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シンプルで親しみやすい図版。色使いも新鮮で愛嬌がある。菅谷晋一のことは今回、初めて知った。そのアトリエでの手作業をじっくり追いながら、彼と近しい関係にあるザ・クロマニヨンズのメンバーや、音楽関係者などに菅谷の世界を取材しているのだが、デザインや業界のことなど門外漢のこちらが観ても面白く、教わることも多々。南部監督の演出もさりげなく遊んでいて、スタジオの椅子に座って1人ずつ語るザ・クロマニヨンズの画像が菅谷的デザインを連想させるのも粋。
霊視者とか除霊師とか、ご大層な人物と設定による怪談仕立ての犯罪ミステリーで、あまり怖くはないが、あと味はかなりエグい。場所も人物も限定されて進行、そういう意味では広がりはないが、細かな仕掛けに凝っていて、娯楽映画としてそれなりに達者。題名の“さんかく窓”にもトリックが、と思ったら、なんのことはない霊視者の名前が三角=みすみで、三角が犯罪の窓口にってワケ。除霊師とコンビを組むことになっての作業手順にクセがあるのが面白い。シリーズ化してもいいかもね。
ナント町役場が、おもいで写真という名目で遺影写真の斡旋!? 映画の軸は、年配者相手にその写真を撮ることになった結子の成長ものだが、29歳、東京で目指した仕事に不向きと言われ、故郷にUターンしてきた結子の無神経、かつ未熟な言動がいちいち不愉快で、いくらその理由に触れていても、あっちへ行ってよ。オリジナル脚本は、記憶と思い出、思い込みについても言及しているが、とにかくこの主人公が手に余る。年配者たちのせっかくの笑顔写真が結子のサシミのツマに見えたりも。
目的のためなら、手段を選ぶ――。その目的とは、そして手段とは――。それにしても、仲良し3人組(男子2人に女子1人)の青春ものと思いきや、いつのまにか立場の違う男2人の友情物語に移行。が真の目的は手間、ヒマかけた“ある企み”にあり、何やら、ひと頃、はやった“ハーレークインロマン”の世界。ともあれ説得力はともかく一粒でいろんな味のする変わり玉のような映画で、すべてが明らかになる終盤は、確かにえーっ。かなり暗い情熱に満ちた青春秘話だが、一見の価値あり!?
昨年もっとも感銘を受けた広瀬奈々子監督の「つつんで、ひらいて」同様、菅谷晋一という創作者のことばと仕事ぶりをストイックにとらえていくことで、その表現の根本にあるコミュニケーション(人と人、人とことば、人と音楽のあいだでの)の思想を浮かび上がらせていく。ただし、「つつんで〜」があくまで菊地信義の生活動線に沿って構成されていたのに対して、こちらは著名人・関係者へのインタビューをふんだんにちりばめた、より饒舌なつくり。どちらがよいかは好みだが。
ヤマシタトモコの原作マンガは、よくあるゴーストハンターものと思わせておいて、感覚を研ぎ澄まさなければわからないような人間関係のアヤを丁寧に描いてみせた点に魅力がある。ところが、この映画はみごとに表層的な部分に絡めとられており、おまけに微妙なバランスで成り立っている原作の人物配置をきわめて平坦で図式的な描写に移し替えている。興味深いはずの主人公たちの背景もきちんと深められることはなく、最後まで「中心」をもたない凡庸なミステリドラマで終わってしまった。
深川麻衣は、横顔が語る女優である。熊澤尚人監督と撮影の月永雄太は明らかにそのことを意識していて、彼女の横顔が次の展開を予期させたりさせなかったり、そのスリリングな振幅で物語を運んでいく。この映画の最大の見どころである。一方で彼女以外の俳優陣、むしろベテラン勢はというと、それぞれの役柄を達者にこなしているという感じで、ありうべき「おもいで」がいまひとつ身体化されてこない。写真に語らせようとするまえに、映画の語りにもう少し工夫がほしかった。
「キサラギ」の佐藤祐市監督ということで悪い予感がしたが、頭で考えた話(原作)を見映えのするキャストを使ってまとめてみせた、悪い意味での職人仕事。迫真も感動も定型通りに用意されてはいるが、結局はどこかで見たような展開やセリフが散発的に繰り出されるだけなので、絵空事がリアルな実感となってわき上がってこない。主題歌からなにからすべてがお膳立てされた予定調和のなかで、現代の名手・近藤龍人の陰翳を際立たせた撮影が、かろうじて映画の彩りを保たせている。
菅谷晋一の人と仕事、実に魅力的だ。同時代にこういう人がいて、こういうことをやっている。それを知った。とてもうれしい。南部監督がどの程度まで意識していたかはわからないが、デザイン論としてもここには発見がある。かつて映画が発展したときにそれまでの芸術に対してどれをも含みうることを誇ったのと同じような可能性と位置を、いまデザインは手に入れた。それが暗示的に語られ、画作りにもデザインの力が活用されている。題材的にそうでなければ困るが、音楽もいい。
子供時代の体験が人を縛る。映画、初期からずっと負債的に、それに抵抗できない人物が逃げ込む場所になっているかもしれない。本作に登場するのは、幼いときから特殊な「除霊」の力をもつ二人の心霊探偵。事件性の差はあるが、過去を背負っている。まず、自分をなんとかしろと言いたくなった。ともかく二人は解き明かすべきものに立ち向かう。どこまで話を持っていけばいいか。森ガキ監督と脚本の相沢友子、もたつきながらも、わかっている作り方で、見終わってなんとなくホッとした。
コンスタントに作品を放ちつづける熊澤監督。本作のストーリーは九年前に書き、推敲を重ねてきたそうだ。題材への肩入れは納得できる。遺影のための写真を、その人の思い出の場所で撮り、よろこんでもらう。最初はふてくされ気味だった深川麻衣のヒロインがその仕事をやりながらポジティブに変化する。障がいと老いや地方の問題も視野に入れ、堅実に、そしてわかりやすく、ということだろうが、人物の性格や行為の動機づけの、いちいち作っている理由が浅く、底割れするのが惜しい。
佐藤監督で、カメラは近藤龍人、衣装は宮本まさ江。工夫した画作りを楽しみたいところだが、大時代すぎる話で呆れた。装置的には現在の風景を、愚かな執念とその相棒が今風の顔で歩いている。ひとりの異性が命がけの仕掛けを用意するほどの目標になることが納得できないし、復讐譚だとしたら不可欠な痛快さとカタルシスが訪れない。原作、行成薫。韓流に対抗できそうな、その物語への野心には敬意を抱くが、一政治家の破滅程度で何が終わるというのだろう。命、虚構でも大切に。