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絵画にまつわるあれこれを題材にした映画は数あれど、伝記や実話ベースではなく、監督のオリジナル脚本でここまでの高みに到った作品は記憶にない。精巧なストリーテリング、単純に「絵画的」と呼ぶにはあまりにも独創的な画作り、徹底したディテールのこだわり、ジェンダー問題に関するシャープかつ本質的な切り口。共感度やテイストの合う合わないを超えて、今年観た映画で最も驚愕した。作品に関わったクリエイターすべての今後のキャリアが躍進するであろう一作。
どこかの島に不時着した後、正体不明の黒い巨人から逃れてオートバイを走らせる少年。その「巨人」が『エヴァンゲリオン』の使徒、あるいはその源流にある「風の谷のナウシカ」の巨神兵や「天空の城ラピュタ」のロボット兵を参照しているのは明らかだが、簡素な筋立てに比して異様な長さ(81分)にも思える物語を推進しているのは、ビデオゲーム的な想像力と時間感覚なのだろう。「たった1人で3年半かけて作った」という作品の裏話は、わりとどうでもいいかな。
原作の出版は2012年。したがって、映像化に際して最低限の補足はされているものの、主題は2010年代初頭に起こった、全米最大のレンタルビデオチェーンであるブロックバスターとの郵送レンタルDVD事業の覇権争いについて。それはそれで題材としての歴史的価値はあるものの(もっとも、書籍版の方が人間ドラマとして数倍面白いが)、激変期に入った現在のストリーミングビジネスについて得られる知見はない。配給が集めた見当外れな著名人の推薦コメントには失笑。
序盤はメンタルヘルスや新自由主義社会における労働の問題に切り込むかのように思わせるものの、良くも悪くもいかにもセドリック・クラピッシュ的な生温いメロドラマに着地。60代を目前にして初めて組んだ若手の撮影監督や編集者と、現代の独身都市生活者の男女を描くという心意気は買えるものの、例えばマッチングアプリの虚しさみたいなものを今さら得意気に語られても。世界は既にアジズ・アンサリ『マスター・オブ・ゼロ』のような傑作を通過している。
細密画のように緻密に、すべてが設計された映画だ。印象的なマントで、世間の荒波から身を守っていたエロイーズが、マリアンヌと恋に落ち、一糸まとわぬ姿を晒す。そのひとつひとつが絵のように美しい。規律やしきたり、観念にも支配されない、自分自身や新しい感情、そして深い愛情を知ってからのゆるぎない自信は、彼女をさらに輝かせる。しかし結末から逆算すれば、ソフィも交え、3人の娘たちが島で過ごした数日間ののどかさが切ない。見るとは認識すること。過酷な時代を思い知った。
ラトビア出身の監督が、3年半の歳月をかけて、たったひとりで本作(監督にとっては初の長篇となる)を完成させたというエピソードが、主人公の少年に自ずと重なる。しかし、飛行機事故に遭っても生きのび、言葉が意味を持たぬ、深遠な世界に辿り着いたというのに、物語の最後で、家族と再会した亀と同じく、少年の旅もそこに帰結してしまうとはもったいない。森も海も動物たちも独創的に美しい島で、黄色い小鳥が、旅の途中で飛べるようになったくらいの変化や広がりが彼にもほしかった。
Blockbusterと仁義なき戦いを繰り広げていたかと思いきや、いつの間にかハリウッドに斬り込んでいたNetflixの大胆不敵さ! 原題に納得だ。現CEOのリード・ヘイスティングスと共に会社を立ち上げたマーク・ランドルフの、熱っぽいしゃべりには、ついつい耳を傾けたくなるような魅力がある。人懐っこい笑顔で、中華AVスキャンダルを語られると、笑い話みたいに感じてしまうが、クールな着眼点には脱帽。ケヴィン・コスナーの、映画は世界に向けてつくるものという名言も拾い物。
ブルゴーニュも悪くはなかったが、クラピッシュがパリへ戻ってきたよろこびは格別だ。チーズ派(!)の男性レミー、白猫、エスニック料理店のクセのある店主(娘とのさりげないやりとりもキュート)、そしてロマンチックな結末。時代は変われど、クラピッシュらしい、多様性に富んだ、やさしい世界に嬉しくなる。クリスタル・マレーなど、若いシンガーを起用する音楽センスも素晴らしい。プレス資料の「“すべてを手放す”ことをしなければ、ダンスは踊れない」という監督の言葉が深い。
肖像画を描く者と描かれる者の間に生まれる独特の関係性。その肖像に「本質」は映し出されているのか。この二人の愛がいつ始まったのか、はっきりとは描かれない。すべては目に見えるものではない。本作の監督シアマと描かれる者を演じたエネル、この二人の個人的な関係、記憶が反映されているようにも感じた。劇伴がない作品だが、劇中ある曲が演奏されるシーンが2回あり、その巧みさ、美しさに感動。ラストシークエンスにその“目に見えないもの”が映し出されていて、震えた。
これは一体どこの国のどんな人たちが作ったのだろうか、と途中から考えてしまったのは、登場人物が一人で全篇セリフが一切ないというのもあるが、このオンラインRPGまんまの世界観(孤独な「レディ・プレイヤー1」とでも言うべきか)が閉鎖的なのに自由度が高く、終始、他人の夢に入り込んだような不安定な感触だったからだ。後で本作が25歳のラトビアに住む青年がたった一人で作ったということを知り納得。家にいながら得られる膨大な情報と体験が融合された現代の個人映画。
Netflixの戦略、成功への道のりを軸に、エンタテインメントの近代史をエンタテインメント要素満載で描いたドキュメントだが、レンタルビデオ→DVD購入→宅配レンタル→サブスク配信という自分が家庭内で映画を楽しんできた歴史の裏側を知る面白さもあり、ダビデとゴリアテに例えられる大手レンタルビデオ会社ブロックバスターとのスリルに満ちた攻防などは、まさに仁義なきビジネス映画の世界。今後、間違いなく劇映画化、ドラマ化されるだろう。もちろん配信オリジナルで。
隣り合うアパートに住む30歳になる男女それぞれの日常が同時進行で綴られる。仕事のストレスと過去のトラウマに向き合い、SNSを使って先に進もうと奮闘するが、うまくいかない――そんな世界のどの街にもある風景。二人はいつ出会うのか? とやきもきする一見ベタなすれ違いボーイミーツガール映画だが、都市で暮らす独り者の内面を繊細に描き、孤独とともに生きることのリアルを映し出している。クラピッシュ監督らしい「その後」を想像させるために組み立てた構造も見事。