音”には出会えない。やっと出会っても練習段階で不協和音が生じ……。終盤のパフォーマンスはみているこちらも熱くなるが、演じる若い女優たちの顔がみな似ているのには閉口。
吉永小百合に対する製作人の配慮を思わずにはいられない。主役であること。世間に馴染み易い仕事をしていて、何ごとにも誠実であること。むろん、責任感とやさしさ、思いやりのある役。かくて今回は、金沢の小さな診療所の在宅医療医師役を演じることになり、いのちと死に向かい合うのだが、妙にハシャいでいた前作「最高の人生の見つけ方」よりずっと小百合らしさが感じられ、しかも実父に究極の選択をする。看護師役の広瀬すずが、若い頃の小百合のように明るく頼もしいのにも感心。
世間の終活ブームに便乗したような特定の観客層狙いのコメディだが、何とか間口を広げるために若い世代の話を盛り込んだ努力は買う。けれども生活にゆとりのある熟年夫婦の他愛ない口喧嘩を発端にした離婚騒動は実にパターン通りで、本気で観る気になれず、映画というより流してみるドラマ並。橋爪功の頑固おやじ演技も「家族はつらいよ」シリーズのまんま。高畑淳子の強気の妻もにぎやかなだけで、別れる気があるんだか。葬儀社のベテラン社員(松下由樹)の言動には唯一関心。
ヒェーッ、オソれ入りました!! 勤務時間中に“組”ならぬ部署ごとのヤンキーOLたちが、廊下で向かい合って罵詈雑言の応酬!! そんなOL軍団と一線を画す堅気のOL数人。その抗争が他社との“テッペン取り”にまでエスカレートしていくのだが、ばかばかしさもここまで底が抜けていると四の五のいうのもアホらしく、逆に不思議なカンドーがわいたりも。それにしても番長級から番長を支えるチンピラOLまで、前へ前へ出ようとする女優たちの熱気の凄さ。その役名となりふりがまた痛快。
舞台立てや人物設定など劇的な要素がこれでもかと揃っていて、下手を打てばありきたりな青春感動ものになってしまうが、画面の構図、そのなかでの人物の動かし方につつしみがあり、しぜんと映画の時間に引き込まれる(原作も読んだが、これをこう映画化したかという驚きがあった)。春木康輔の撮影の力によるところ大だろう。ただ、和太鼓がことばの代替物になる、というそのことへの踏み込み、いわばことばにできないことのほうに本当のドラマがある気がしてならなかった。
地域社会における医師と患者、姉の子を育てる広瀬すず、松坂桃李と佐々木みゆ演じる小児がんの少女、吉永小百合と田中泯演じる父親――これら重層的な家族(疑似家族)の構図をどう描くかがこの物語のポイントだが、ぶつ切りの「見せ場」が数珠繋ぎにされていくだけで、一つひとつが有機的に絡み合っていかない。たとえば象徴的ともいえる柳葉敏郎のエピソードなどもっと丁寧に描くべきものがあるはず。逆に伊勢谷友介のくだりはあまりに拙速かつ中途半端で削ってもよかったのでは。
「(人生の)長さの意味に気づいているひとは少ない」と語りかける冒頭のナレーションに、正しい終活を教えて差し上げますよ、という啓蒙色がにじみ出ていてイラッとする。生活感のないモデルルームのような空間、絵に描いたような熟年像、再現VTRのような演技、とBS放送の合間に流れるハウトゥ番組ノリでダラダラとつづく2時間。駄目押しにチューリップの楽曲をバックにした(橋爪功は世代的におかしくないか)懐古映像が流れ、退屈な法事に付き合わされた気分になった。
「OL」ということばに付随する女性蔑視的な視線が問題視される時代に「地上最強のOL」をめざす女性たちのステゴロ戦。日本の会社組織への痛烈な皮肉と思いきや、彼女たちは社内では白眼視される存在であり(にもかかわらず彼女たちの喧嘩が会社の明暗を決める滅茶苦茶な設定)、一方で「普通のOL」とは電話応対や書類のコピーをソツなくこなす女性社員のことだという。そして、その女性たちの闘争も結局は男性の愛を得ることで慰撫されるという時代錯誤ぶりに啞然とした。
娘たちを大勢登場させて、なぜこんなに辛気くさいのか。ミッション系女子高の部活の、和太鼓。「こんなシケタ音出して」とだれかが言うが、太鼓の音が気持ちよく響かない。紺野彩夏演じる環の、前半のはっきりしない表情と、久保田紗友演じるマリアの、不安を抱えた善意。「藍」なのかもしれないが、弾みがつかない上に、練習は完全に体育会系的。ポンと一発叩いてみせる指導には呆れた。奥秋監督、最後の五分で一気に取り返す作戦だったか。表現は、作っていく過程の楽しさが大事。
冒頭、吉永小百合演じる咲和子は救急医。速度と決断力ある仕事ぶりでホッとした。舞台が金沢の在宅医療専門の診療所に移ってからは、大昔の「名作」的に、浅いままに意味ありすぎシーンの連続。患者たちの、それぞれの死までをあっけないほどさっさと畳み込んだ先に、咲和子の父をめぐる重いヤマ場。見ている方は相当しんどい。成島監督は、医師咲和子の、患者を安心させる力と、吉永小百合の、田中絹代も高峰秀子もできなかったアイドル性の怪物的な保存に折り合いをつけている。
夫の定年後。男女異質論。いまの日本の「多数派」の姿。これが勉強になる人もいるだろうと書けば、おまえこそ学べと突っ込まれそうだが、「熟春」という言葉をはじめ、反発したいところだらけ。最後の金婚式、橋爪功と高畑淳子の夫婦に贈られる金のオシドリは、とくに耐えがたい。良心的な葬儀社はあっていいし、それが葬式以前のサービスに力を注ぐのは当然としても、その宣伝となる以上の内容がどれだけあるか。香月監督たち、こういう終点に到れない人たちのことも考えるべきでは。
ヤンキーOLたちの抗争。ありえないが、脚本のバカリズムと関監督、「ムリしなくていい」と「ムリでもやってしまえ」のバランスの取り方が最高。ヤンキー漫画の存在を前提とした作り方。大義名分なしの潔さで、近年のタランティーノの上を行く。大健闘の女優陣。広瀬アリスがカッコいいヒーローのパロディとして決まる。その先にアッと驚く展開で永野芽郁がおいしい主役の座に。遠藤憲一率いるトムスン一派のムリの累乗化と平穏無事な方のOLライフにもう一工夫とは思うが、痛快作。