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「リング」のビデオテープを例に挙げるまでもなく、ホラーはメディアの進化と共に歩んできた。そう考えると、ズーム・ホラーの登場はまさに必然であり、それ以上に、これまで無数のホラー映画が描いてきたパンデミック社会が本当に到来してしまった現在は絶好の機会でもある。しかし、本作で評価できるのはそのスピーディーな製作体制だけ。個々の描写に関しては、近年量産されてきたフェイスブック・ホラーから後退さえしている。最初から霊媒師が出てきてズッコケた。
アルツハイマーとシェイクスピア劇。そんな本作の二つのモチーフに対して個人的に距離を覚えたことを差し引いても、原案者と監督の手による脚本だけが作品を駆動させていることに居心地の悪さを感じた。画面からは舞台である「ロサンゼルスの郊外」らしさがちっとも伝わってこないし、主人公が乗る友人の車を外側からとらえたショットさえ一度もない。「アメリカの名優と映画を作る」のが監督の野心なのだろうが、アメリカで映画を撮ることにはもっと重みがあるはずだ。
テレビシリーズを追ってる人にとっては「『Veep』のショーランナーの新作」と紹介するのが適切だろう。メインキャラクターだけでなく周辺のキャラクターもちゃんと活きている丁寧なストーリーテリング、少々優等生的なコメディ・センス、多様性やジェンダーへの周到な配慮。原作はこれまで何度も映画化されてきたディケンズの代表作だが、本作におけるアーマンド・イアヌッチのアプローチは、自社作品を現代のコードに合わせてリメイクする際のディズニーの手法に近い。
クリストファー・ランドンの根っこにあるのは脚本デビュー作となったラリー・クラーク「アナザー・デイ・イン・パラダイス」なのか、ハリウッドで足場を築くきっかけとなった「パラノーマル・アクティビティ」シリーズなのか。ブレイク作として文句なしの快作「ハッピー・デス・デイ」を経て、蛇足気味の続篇、そして題材だけ変えて構造ほぼそのままの本作に到ったことで、おそらく後者なのだと知る。コスり倒せるだけコスり倒すのがホラー作家の美学なのは心得ているが。
ロブ・サヴェッジ監督、スタッフ、出演者が一度も接触することなく、全篇Zoomで撮影された、2020年ならではの意欲作。“交霊会”という、インターネットならではの恐怖を煽った着眼点は面白いが(脚本もサヴェッジ監督による)、大勢の観客と一緒に大きなスクリーンで観るよりも、ひとりでPC鑑賞した方が断然、臨場感や恐怖度が増すモチーフであるのが悩ましいところだ。本篇終了後に流れる、約5分間のリハーサル映像は蛇足。ここが見どころだなんて、くやしいではないか!?
甘いユリの香りに包まれて、ガーシュインの音色にのせて、リリィとダンスをするシーンや、43年後の別れのシーンより、年老いた二人が突然の雨にずぶ濡れになったベンチのシーンがみずみずしく印象的なのは、70歳のクロードの作為が及ばないせいだろうか。そういう意味では、クロードの孫娘タニア(セレナ・ケネディ)の存在が魅力的だった。少女の存在が、祖父の眩い記憶も、両親の愛の翳りも、そして自分の恋までをも(このしたたかさが若やいでいて素敵!)美しく浄化させていく。
ユーモアあふれる登場人物たちがいきいきと描かれて楽しいが、厚みのある、小説的な人物として成功しているのは、ティルダ・スウィントンとベン・ウィショーか。ディケンズ的な世界ともいうべき人間や社会の影については、アーマンド・イアヌッチ監督の鋭さは感じられず、クリスティーナ・カサリの美術がイギリス・ヴィクトリア朝時代の格差社会を代弁した印象だ。代弁とはいえ、カラスの家に逆さの船の家、瓶詰め工場に伯母の家など緻密な舞台設計が作品の背景を雄弁に物語っている。
ヴィンス・ヴォーンのラブリーな好演で、中年男と女子高生ミリーの入れ替わりが大成功! コメディ度が高まり、楽しい仕上がりに。ヴォーンに比べると、キャスリン・ニュートンの度量不足はやむなしだが、ニュートンの若さをいかしたヘアメイク&衣裳でうまくカバーしている。ミリーの大切な人たちが死なない展開も好み。特にナイラ、ジョジュとの友情はもう少し掘り下げたドラマが見たいくらい魅力的な関係性だった。〈ケ・セラ・セラ〉から〈Suck My Cherry〉まで、音楽もたのしい。
コロナ禍でロックダウン中、Zoomでの複数対話をPC画面上のみで描く。使い古された「交霊」と「POVモキュメンタリー」をあの“閉鎖的だけど繋がってはいる状況”に上手く組み込んでいる。家のPCで観たのだが、決定的なシーン直後、無人の室内だけが延々映し出されている映像が続く。演出と思って数分間観ていたが何も起こらない。スマホに変えると続きが観れた。今まで配信試写でこんなことはなかったので、心底ゾッとした。それも含めて「今」の体験型ホラーだった。
年老いた男が、アルツハイマーになった元恋人に自分との記憶を取り戻させるため自分もアルツハイマーのフリをする、というその設定からして“シェークスピア”。劇中、『ハムレット』と『冬物語』を巧みに引用することで、高齢者同士のシビアな恋愛ではなく、かつての恋人たちの記憶をめぐる再会として物語は展開され、ロマンティックにならざるを得ない。主人公が元演劇評論家で、なおかつブルース・ダーンが演じていることで、シニカルな要素も絶妙に加わり、甘すぎないのも良い。
ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』の映画化で、作家デイヴィッドが自分の人生を振り返る構成は原作と同じ。彼の現在、記憶と妄想の境界線を曖昧にした挿話が数珠つなぎで綴られるのだが、そのダイジェスト的演出にイマイチ乗れなかった。しかし最終的に〈ディケンズの体験を基にした物語のさらなる映画化〉という幾重にも重なった虚実皮膜な人生を描くのには適していたのかも、と。その視点の作品として考えると邦題に“作家”入れたのはアリかな、とも。
「殺人鬼もの」と「ボディスイッチ」という特に目新しくない題材を掛け合わせて(「ズーム」もそうだ)斬新なホラーを作り出そうという「ハッピー・デス・デイ」の監督らしい意欲作。殺人描写はかなりグロいが、基本的に主人公の女子高生ミリーを虐めていた嫌な奴しか死なないし、殺人鬼の見た目はミリーなので、残酷であればあるほどスッキリもする、というのはまさに新感覚。ヴィンス・ヴォーンの女子高生っぷりは予想以上にハマっていて、まさかのキスシーンは悶絶しながら爆笑。