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デビュー作「ゴッズ・オウン・カントリー」でのいきなりの達成にはジョシュア・ジェームズ・リチャーズのカメラが欠かせなかったと思っていただけに、本作におけるフランシス・リーの映画作家としての不変の姿勢とその力量に深く首を垂れた。時代や都市や消費社会に背を向けて、ピンポイントで現代的イシューを射抜くその鮮やかさ。セリーヌ・シアマやアンドリュー・ヘイの諸作品と並べると、現在のヨーロッパ映画で起こっている大きなシフトがより正確に見えてくるのではないか。
シレっとオリジナル作品を装って公開されるようだが、実は本作、マ・ドンソクがまだ国際的大スターになる前、2014年のテレビシリーズの映画版。単独作として成立してはいるものの、主人公以外のキャラクターは既知のものとして描かれているので、食い足りなさは残る。撮影と編集の技術水準が高いこともあって随所で入るテレビ的なグラフィカルな処理は気にならないが、豊臣秀吉、日本統治下の人体実験、山口組などの韓国ドメスティックな設定ワードが気になる人は気になるかも。
逃亡中の警官殺しの犯人たちを捕えるために、マンハッタンと他の地区を結ぶ21の橋を封鎖。というのがタイトルの由来なのだが、そこに隠れたアイロニーが浮き上がる終盤のNYPD署長のセリフに息を呑んだ。「シビル・ウォー」で周到にレールを敷きながらも「アベンジャーズ」3作目4作目ではおざなりになってしまったブラックパンサーのボーズマンに、ルッソ兄弟が用意したのがドン・シーゲル的な硬質サスペンスという、作品外のストーリーにも痺れずにはいられない。
シャルリー・エブド事件については、その後に起こった世界中でのリアクションも含めて、(おそらくは)マジョリティとは異なる見解をずっと抱いてきた。同誌の寄稿者であった監督は、あの事件が本作を撮るきっかけになったという(劇中にニュース映像も出てくる)。可能な限り偏見を排して臨んだが、ISという絶対的な悪を包囲するように、正論をたたみかけていくばかりの展開に映画的奥行きはない。ヨーロッパ側ではなく、迫害下にあるクルド人側に焦点を当てた点は評価できるが。
地質学界も、社交界も、男性社会にうんざりした二人の主人公は、好対照だ。独立独歩の古生物学者メアリーは頑丈そうだが、孤独に弱く、裕福な化石収集家の夫に厄介がられるシャーロットは脆そうで、商売上手なタフさもある。カメラはしばしば二人の手を捕らえるが、メアリーのよく動く働き者の手が次第に鈍くなる反面、シャーロットの手は、メアリーのノートを奪い、刺繍をさし……大胆になっていく。青から赤へ劇的に変わる衣裳も、二人の変化をフェアに物語っていて、面白い。
今回マ・ドンソクが扮するのは、収監中の犯罪者、伝説の拳ことパク・ウンチョル。冒頭のミシンとの可憐な格闘シーンから、アクセル全開で魅せる。共に凶悪犯を捕まえる、極秘プロジェクト「特殊犯罪捜査課」メンバーのバランスも良く、アジトとなった廃教会での丁々発止も楽しい。特にアクションの特訓を積んで撮影に臨んだ、チャン・ギヨン演じるコ・ユソンの狂犬ぶりは、マ・ドンソクとはひと味違う迫力が。しかし、韓国での日本人のイメージの原点って豊臣秀吉なのか……。
脚本に惚れ込んだチャドウィック・ボーズマンが、主演とプロデューサーを兼任。マンハッタンのロケーションの魅力をいかした画にワクワクする、クラシカルな都市型犯罪アクションだ。シエナ・ミラー、J・K・シモンズら、渋みのある役者陣の、重心の低いアクションも見応えがある。しかし見覚えのある展開のストーリーは、どんなに二転三転しても、ハラハラドキドキはしない。19年越しの主人公の正義がはっきりと見えないので、ラスボス・シモンズとの対峙シーンでも迫力に欠ける。
強烈な記憶とは、五感に宿り、いま、ひいては未来に作用する。ザラの記憶は、目の前で父を殺し、自分を奴隷として買ったIS兵士の体臭。後に兵士として、男と再会した時、彼女は仲間に「戦争のせいなら、なぜ私は恥じるの?」と問う(その様子を見守るカメラワークがやさしい)。この難役をジャーナリストのディラン・グウィンがまっすぐに体現する。遂に戦地で弟を見つけた時、ザラは母のよく口ずさんでいた歌を歌い、弟を正気に戻す。彼の記憶が幸せなものでよかったと心から思う。
19世紀、寂れた海辺の町で二人の孤独な女性が出会い惹かれあっていく、という物語は、どうしても昨年の個人的ベストの某フランス映画を思い出してしまうが、本作は歴史に埋もれた実在の女性古生物学者メアリー・アニングを虚実ないまぜで描くことで彼女の生き様、その背景を〝再発掘〟する作品だ。展開は淡々としているのにカッティングが細かく、メアリーの行動は情熱的なのに表情は常に硬い。その終始矛盾を孕んだ空気感が彼女の人生の機微をリアルに浮き彫りにしている。
登場人物たちの背景や関係を観客があらかじめ知っているかのような描写が続き(なぜか「シン・シティ」を本気でパロディ化したような回想シーンはある)若干違和感を覚えたが、ドラマの映画化ということで納得。見せ場を軸とした構成、シリアスとコメディの切り替えのタイミングなど、全体的にバランスが良くない。お茶目で強すぎる(いつもの)ドンソク兄貴は十分堪能できる。クライマックスの大人数での肉弾戦は熱いが、なぜ悪人が銃を使わないのか最後まで気になってしまった。
限定された地域での一晩の事件というアクションサスペンスでおなじみの設定に加え、途中からだんだんオチが予想できてしまう警察官ものとしてはこれまたおなじみの逆転の展開。だが、最後まで緊張感が途切れなかったのは、名手P・キャメロンによる銃撃戦や追走劇の見せ方の巧みさもあるが、やはり主演チャドウィック・ボーズマンの存在感だろう。フィジカルの強さとアクションの軽やかさ、知的な佇まいと台詞回しは、改めて唯一無二だと実感。彼の主演として最後の雄姿に★+1。
監督のC・フレストは以前シャルリー・エブド誌の記者で、6年前にISがその編集部を襲撃、12名を殺害した事件が制作のきっかけになったということだが、本作は彼女の個人的な怒りと恐怖、ジャーナリストとしての俯瞰の視点がうまく融合されている。ISに家族を殺され奴隷として売られたヤジディ教徒の女性、自ら志願して連合軍の女性特殊部隊に参加するフランス人の女性二人、其々の主観と背景を重ねて描くことで、この生き地獄が日常の延長線上にあることをより明確にしている。