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文革後もまだ引き締めが続いていた日々から30年間。真面目な庶民の立場で描かれた、中国の変遷していく様は興味深く観ることができた。とはいえリアリティの追求からか、人情ドラマに頼るわりに登場人物の行動が共感しづらく、好感を持てる部分が少ないまま進んでいくため、感慨深さがいまいち薄いのが難点。カイコーやイーモウの、時代を描く群像劇の傑作と比べては酷だが、同じく第六世代のジャ・ジャンクー「山河ノスタルジア」の後発としてもゆるい出来に感じられる。
いわゆる「キラキラ映画」と呼ばれる系統の作品だが、その枠の中で、職人的にオシャレな映像でときめきを作ってきたギャビン・リン監督の丁寧な仕事には感心させられる。なかでも学校生活をみずみずしく撮るところは台湾映画の華。煙草のけむりを使った間接キスをする出会いの場面が圧倒的にいい。その一方で、“難病”や“報われない愛”など、使い古された要素で涙を誘おうとする物語は、「そういうもの」とはいいながら、あまりに安易すぎるように感じられ、興をそがれてしまう。
SF大作映画らしい壮大な設定を用意しながら、登場人物の見える範囲でのドラマを低予算で描くという、ギャレス・エドワーズ監督の成功作「モンスターズ/地球外生命体」に近いコンセプトがあるというのは理解できるものの、思わせぶりなだけの演出はことごとく面白さに結実することはなく、撮りたいイメージに対する本作の映像が、あまりに乖離したものになっていると感じられるのがつらい。名優とはいえ、ジョン・グッドマンをスターの位置で使わざるを得ない事情も厳しい。
夢を見ているような、湿気に包まれた亜熱帯の凱里市をとらえた長回しや、「ラ・シオタ駅への列車の到着」を想起させる、度肝を抜く角度からの列車撮影、驚愕せずにおれないラストシーンなど、映画を遊び場にするように次々に突飛な発想が沸き出るのには感嘆する他ない。切実なテーマさえ見つかれば、すぐにでも巨匠の器だ。ホウ・シャオシェンの「憂鬱な楽園」のイメージ引用も見られるように、90年代アート映画の断片がビー・ガンの基にあることも確認できた。
ドラマの背景を一人っ子政策という中国の政策に置きながら、主題を世界に普遍の広がりをもつ人間ドラマに仕上げたことを賞賛したい。時の政権、政策で国が姿・形を変えても人格を保ち生き続ける個人の、なんと気高く、美しいことか。二人の俳優は、主題を体現するとてもいい顔をしている。過去と現在を往来する大胆だが滑らかな構成・演出に、二人は確信を持って応えている。わけてもヨン・メイの穏やかだが意志の籠る演技は、不穏さが増す今の世に差す一筋の希望とも思える。
身寄りのない若い男女が一緒に暮らし(理解が追いつかない点もあるが)、互いに愛を感じるが片方が難病を患い……。いわゆる古今東西、泣ける恋愛映画の一つの王道を確立しているシチュエイション。そのうえで描かれる独善の愛。自分の死後、自分の代わりに相手を幸せにできる男性を準備する。片や、そんな相手の気持ちを汲み取り、不本意ながら準備された男性と結婚する。二人のこうした独善に共鳴できるかが、評価の分岐点。話を過剰に作った結果であろう、捉えどころが希薄な物語。
米政府が、統治者と呼ぶエイリアンの傀儡となっている設定が面白い。だがその統治者の姿がほとんど見えず、せっかくの設定が生きない。結局、政府とレジスタンスとの、つまりエイリアンとの闘いに敗れた人間同士の闘いに。そんな展開のなかにあって、暗号伝達は伝書鳩、ターンテーブルに乗ったレコードから流れるナット・キング・コールの〈スターダスト〉、地下鉄駅構内の公衆電話など、’20年の今日でも見かけないアナログなアイテムを登場させたのは、アメリカの良き時代の懐古か。
ビー・ガン監督のデビュー作にあたるこの作品は、詩人でもある監督らしく詩的な映像世界があり、かと思えば映画的に構築された物語あり。かつまた圧倒的に美しく侵しがたい自然と、動的な時間を織りまぜる。ドキュメンタリーのようであり、幻想のようでもあり。いなくなった甥を連れ戻すための主人公の旅を通して、人、物、時間が絡み合う詩的な表現のドラマは言葉にするのが難しい(言い訳がましいが)。けれど、湿気を含んで生温かい風合いの映像が物語るのは監督の豊かな表現力だ。
改革開放と一人っ子政策から生まれた苦難を強いられる中国の市井の家族の30年をつぶさに描いた、慎ましやかだが、人間のあらゆる感情が描かれた、この上なく豊潤な映画で、時の流れの残酷さと優しさを感じる終盤では涙が止まらなかったし、いささか俗に寄ってしまっている演出も見受けられるのだが、それはエモーションを作動させるためには避けられない要素であり、そういうものから逃げずに真正面から向き合っている姿勢こそが、この映画を純粋で力強いものにしているのだろう。
ウンウン、悲しい嘘をつき合う二人の姿は悲しみよりもっと悲しいね……って、ちょっと待ておい! 二人の手前勝手な悲恋物語に利用されて人生狂わされたアイツはもっともっと悲しいだろうて……なぞ思ったものの、キラキラ映画的には間違いではないのだろうし、こういう一定層を狙ったジャンル映画にとっては、ターゲット外の者がエラそうに論じる言葉よりも、試写室のそこかしこから漏れ聞こえた嗚咽の方が重要であり、こんなことしか書けない自分はもっとも悲しい人間なのだろう。
地球外生物に征服されたのちの地球を描くという基本設定はすこぶる面白く、これは宇宙人が出てこないソリッドなSFに違いない、と胸躍らせた矢先にウニみたいな造形のエイリアンが出てきて、こんな野蛮な連中が人間と和平的な外交を経て地球を統制してるってマジかよ……と世界観に懐疑を抱いてしまったのだが、それでも大作映画では見られないザラついた雰囲気と勢いがあったことは確かであり、脚本にもうひと押しの工夫があれば今までにない傑作SF映画になりえたかもしれない。
やってることが基本「ロングデイズ・ジャーニー」と一緒だし、デビュー作ということで全体的に作りが荒く、40分ワンカットシーンは、ひたすら人物を追いかけるカメラの手ブレを後処理で補正するスタビライザーの質の悪さゆえなのか画面がグワングワン歪んでしまっており、手ブレを甘受する潔さがないのなら普通にカットを割れよ、と意地悪なことを考えてしまったが、郷愁漂う雰囲気は悪くないし、東洋哲学的な時間の概念を映画として表現する試みも、まあ、面白かった……かな?