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監督の手腕に納得。北海道で不本意な引退生活を送る男に起きる出来事が淡々と描かれるのだがこの淡々が何故か劇的。かつ柄本と佐藤の無骨な友情も見どころ。奥さんの残した数通の遺書を男が物語の流れの中で発見し、それが彼の再生のきっかけとなる趣向がいい。こんな風にエレガントには普通いかないだろうが。手紙の他に石塀、真珠の首飾りといったばらばらなモチーフが緊密に配され、ぴたりと決まっている。北川景子が泣き崩れる直前にワンカットやかんの画面を入れるのも上出来。
殺し屋同士の殺し合いというコンセプトに文句はないが、細部のつめが甘い。中盤現れる精神分析医のせいでネタがあっさりバレてしまうのも残念。真相は主人公に自分で発見させたい。同じ手口の殺し、という趣向も感心しない。ストレート過ぎる。同一犯の殺しが頻発してるけど実は、といったひねりがないと長時間持たすのは無理だ。ただし釈ちゃんをはじめ俳優陣のアクションは充実。釈の筋力トレーニング場面はルーティンで飽きるけど。それとラストの決闘は蛇足じゃないでしょうか。
ある意味クライマックスの連続みたいな作品で、冒頭の桜のひとひらが実は認知症老婆の幻視、とあっさりバラす瞬間から引きずりこまれる。凄い緊張感。そんな中で新米教師高良が児童に出す宿題の「答え」を皆に聞き出すリラックスした場面の記録映画感覚にも痺れる。ここで号泣してしまった私。幾つかあるクライマックスの一つはダヴィンチの「聖母子(イエス。マリア。アンナ)」をやっているのだと思うのだが、違うかな。日本のどこにでもありそうな桜の町が懐かしくもあり怖くもあり。
最近神保町交差点で「慰安婦報道は捏造だ」キャンペーンの愛国おばちゃん達が盛んに「日本人の誇り」をアピールしている。人の言うことを率直に受け止める方が人として誇らしい、と私は思うが。今の日本じゃそういうコモンセンス(共通感覚・常識)ですら反日者の証拠とされていて、息苦しいことこの上ない。舞台となった施設「ナヌムの家」も日韓双方からそれぞれの勝手な都合で扱われ、問題山積だが、この記録映画はその手の色眼鏡を捨て是非とも虚心で見ることを求められている。
ノンフィクションでも映画やドラマでも、亡き妻ものは一定の需要があるらしい。妻が死んで後追い自殺する人もいる。妻がまだまだ死にそうもない男曰く、夫族の一種のアコガレですよ……。ケッ、絶対に夫より先に死ぬもんかっ。おっと「愛を積むひと」でした。リタイアして北海道に移住したベテラン・カップルのうるわしい夫婦愛で、妻が死後に遺した夫への気配りは、山内一豊の妻(旧い!)の比ではない。でもこれって、妻が生前、夫を自立させず、子ども扱いしてたってこと。ヤダヤダ。
アクションに振り付けや段取りがあるのは当然だが、いくつもある格闘シーンや殺しのアクションが、どれもカメラの正面で演じていますと言わんばかりに段取りがミエミエ。そもそもハナシ自体が箱庭ふうで、しかもネットで殺人オークションを管理しているコンビや若い殺し屋たちの描き方など、大学のサークル活動もかくやの軽いノリ、本気でとやかくいうのもアホらしい。収穫は独りダークな文音。姉貴分の釈由美子より表情、アクションに華がある。文音で「さそり」のリメイクをぜひ。
日本が現実に抱えているアレヤコレの総浚い……。一応、新米の小学校教師に軸足を置いているが、とにかく問題や課題を盛り込み過ぎて、どれもこれも俎上に上せるだけ。児童虐待にしろ、貧困児童、独居老人、シングル・マザーにしろ、ここに登場する人々のエピソードは、社会全体の問題で2時間ほどの映画で答えなど見つかるはずもないのだが、社会派ぶった作品の姿勢がうさん臭く、マンション族のママ友たちの描写など、実に薄っぺら。父親や夫の姿が見えないのも気になる。
カメラの前に座った元〝慰安婦〟たちは、それぞれが自分の特殊性を積極的に喋る。何度も同じことを話してきたことが窺えるその喋り。取材者が自分に何を求めてカメラを向け、質問するのか、百も承知した上での〝記憶〟という名のことばの数々。その辺の無意識のリップサービスが〝ナムルの家〟でのリアルな日常と重なって、2部作合わせて3時間半強、大いに興味深い。ただ20年近く前にスーパー8で撮ったという作品だけに、何故今頃公開をという疑問も。
撮影所の技術を感じさせる本作のような佳作を観ると安堵する。難病や死を扱っても、それを見せ場にすることも感情過多に溺れることもなく、事態に向き合う夫の人生の断面を静かに映し出す。妻の死、不仲だった娘との再会をサラリと流し、悲しみや対立は一歩置いて噴出する作劇も見事。モノマネの対象にされる佐藤浩市のいつもの芝居を抑えこみ、その分、柄本明に過剰に芝居させることで均衡を取る絶妙な配分や、若い男女の挿話との対比もうっとりするほど上手いが終盤は駆け足気味。
殺し請負サイトの世界でも価格破壊は進行中なのかと、最も安価を提示した者が競り落とせる世知辛い設定に妙に感心。中年の危機を実感する身としては同齢の釈由美子の鈍らない体のキレにもこれまた感心。「相棒 劇場版Ⅲ」で再認識させたように彼女の眼力と俊敏な動きは、荒唐無稽な設定とアクションを成立させてしまう。一方、過去をめぐって回想が多用されすぎて話が寸断されがち。それまで煽った因縁の対決がフック船長もどきの腕だけでは弱い。強烈な悪役が欲しかった。
本作で描かれる新人教師と学級崩壊、娘を虐待する母親の物語の結末は〈和解〉ではなく、かすかに彼らが気づくまでだ。それを小さな町の中で繊細に描いたことに魅せられる。大人の目線のみで捉えることで、子どもは苛つかせる行動を取る理解できない存在として際立ち、思わず虐待や厳しい素振りを見せてしまう彼らに共感はしないが、観客はその心情に寄り添うことができるようになる。人は自分勝手で理解できない存在を恐れる。恐怖に打ち克って踏み出す一歩は変化を予感させる。
今の御時世では耳を塞ぐ人に〈解説や事実の検証ではない〉映画が届くわけがないと思っていた。ところが「語り」以上に第一部の元慰安婦たちが暮らす「分かち合いの家」の日常のディテール、第二部の死を前にした老婆が描く絵が饒舌に彼女たちの心情を伝えてくる。分配で揉めて口論になったり、慰安婦と名乗り出ることへの家族の冷ややかな反応、朝鮮人にも騙されたと語る姿など、被害者を美化することなく映し出したからこそ、彼女たちの記憶の言語化にも耳を傾けることができる。