パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
往年の大林宣彦監督作品を連想させられる、ファンタジックなフランス映画。こんな異常事態が起こっているのに恋愛について考えている場合かと思わなくもないが、時間をかけて練り込まれた脚本が物語全体に説得力を与えている。なかでも終盤の展開が良い意味で奇妙だったり、カメラワークにも“マジカル”な瞬間が訪れるのがいい。「パリ」というワードを無理矢理にでもアピールしたがる傾向にある日本の宣伝事情において、邦題にそれを含めなかった配給側の配慮は個人的に評価したい。
マルセイユの北西に位置する入り江(カランク・ドゥ・メジャン)の、高いアーチ状の脚を持つ鉄道橋をバックにした、美しくも閉塞感の強いロケーションが、まるで劇場の舞台セットのようで、登場人物の会話によって構成される演劇としての魅力を持つ本作に素晴らしい劇的効果を与えている。同時に、この舞台に刻まれた歴史や、フランスの地域にまたがる格差問題、不法移民問題など、解決されざる現実社会の不安要素の描写は、やや表面的ではありながら無理なく劇中に詰め込まれている。
香港・中国版「海猿」と言っても支障ないくらいにその要素を拾いながら、映像面では大規模な実写撮影や特殊効果によって同作のそれを超え、広く世界に訴求するパニックシーンを完成させた。なかでも海中に沈みゆく無数の残骸をとらえたシーンは息を呑むほど圧倒される。一方、救出作戦の内容があまり伝えられないことでサスペンスとしての魅力がないのはもったいない。類型的で単純な人間描写や、香港の映画らしいとはいえ音楽の演出に統一感がないところは貧弱な印象を与えられる。
アルバム完成後のライブとしての役割を持ちながら、配線を見せない趣向でショー形式に表現されるステージが画期的だと評されている本公演。そのような世評もデイヴィッド・バーンの知性とシニカルなセンスあってのことだろう。だからこそ、多様なルーツを持つ演奏者らが並ぶ舞台の上で、アメリカ社会の一つの理想的な姿を表現してみせる“あざとさ”に心打たれ、彼をして真っ直ぐにならざるを得ない危機的状況に動揺できる。スパイク・リー監督の起用理由は最後まで観ると納得できる。
一目惚れした男がその相手と連弾をするシューベルトの〈セレナード〉。二人のたどたどしさが微笑ましい。彼らの結婚10年目の危機をロマコメにしたこのドラマ、俳優の個性が決め手なのが一目瞭然。主人公夫婦を演じる美男美女の俳優、分けてもF・シヴィルはどんなシチュエイションでも様になる。友達役のB・ラヴェルネの毒気は物語を活性化。監督H・ジェランの経験から生まれたそうで、ファンタジーの中にナマな人情味がちらり。愛の情熱と憂鬱とが混ざり合い、見ごこち良好。
マルセイユを舞台に市井の人々を温かに描くという意味では、監督のこれまでのスタイルとそう変わらない。ではあるが、主題をよりパーソナルに引き寄せたとは言えるかもしれない。故郷で自分の過去と向き合う三人兄妹の思い出と現在とを物語に同居させ、しかし、くどくど説明せず具体的な事実を点描することによって、見る者は彼らに自身を重ねる。人生を先に進めるために過去を解決すべきというメッセージが、未来への展望を含め、堅実な作風から伝わる。時の流れの語り口がうまい。
海洋進出が目覚ましい中国の国情を反映しているとみた。が、ドラマはハリウッド張りの娯楽アクション。アクション場面の緊迫感、迫力は見応えは十分。撮影が「グリーン・デスティニー」でオスカーを獲ったピーター・パウと知り納得。ただ、ヒロインの救難ヘリのパイロットの役柄は優秀な設定なので、顔のアップを頻出させるよりも、活躍を見せてほしかった。それに加え、海難救助隊長のバックストーリーよりも、アクションに針を振り切ったらなおスカッとしたかも。悪い話ではないが。
客席とカメラ。両者の眼の位置の違いにより、舞台作品の映像化には不満が残ることがある。この作品は例外。映画用に企画・ステージングしたかような映像に特有の、機能性と美しさを発散。グレーのスーツに裸足という、ミニマムを象徴する削ぎ落とされたルックに加え、歌・ダンスも、統制されたマーチングバンド風の動きにも無駄がない。トーキング・ヘッズ時代から変わらぬD・バーンの特異的知性に、世界を危機が覆う今日、信じるに足りる可能性を、S・リーには新境地をみた。
夫婦の出会いから倦怠期までをアバンのひと息で描写してしまう手さばきに巻いた舌の根も乾かぬうちに、ちょっぴり雑な説明で平行世界SFに舵を切る剛腕演出が冴えわたるロマンチック・ラブコメディで、野暮天の自分にはオシャレさと甘さが勝ちすぎて少しばかり胃もたれしてしまったのだが、終盤の一連のシーケンスで描かれていることはシンプルながら愛の本質に肉薄していると感じたし、好きな人とデエトでいくもよし、ひとり気楽に観るもよし、な守備範囲の広い優秀な娯楽映画だ。
これぞおフランスな雰囲気の画面には美しい海辺の風景とお年寄りばかり、グループショットはやたらキマっているのに会話における寄り画の切り返しはいささか凡という薄味の演出に「このノリで押し切られるのはちょっとしんどいなあ……」と、あくびをかみ殺しながら観ていたのだが、家族と恋人たちの物語は静かにもつれ合いながら次第に深度を増してゆき、難民の子どもたちの登場で映画の輪郭がはっきり見えてくる中盤以降の展開は素晴らしく、鑑賞後は不思議な多幸感に包まれていた。
ポスターに躍る無邪気な惹句「10分に1回クライマックス!」はさすがに言い過ぎとはいえ、「海猿」シリーズなどの海難救助隊モノの面白要素全部乗せの贅沢な作品で、迫力の救助シーンの数々は、こんな大惨事が短期間に頻発するわけなかろうにというツッコミ所や、パキッとしすぎているCGの質感などに目をつむれば充分に楽しめるクオリティなのだが、彼らを過剰なまでに英雄として描いていることに関しては救命が犠牲的行為になってしまっていいのか、という疑問が頭をかすめる。
デイヴィット・バーンと11人の仲間たちによる100分に及ぶパフォーマンスは圧巻のひとことで、投げかけられるメッセージの数々は時代や人種を超えた人間愛に溢れており、このステージを映画として世に送り込んだスパイク・リーの作家としての確然たる視座にも感動するのだが、コロナ禍の現代に生きる我々に強く響くであろうこの映画をコロナ禍であるがゆえに家のモニタで観ざるを得なかったというのは皮肉で、公開のあかつきには劇場の大スクリーンと大音響で改めて堪能したい。