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閉塞空間の物語ではなく、ジャン・バルジャンばりの過去を忘却する振りの物語でもない。中心不在の宙吊りにされた村の「事件」は、本弄される主人公の「心」そのもので、神秘であると同時に限りなく凡庸だ。美しすぎる光に満ち溢れている全篇は、神はどこにでも存在するし、不在でもあると語りかける。ポーランドらしいミニマルで完成度の高い脚本とカメラワーク。劇中の登場人物にとって我々観客自体が、「神」の存在だとしたら、「神」とは我々を覗き見る不在の鑑賞者なのか。
まるで『歌舞伎町24時』の臨場感。ドキュメンタリー風なスピード感と、浅めの情感描写を滑走していくテンポ感が心地良い。犯罪抑制の啓蒙的な立場でもあるのだが、娯楽の域を保持。イランでの逮捕〜留置〜取り調べ〜裁判〜実刑の過程は、日本とはまるで異なりスピーディで、それはこの映画の展開の速度とも重なる。日本でお馴染みのカンヌで活躍しているイラン系映像作家たちとは、全く異なる趣向が新鮮だ。敢えて深みのある感情や哲学、割り切れない犯罪者の精神構造などは回避。
実際の大統領暗殺事件を基にしている作品。「はちどり」の「聖水大橋崩落事故(1994)」や「国家が破産する日」の「IMF介入(1997)」など、国民の誰もが記憶に刻まれた事件。映像体験と個人体験との関数における変数は、韓国民なら化学作用を引き起こすはずだ。いまでも大統領の辞職は、逮捕や不名誉な失脚を引き起こす。これは首長が命懸けで職務を全うし、責任を負わねばならないという気質がそうさせるのか。ハリウッド的演出はなく、史実を義勇的に描写する。
笑いっぱなしのコメディ。人間関係や社会には、こういう底抜けの明るさと適当さが必要だ。そもそも異性同士の結婚制度が破綻している昨今。賛成する側も反対する側も、全ては「寛容」が大事。愛する人がいて、美味しいものを食べ、素晴らしい空間と時間を一瞬でも良いから共有する。それ以外何があるというのか。大都会ではなく、田舎町だからこそ認め合い尊重することが何よりも大事なのだ。勝ち得たのは、ゲイでも男性でもなく、「女性」だった。永遠は期待しなくとも良い。
ポーランド人監督ヤン・コマサはDVDで見られる「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」もNetflixの「ヘイター」もとても面白く注目すべき才能だが、本作は肩に力が入った感じ、お行儀よい映画祭向け映画でやや退屈だ。他作は派手な見せ場があるエンタメ寄り映画なので、本作をコマサ監督の標準と考えないほうがいい。実話ベースだから仕方ないが、逸脱ない展開から突如ギョッとする結末が訪れるのは、あまりにステレオタイプな脚本に対する監督の鬱憤が炸裂したようにもとれる。
異国趣味の強い個性的警察映画。緊張感が持続する撮影編集はヨーロッパ映画に近く、イラン娯楽映画の技術進化を示す。一方で刑事と犯人の比重が時々切り替わりどっちが主人公か戸惑うし、刑事アクション、警察・司法腐敗の実録告発、麻薬犯罪抑止の啓発などに趣意が拡散して一貫性を欠く印象も。イラン製男性活劇に興味のある私はその渾沌とした質感を地域性や独自性として面白がれるが、万人向けではなさそう。むさ苦しい中年ヒゲ男しか登場しないので、ヒゲ男愛好者はたまらんだろう。
イ・ビョンホンが眼鏡をかけ市川雷蔵風に硬質演技する渋さに酔えれば高評価になろうが、私はそこまで彼のファンじゃない。朴正煕は74年に夫人・陸英修を亡くして以後、政策に意見する人物を失って独善暴走する。その経緯や元部長によるコリアゲートの発端、政敵・金泳三を支持する米国の工作など背景説明が希薄なためKCIA部長の暗殺動機が個人の対立感情に矮小化されて見え、政治サスペンスの力感を欠く。自国の元首暗殺を根拠の薄い劇画調にするわけにもいかなかったか。
同性愛・同性婚テーマは今どき珍しくないので要は主人公をとりまく個性的脇役のドタバタと、それを伏線にした結婚式の新奇や感動に置くべきだが、驚くほど何も起こらず、バイヤー向けダイジェストビデオ並みの尻切れ感に「これだけかよ……」と啞然とする。これで本当に完成形なら撮影時のトラブルを勘ぐる。小奇麗な空間で見目麗しいヨーロッパ人俳優が仲良しごっごするだけ、不幸感不潔感ゼロの砂糖菓子映画はひたすら幸せ光線を浴びたい能天気な観客なら満足できるかも。
実話の映画化とはいえ、どんな職業だろうと勉強や資格などの必要な工程をすっ飛ばし、ラクして騙るのは許し難いので、そもそも設定で拒否反応が出てしまった。趣旨と異なる感想だろうが、ときに愚直さも必要かと思うので。犯罪者と神父の組み合わせが意味ありげに見えるだけで、じつのところただ短絡的な犯行に基づく出来事だ。「神父ごっこ」ができるのも、悔い改めていないから恥じずに嘘をつけるのだし、最後に主人公がカメラを真正面から見つめるしぐさも傲慢に感じる。
緻密に描かれつつも大胆で疾走感のある社会派映画。無駄をそぎ落としてなお溢れる会話の中で、特に警察内での尋問シーンがイラン映画らしく得体が知れなくてイイ。麻薬密売関係者が正直な回答を避けるため、言い逃れをする際の無駄に感情表現を挟まない態度は、クライマックスでの死を巡る動揺を鮮烈に際立たせる。巨漢の男たちを使ったシーンも監督の余裕が見えるよう。好調な時期のシドニー・ルメット作品のような雰囲気とクオリティ。ラストカットもなんとも心がざわつく。
最近の韓国映画では、社会派の作品を立て板に水のような語り口で撮るのが流行なのだろうか。テンポ的にはアダム・マッケイ作品のようにスピーディーで、振り落とされそうになる。非常に強面な作品で、でもそこが本作の振り切った魅力だ。抽象的ともいえるセリフと、緊密に張り詰めたドラマは観客に集中力と緊張を強いるが、政治劇としての渋さと強度にしびれる。その硬質さの中で、感情的な芝居はほとんどしないのに、揺れ動く心理を表現したイ・ビョンホンの演技力に驚嘆。
子どもが同性愛者であることを受け入れられない親について、ステレオタイプな描き方をした作品だ。そして深く考えずに楽しむロマンティックコメディとしてなら、ネタとして利用すべき題材ではない。頑固な父親と理解ある進歩的な母親という設定もおきまりで、もっと新鮮さがほしい。「窮鼠はチーズの夢を見る」でも思ったが、ゲイの男性に恋して恋人から奪おうとする女性が、恐ろしいほどがさつでデリカシーがないキャラにされるのは異様だ。嫌な役でも掘り下げは必要だろう。