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今どき、ここまでベタな偶然と運命で進行するメロドラマが作られたことに、逆にカンシンする。若く美しい盲目の娘と、心に傷を持つ前科持ちのイケメン青年。偶然出会った2人は、実は不幸な因縁で結ばれていたというのだが、あれやこれやの小道具を使ってのエピソードにしろ、青年の過去の話にしろ、どの場面もくすぐったいほどベタで、観ている当方はただアレヨ、アレヨ。終盤のすれ違いなど、少女漫画だって敬遠しそう。バカ真面目に演じている主役2人に秘かに同情したりして……。
水上勉原作の「はなれ瞽女おりん」で“瞽女”と出会ったこちらとしては、実在した瞽女さんをモデルにしたという本作、彼女の一代記に終わっているのがものたりない。前半は、盲目の幼い娘が自立できるようにと心を鬼にして瞽女修行に出す母親の心情が、後半は親方と巡業の旅に出る若い主人公のエピソードになるが、格別に時代や因習が絡んでいるわけでもない。野や雪山を往く瞽女たちの姿を絵葉書化した映像も逆に安っぽい。子役・川北のんの『おしん』もどきと成人後の吉本実憂は健闘賞。
無数にある情報と、隠された真実。立場が異なる2人を主人公にして、未解決のまま時効となった35年前の〈劇場型犯罪〉事件を今につなげるこの作品、娯楽映画として上々の面白さで、ついのめり込んで観た。むろん、塩田武士の原作の力が大きいのだが、半端ない数の登場人物をパズルのピースのようにえり分けて、さらに回想とエピソードでフォローする脚本が達者で、土井監督の演出も丁寧。中盤で出会う主人公たちのさりげない友情もいい。事件の背景に時代への怒りがあるのも痛烈。
“映画をもっと自由に”という趣旨で、本広克行、押井守、小中和哉、上田慎一郎の4監督が設立した〈シネマラボ〉の第1弾の本広作品だが、ゴメン、スタッフ、キャスト全員が好き勝手をやっている監督不在の学生映画でも観ている気分。ま、話自体が映画など撮ったことがない映研の学生たちが、部屋で見つけた曰く付きの脚本で映画を撮ろうとしてのドタバタ劇ではあるが、中途半端に達者な若い俳優たちと、メリハリの希薄な筋立てによる進行は、実験性よりデタラメ感が強く、嗚呼!!
「罪の声」の直後に観ると、画面構成や映像の余韻になにかを語らせようとしている点が好印象。一方で物語については、元の韓国映画もそうだが、どこまでも愚直で類型的なため、画面に傾注しすぎるとかえって細部の空疎さが目立ってしまう。むしろ大元ネタの「街の灯」がその点でいかに巧いかを再確認させられる結果に。恋人を背負う場面は神代辰巳の「青春の蹉跌」、顔に触れる場面は河瀨直美の「光」を思い出しもしたが、いずれも画面の美しさ以上のものが迫ってこない。
小林ハルの幼少時代を演じた川北のん、成長してからの吉本実憂、いずれもみごと。表情にも所作にも嘘がなく、この時代を生きた女性のたたずまいをいまに伝える。ほかにも中島ひろ子、宮下順子、草村礼子、左時枝、渡辺美佐子、さらには語り部の奈良岡朋子まで、女性陣の自然な存在感と口跡に感嘆した。豊かな黒の使い分けで時代の色を再現した撮影、峠越えのシーンはじめロケーションも圧巻だが、その画にここぞとばかり「感動的」な音楽をかぶせるのはいただけない。
現代個性派図鑑のごとき証言者の面々に近頃の日本映画では珍しい「顔」の説得力を実感する。が、顔の象徴性が最大の効力を発揮するのは後半、宇崎竜童と梶芽衣子の横顔がジャンプカットで重ね合わされる瞬間だ。そして宇崎の口から「闘争」ということばが語られ、歴史が呼び出される。その歴史への執着が引き起こした悲劇――死者はいないと思われた事件のほんとうの貌――が徐々に胸に迫るが、過剰な説明台詞と余韻に乏しい画作りが災いして大傑作になりそこねているのが残念。
冒頭、あの名作と似たような音楽が聞こえてきて、そっくりなカットが出てきたところでのけぞった。まさか、と思ったが、その後は映画による映画の自己言及がはじまる。しかし、段取りは極端に演劇的なので、そのずれがなんとも居心地わるい。で、やはりあの名作のあんな名場面やこんな名場面を再現してみせるのだが、観ているうちにそれに付き合わされている若い役者たちはいったいどういう心持ちでこれを演じているのか、と気の毒になってしまった。世迷言もいい加減にせえ。
前半、かなり引き込まれた。つらい経験をもつ二人が出会い、心を通じさせていく。いまの日本だからこうなるというものにできれば、どんなによかったか。チャップリンの名作をヒントにした韓国映画のリメイク。キリスト教的な善悪の枠組みを土台にした、これでもかという大メロドラマになり、地面が見えなくなった。三木監督たち、人にも社会にもなにかを「問いかける」気はなさそうだ。天使性ありの吉高由里子に、静と動の振幅に地力を感じさせる横浜流星。すてがたい魅力はある。
最後の最後に小林ハルさん、九〇歳のときの歌声が流れる。天まで響くとは、これを言うのだと思う。地を這うようにして修練を積み重ねた末に身につけたその芸と人柄のよさ。彼女がどう育ち、どう努力してそういう人となったのか。瀧澤監督を本作へと突き動かしたものはよくわかる。瞽女になる。その大変さとそれだけでは片付けられない側面。ハルさんの歌がそうであるような、突き抜けた表現に至らないとはいえ、幼い時期の川北のん、青春期以降の吉本実憂、ともに共感を呼ぶ演技だ。
あと一時間というところで時計を見た。そこまでは、題材は特異でもルーティンでこなしている感じだった。そのあと畳み込まれるように、原作、野木亜紀子の脚本、そして土井監督が突きつけようとしているものが鮮明に出て、愕然とした。社会への怒り、抗議、ウップンばらしが、判断力のない存在を巻き込む。許されていいのか。それこそ化石度高い世代の内側からは出せなかった問いだ。巻き込まれた子どもたちの物語。痛切だ。なじみの顔が次々に登場するなかで特筆すべきは宇野祥平。
大学の映研で映画を作る話。未経験の学生がなぜこんなに急にプロっぽくやれるのか。作られていくもののそれなりのクオリティーとともに、そこがそもそも奇妙。いろんな映画作品のことがセリフで触れられるが、人物たちに共有されている「映画が好き」がピンと来ない。使われた押井守の習作的脚本の面白さも、本広監督の映画への思いも、よく見えない。それでも、現実に映画を作る女優小川紗良でなければ、というものはあって、こちらも監督の「勉強」をちょっとだけした気はする。