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愛(≒肉体の接触)してくれない男を次々と殺す、女装の男。中年男性に見えるが、ジェンダーや生態は謎のまま。映画史にちょっと見当たらないユニークな連続殺人鬼を創出した時点で、本作は勝ちである。人も車も通らない見晴らしのいい四ツ辻で、〝ヤバい人〟を煮詰めたような女装男が、自転車男子を理不尽に殺める初登場シーンに、「ノーカントリー」のシガーを想起。「食べて、祈って、恋をして」ならぬ、彼が「恋して、殺して、旅をする」、シリアルキラー版寅さんシリーズを切望。
豪華キャストに、渋谷駅前の爆破シーン、“トーキョー”を代表するロケーションなど、企画書に羅列されたセールスポイントの映像化で終わってしまった。現代日本を舞台に、反戦のメッセージを込めた、エンタメ大作を作ろうという心意気が伝わるだけに残念。特に人物描写は、肩書きや役割、目的を背負わされているだけで、映像や台詞にない部分の背景や想いが抜け落ちているため、スリルもラストのカタルシスもない。尺を伸ばしてでも、キャラクターの肉付けをすべきだった。
主人公が、エピソード1では汚染水の流出を止めるためにボルトを締めて、エピソード2では避難区域で遺品を整理する。延々と映し出される“作業”により、観客に退屈の先にある何かを体感させようとしているのか? しかしエピソード3では、子役たちが学芸会芝居で説明する“振り”を、思わせぶりなファム・ファタールが回収する。アートフィルム、写実主義、ファンタジー。フクイチ事故に人生を狂わされた主人公を、異なる3つの質感で表現する試みは面白いけれど。
反戦運動に関わった活動家、阻止する側の機動隊、巻き込まれた周辺住民、戦車の輸送を引き受けた運輸会社の人たちの、証言内容の食い違いや、見え方や温度の違いが興味深い。とはいえ、一〇〇日の闘争を日報のように綴るスタイルは、この事件に興味がある人以外にはなかなかの苦行。全体の残り三分の一あたりで、日本に米軍基地があることの意味に迫り、日本もベトナム戦争に加担した加害者だと気付かされ、一気に緊張感が増すが、楽曲で言うところのAメロが長すぎた。
こういう映画はわりと好きだ。低予算ながら破壊的なエネルギーを秘めた、硬直した映画界に仕掛けられた自爆テロのような……。が、これはそうはなっていなかった。クズが次々に出てくる。クズで凶暴だから、始末におえない。それはいい。クズは映画の重要なアイテムなのだ。が、このクズぶりをもう見飽きてしまった。不快感が先に走って、けだものにさっさと始末してもらいたいと思った。個々のキャラクターをもっと深彫りすれば、あるいは破壊力を得られたかもしれないと思った。
始まってすぐ真犯人がわかってしまう。だからいくらレッドへリングを施しても無駄である。それにしても渋谷で大爆発が起きたのに、その報道シーンで死者・負傷者数すら出さないのは、どういう忖度なのか。よもや、真犯人が「本当はいい人だ」というイメージを損なう危惧があって、出さないのではあるまいか。もしそうなら、それこそ身震いがするほどのホラーだ。日本映画が死んでいく。テロリストになった経緯は説得力ゼロ。心優しき空気読みの日本人には、こういう映画は無理なのだ。
ディレクターズ・カンパニーは、メンバーの監督たちが交互に他のメンバーの監督のプロデューサーを務めた。プロデューサー/根岸吉太郎、脚本・監督/林海象。制作は二人が属している東北芸術工科大学。それだけでなんだか胸が熱くなってくる。ポスト東日本大震災をモチーフにした三つのエピソードは、どれも重く、ピリピリと辛い。テーマを真摯に見つめながら、渋いエンターテインメントにしている。野放図な無駄遣いの近頃の日本「メジャー」映画に比して、この映画の凝縮力は光っている。
ベトナム戦争で壊れた戦車を日本で修理して戦場へ運ぶ道にデモ隊が立ちはだかる。あの頃はいい時代だった。そして日本はそこそこいい国だった。アメリカなら民警団がデモ隊に発砲するかもしれないし、中国なら戦車でデモ隊を踏み潰すかもしれない。デモに臨む社会党と共産党、革マルと中核の違いも面白い。機動隊もデモ隊に暴力をふるうが、決して殺しはしない。やんちゃな息子に折檻でもしているかのようだ。いい国「だった」のだ。もう今はそうじゃない、と思わせる逸品だった。
女装のばけものと二重人格者の二人が、殺しが仕事兼趣味の三人のヤンキーをやっつける話。意味を問うても仕方のない話かもしれないが、なぜ女装なのか、ただ宇野祥平に女装させてそのヴィジュアルで奇を衒っているだけに見える。けだものでもばけものでも、「恋する」と言いつつそこに真情があるように見えないのも難。B級ホラーとして作られているのは分かるが、変身までもったいぶるので、見せどころであるはずのアクション、残虐描写が少なくなり、90分が長く感じる。
戦争できる国にするという首相に対し、これは戦争だと国民を人質にテロを仕掛けるわけだが、その動機が結局公表されないのでは、犯人の思想を首相や国民に問う切実さが欠け、ただの大量殺人になってしまう。そもそもPKOで地雷除去の記憶が動機では戦争一般の悲惨であり、日本人にとっての戦争を問うことにはならないのでは。犯人の仕掛けが次々、とアイデアの積み上げで進めていくべきところ、渋谷でのテロ描写にカロリーが使われ、ヤマが一つだけでは関心も持続しない。
主人公が同一人物とすると、1と2で、フクシマ絡みで誰もがやりたがらないが誰かがやらねばならない仕事を引き受ける、人の穢れを受け止めるキリスト風の男が、3で人魚の肉を食った不老不死として実際にGod(タイヤのGoodyearの看板のoが一個抜ける)となり、永久機関を発明する、と解釈可能かと思うが、少し見えにくい。1はSF、2は人間ドラマ、3は寓話とテイストが違うのはいいのだが、物語の飛躍をエピソード間のつながりの弱さに負わせているのは逃げに見える。
不勉強で知らなかったが、相模原の米軍施設で修理されてベトナムに送られる戦車を阻止する運動、その経緯、内部の様々な陰影を含めて描く。証言、資料などが整理されて分かりやすい。移送を阻止していた道路法改定によりこの闘争は終息するが、これは日本領土の米軍への移譲、主権放棄であり、ひいては互恵どころか日本を米の前線基地に過ぎないものに貶める偽善的な安保体制の完遂に他ならなかったことが暴かれる後半が、若干性急とはいえ大きく射程が拡がりスリリング。