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三人の監督が個性を競うオムニバスではなく、作品内のエピソードを分担しているらしい。それなのに妙な統一感があるのは、原作と、蒲郡というロケ地が強いから。撮影監督など全スタッフを固定したこともプラス。「秘密」というキーワードがあまり機能しておらず、群像劇としてのカタルシスも弱いが、音楽監督を務めたCharaの仕事により、人間讃歌としてまとまった。演者はみな魅力的。特に映画初出演となる芸人の九条ジョーの、“変さ”と“愛らしさ”の塩梅が絶妙だ。
なんでもうまくこなせるため、何事にも夢中になれない主人公の人物像と、実家でのぬるい日常描写にリアリティがある。彼女が無認可保育園で働くシーンでの、自然にふるまう子どもたちの中で役者を動かす演出スタイルは、恩師だという是枝裕和監督イズムを感じる。子どもと触れ合うことで自身の記憶をさかのぼる流れはわかるが、禁忌の匂いを漂わせて終わるラストカットでは、突然主人公が別人のような表情を見せる。主人公の心情と思考回路の飛躍が、どうにも咀嚼できない。
青春ラブストーリーとサイコスリラーのミクスチャーに成功。悪意が溢れる世界の中で、高三男子と高一女子が出会い、お互いを守るために強くなっていくが、肝となる二人の会話が、作品の中で浮いてしまっている。膨大な量の台詞を、心地良い声音で、淀みなく畳み掛ける清らかな台詞回しは、聖歌隊の歌声のよう。中川大志と石井杏奈の技術が、演出のチューニングミスにより裏目に出てしまった。とはいえ、ヴィランを演じた堤真一の芝居だけでも、料金の価値はある。
古い日本家屋での暮らし、手入れの行き届いた庭園の季節の移ろい、三世代の女優。これらを映し出す映像の美しさが圧倒的だ。時間の流れの緩やかさと、濃密で潤いのある緑に、台湾映画に通じる楽園の匂いを感じていると、チャン・チェンが登場。唐突感と違和感は否めなかったが、世界観との相性の良さで押し切った。古き良き暮らしを尊んで終わるのではなく、未来へと自立する若い世代へのエールも伝わる。とはいえ128分は長い。監督以外の人がシビアに編集した版が観たい。
原作ものをやっているが、あまり知られていないものを発掘しているところにまず好感を抱く。それと監督の三人がみな俳優。しかも役者根性バリバリの人たちだ。思えば名作をものにした俳優監督は幾人もいる。伊丹十三、北野武、奥田瑛二等々。古くは山村聰や佐分利信もいる。また衣笠貞之助も藤田敏八も元々は役者だったのだ。映画の核心が芝居を撮ることだと思えば、芝居をよく知る俳優が監督をするのはとても理に適っている。いいものを観させてもらった。
いじわるなことを言うと、“無認可保育園”なのに、遊具なども充実したちゃんとした保育園にしか見えない。そんなところで保育士の資格も持っていないさくらが働けるんだろうか。ピアノだってちゃんと弾けて、一端の保母さんだ。リアリティは映画の必要条件。そこに疑問を持ってしまうと後がつらい。さくらは誰かに依存していないと生きていけないかのようだ。一緒に住む母、そして保育園の園児のお父さん、そして離れて暮らす父。そこには性的な匂いもする。惜しい作品だった。
結局そうなるんだから、早く警察に通報すれば良かったのに、と思わないでもなかった。激情に駆られた者は必ず負けてしまう。人物像がくっきりしていて、ストーリーは頑丈でまっすぐ。良き映画に欠かせない要件がきっちり満たされている。ヒーローになりたいということが戯言でないことを少年は負けることで、少女は勝つことで証明した。今を写し撮っているようでいて、やはり普遍を描いている。無残ないじめや暴力に彩られているが、見終わってすっきりした気持ちになった。
庭の手水鉢に泳ぐ金魚、椿などの庭の様々な花々、緑の葉に這う虫や鳥の囀り。着物を着つけた初老の夫人の気品ある所作、その孫の素朴で瑞々しい佇まい。それらすべてが「美しい」のだ。いやになるほど聞かされ、見せられてきた日本の美。きれいに撮るものだなと思っていたら、監督は広告写真の名手らしい。物語はあまりにも予定調和で、やっぱりこうなんだなと思うことの連続である。それはそれで完成度が高ければいいとも思うが、いかんせん心に残るものはあまりなかった。
レンタル・ビデオ屋で終業時に残したメモの位置の変化が9・11を告げるなど、極小と極大がつながって、何気ない細部が人生の機微を語る。久しぶりの監督となる竹中直人、数本目の齊藤工、初監督の山田孝之、演出経験の差を感じさせない仕上がりで、齊藤、山田の今後も期待させる。ただ、挿話を切らずにつなげているとはいえ群像劇として人物が縦横に絡み合うわけでもないので、オムニバスでよく、そうすれば各演出家の力量が残酷に晒されるわけで、その方が良かったと思わなくもない。
大人になりきれないヒロインが、保育所に臨時に働きに入って、幼年時代自分が大切にされていたことに気づき、離婚して今は一緒にいない父に似た園児の父にほのかに恋をするといった経験を通して一回り成長する。煙草の匂いとか、カレーの肉といった感覚に関する細部を積み重ねることでヒロインの感情を動かしてゆく手つきも危なげなく、ヒロインと同世代と思しき監督の、等身大のビルドゥングスロマンとしてよく出来ている。次回はもう少し難しい題材を選んで、冒険することを期待。
自分のいじめ被害などの不条理な不幸をUFOのせいにして耐えていた女子が、ヒーロー志向の、これも若干痛い先輩に気づいてもらえたことを力に、戦ってもいいんだと悟る。UFOとかヒーローとかトンデモな話が実は主人公たちの切実な心情を表現し、下らなくてアイロニカルな会話もその底に真情を隠しているという逆転は確かに原作のラノベ風で、そのひねくれ具合が今どきな印象。原作有りなので仕方ないが、欲を言えば巨悪召喚による大味な解決より、学校内での人心逆転劇を見たかった。
庭があり、広縁がある、木造で、光線の柔らかい昭和のごく普通の住宅(といっても海が見える相当良い立地だが)。記憶が宿っていると言う言葉がすんなり腑に落ちる。登場人物たちだけでなく、カメラ自体もその家への愛惜を抱いているかのような映像は、カメラマンが監督だけに確かに見事なのだが一本調子。家をほとんど一歩も出ない作劇、死ぬ金魚や断末魔の蜂、落ちた椿など、象徴があからさまなのもその単調さに輪をかける。家を大切にすると言って買収しつつ破壊という展開もあざとい。