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現存する記録映像を編集し、新たなドキュメンタリー作品に仕上げる試みだが、その出来は予想以上。政府に与しない識者たちが公衆の面前で悪者にされ、さらに失政のスケープゴートにまでされ処刑へと進んでいく狂騒が、凄まじい迫力で蘇る。最近の日本の学術会議問題のように、政府の暴走やデマに煽られて過激化する市民の姿を克明にとらえた構図には、時代や場所を超えた普遍性が存在する。基になった映像にも力があるが、資料をここまでのものに仕上げた手腕と発想力がすごい。
香港と中国、富裕層と貧困層など、分断された世界を越境する者の自意識や生活の問題を、華奢な少女と都市の暴力性とを対比させながら描く。その意味で相米慎二監督作や、現在の中国と日本のバブル期との相似を想起させられる。現代的な小道具の使い方や、時折挿入される音楽のフレーズも効果的で、これが長篇初監督だとは思えないバイ・シュエの手腕は、今後重宝されるだろう。一方、劇映画として映える見せ方が追求されたことで、少女の困難をリアルな問題として捉えづらい部分も。
女性との数々の遍歴があるスペインの著名な芸術家といえばパブロ・ピカソを思い出すが、カルロス・サウラの奔放さはそれを超え、4人の妻を迎え7人の子をもうけたという事実を本作で知る。その子どもたちと対話することで明かされていく監督本人のパーソナリティには情報的な価値があるものの、対する子どもたちの遠慮がちな態度が次第に気になってくる。実際にはそれぞれの家庭の軋轢やわだかまりは、より深刻だろうし、そこを厳しく弾劾する内容の方が面白かったのでは。
まだ6年ほどしか経っていない、セウォル号沈没事件を題材とした、被害者遺族や、遺族の悲しみに寄り添う人々へ向けたドラマ。責任の追及や事故原因などには触れず、日常生活がまともに送れないほどの遺族の感情を描くほか、被害に遭った少年を悼む会のなかで、関係者が泣きながら慰め合うシーンで映画は最高潮を迎える。端的にいえば集団的セラピーのような性質の作品で、これも劇映画の一つの形であることは認めるものの、もう少し別の表現はなかったのかとも感じてしまう。
資料を読んでから作品を見たのだが、スターリンの仕組んだこの裁判の異常さにはただ驚くばかり。産業党なる存在しない党をでっちあげ、被告たち全員が当局に事前に指示されたシナリオに沿って陳述し、捏造された罪を揃って認めている。傍聴する大勢の市民は観劇を楽しむかのよう。いや裁判官、被告、傍聴人の別なく、この裁判自体が滑稽な演劇と映る。権力がここまで徹底して演劇的空間を作り出したとは!? スターリンの見世物裁判に戦慄しつつ、歴史は過去でない、が胸をよぎる。
ユニークなドラマである。今日の香港と中国の緊張事態を考えれば、副題から政治的なドラマを想像する。が、政治的なことからは完全に離れた題材の、広義にはJKビジネス(風俗系ではありません)と言ってもいいかもしれない。中国と香港を結ぶ商業都市、深圳から香港に越境通学している高校生の仕事(犯罪)が話のメイン。友だちとの旅行資金を稼ぐために、割りのいい仕事に手を染めたドライな女子高生のイマドキの気質が面白い。周辺の人物を活写したカメラワークとキレのある編集○。
写真を撮り、絵を描き、4人の女性との間にもうけた7人の子どもたちと語らうC・サウラ。過去のことを話すのは好まないと言いながら、その7人と率直に、父子関係から彼らの母親たちとのこと、過去の様々な記憶までを話している。結果的には、質問に答えて語るよりも、多くが明らかになったのではないだろうか。監督F・ビスカレットの当初の方法とは違うという皮肉を含め、かなり面白い。書斎の設え、絵を描く手の力強い動き。書斎から生中継をしているようなライブ感がある。
悲しみの深さ、悲しみとの向き合い方は人それぞれ。家族の中でも、それは相手との関係性によって一様ではない。大型旅客船セウォル号の沈没事故で息子を亡くし、それが引き金になって離婚の危機に直面している主人公夫婦と娘の一家三人。大事故の遺族というくくりにせず、喪失感を父・母・妹の、個人のあり様に落とし込んだ物語にしているのがポイント。その上で隣人、息子の友だちや救出された者、被害者の家族や支援者、補償の問題をバランスよく取り込み過不足のないドラマに。
架空の党の架空の破壊工作の罪に問われる無実の学者たちを入念なリハーサルを経たであろうでっち上げ裁判で有罪にするという、プロパガンダ目的の記録フィルムを再編集した本作、劇団スターリンの裁判官や検事はおろか、被告人までもが台本通りに演じ聴衆を熱狂させる見事な裁判劇になっており、資料として貴重なうえ、独裁政治の非道や、映画が時として悪魔の道具になる恐怖についても考えさせられるのだが、嘘と分かっている茶番を解説なしに2時間観通すのはちょっとキツかった。
ごく普通の女子高生がスマホの密輸という中国特有の犯罪に手を染めてしまうという物語を思春期の気持ちの揺らぎに寄り添うことで説得力をもって成立させており、描写力の高い端正な演出に唐突に差し込まれるアヴァンギャルドなカットやサウンドデザインにも新人離れした才を窺わせる有望な監督であることに異論はないが、同じことの繰り返しに見えてしまう犯罪劇には脚本の脆弱さを感じてしまうし、適材適所が過ぎるキャラクター造形も今ひとつ凡で、あと少し艶とコクが欲しいとも。
スペインの巨匠カルロス・サウラの監督作品を「カラスの飼育」しか観ていない自分でも、4人の妻との間に7人の子供を持つと聞けばその私生活には好奇心が向くし、彼の子供たちにインタビュアーを任せるというコンセプトも興味深いのだが、本作の監督が要所で言い訳じみたナレーションを入れている通り、「被写体のサウラが性格的に自分を語りたがらない」という致命的な難点を映画が乗り越えられていないため、印象に残るのはドキュメンタリーらしからぬ映像効果や空間設計ばかり。
「オアシス」のソル・ギョング、「シークレット・サンシャイン」のチョン・ドヨン、と名優二人が素晴らしい仕事をしており、セウォル号事件というセンセーショナルなネタを扱いながらも韓国映画お得意のあざとい社会派には寄せず、被害者家族の喪失感を静謐な筆致で紡いでゆく抑えのきいた演出が見事なだけに、誕生会シーンの大仰さは個人的にどうにも受け入れ難く、これではいつまでも彼らの時間は止まったままではないかと思ってしまうのは国民性や宗教観の相違ゆえかもしれない。