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ベトナムのキラキラ映画ともいうべきピュアな恋愛作品で、映像にはツルンとしたキレイさがある。随所にCGが使われ、全体的な質はコントロールされているものの、男子高校生の恋愛と、少年時代の思い出が並行して描かれる構成は単調に感じられる。本筋のエピソードに大きな葛藤が存在せず、予定調和に進んでいく物語は安心できるが刺激が少ないし、陰の部分がない明快な演出で、引っかかる要素を見つけづらいまま進んでいくのはつらい。南国の植生や緑の色は美しく印象的だった。
「クローバーフィールド/HAKAISHA」や「クロニクル」のように、フェイクドキュメンタリーの手法を利用しつつ、周到にカメラの位置を計算しながらドラマを見せていく。その撮り方で恋愛を扱うコンセプトは面白いし、予算なりの工夫が随所にうかがえる。だがコメディアンが演じる主人公の異様なテンションの高さや、彼の身勝手な態度ばかりが映し出されるために感情移入が難しく、そんな主人公にヒロインがずっと愛情を感じ続けているのは不可解。わだかまりが募ってしまった。
夢見がちな中年の詩人の役を、ヤン・イクチュンが演じているのが意外だが、はまっているのがすごい。長篇は初だという監督による脚本が巧みで、この男の青年に対する恋愛感情をめぐる物語は、現実の問題に直面しながらも、ユーモアを含みながら先へとどんどん転がっていくのが楽しい。なかでも、女性の登場人物たちの辛辣なものいいが新鮮で、作品に多角的な視点を与えているといえる。田山花袋の『蒲団』を思わせる文学性もあるが、ラストには何らかの視野の広がりが欲しかった。
ベルエポックのパリで有名舞台作品が誕生する内幕と、そこに生まれる切ない恋愛がコメディ調にわちゃわちゃと描かれていき、飽きさせない。基が舞台作品であることと、俳優でもあるアレクシス・ミシャリクが舞台版から引き続いて本作を監督したということもあり、とくに俳優への愛情と、演技への尊敬を強く感じさせる内容となっている。ただ、映画ならではの新しい趣向の希薄さや、舞台版を引きずったと思える不自然な演出も散見され、やはり舞台版の方が本領なのだと思わせる。
美人の転校生にひと目惚れしたお調子者の男子高校生があの手この手でアプローチするが、実は彼女は……、だった。結末で……部分が明かされるまで、10年前の子ども時代の回想シーンがやたら多く、鬱陶しい。例えば時間を超えるファンタジーにするなどの工夫があればすっきりしたかも。それにしても、ことあるごとにしなを作る女性教師、唐突に浮上した体育教師と級長の関係、その顚末など、理解が及ばない。加えて演出のもたつきにも不満あり。風景の美しさには目が和むのだが。
フレンチ・コメディの特徴のひとつに、自らの体験を笑いで伝えることを挙げるとしたら、人気コメディアンが主人公を演じるこの映画はまさにそれ。少年時代から四半世紀にもわたって個人的に撮り続けたホームビデオをつないで観客に披露するのだから。時におふざけが過ぎて引いてしまうこともあるが、雑音を入れて時代感を出したり、カメラをブレさせて素人のビデオ・オタクを演出したりで、それなりに凝った作りをしている。画面に見える映像や通信などの情報ツールの進化が面白い。
ストーリーを進めるためのエピソードはふんだんに並べられている。例えば詩作の不調、不妊治療と乏精子症、夫婦関係、ドーナツ屋の美青年へのときめき、その青年の家庭環境。並べたはいいけれど、これらを回収しないまま次に進むので、待てどもドラマが深まらない。詩人役のヤン・イクチュンは前作「あゝ、荒野」とは違って、いまひとつ役柄から真情が見えない。詩人と青年以外のキャラははっきり描けているのが、なんとも不思議。結局、時は元に戻らないという話だったのでしょうか。
原作戯曲と同様に五幕で構成していることも含め、演劇的なテイストを保ちながら、映画的な動きを計算した演出が冴々。ストーリーの主軸に、友人の恋、抜き差しならない懐事情を抱えた有名俳優に我がまま女優といったコミカルなエピソードを絡める手法は鮮やか。虚実取り混ぜて、監督のA・ミシャリクは、このロマコメを創作するエドモンその人の側にいて一部始終を見ていたかのような滑らかさで物語を進める。楽屋ものの面白さとドタバタ喜劇の愉快さに加えて、好奇心も喜ぶ。
説明過多のナレーション、人物の心情や動きに律儀にリンクさせるミッキーマウシング的手法の音楽のあて方など、とにかく描写が脂っこくてゲップが出てしまうとはいえ、キラキラ映画としてはかなり誠実に作り込んでいるし、幼少時代の物語はすこぶる可愛らしくて好感が持てるのだが、過去と現在の恋模様をさほどの必然性もなく交互に見せてゆく構成のうえに額の傷などという「愛と誠」な古典ネタを被せてしまったら、多くの観客は中途で大オチが読めてしまうのではないでしょうか?
ある男が25年撮りためたものを編集した映像でありふれた人生を延々と見せてゆくこの手法はそれが本物であるなら素晴らしいが、あくまで作られたものであるし、フェイクドキュメントとしてもリアリティ面に首を傾げてしまう部分が多く、そもそも記録者が何でもビデオに収める趣味の男であるからどんなシチュエーションが映っていてもおかしくないというのは、これはもう設定からしてちょっとズルいなあと思ってしまうも、随所に技は感じるし、ラストは胸キュンでよかったよかった。
題材のわりに序盤が妙に軽快なのは狙いで、物語が進むにつれ徐々に深刻さを帯びてくる演出には地味ながらも求心力があり、ダメ中年詩人のヤン・イクチュンの佇まいもリアルに、恋と呼べるのかどうか当人たちにも分からない微妙な感情の交わりを綴ってゆく語り口は優れているのだが、道ならぬ恋の葛藤の相手が「生まれてくる子供」というのはあまりに強敵で、この設定下で一度はそれを捨てようとした主人公を最後まで好きにはなれなかったがゆえに、苦い結末にはむしろ安堵を覚えた。
かなり戯画化されているとは思うが、舞台劇『シラノ・ド・ベルジュラック』誕生秘話を描いた本作、無理難題を押し付ける出資者や我儘女優に翻弄される劇作家残酷物語であると同時に、創作のためなら女心も利用する残酷劇作家物語でもあるのだが、次々と立ちはだかる艱難辛苦を乗り越え初演を迎えるクライマックスの多幸感は落涙もので、並行描写のリアルシラノ物語も美しく、立て板に水の早口台詞と怒濤の展開で一切の淀みを許さず二時間一気に駆け抜ける極めて質の高い喜劇映画だ。