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ドキュメンタリー映画としては弱いが、日本が「捨て石」にした沖縄の七十年を知るには、格好のテキストになっているので、★一つプラス。劇場公開に留めず、中学や高校の教材にするといい。元米政府高官のモートン・ハルペリンは、「残された基地は、主権を持つ政府なら、決して自国内には置かせない代物だった」というが、「戦後レジームからの脱却」とやらが、結局はアメリカの五十一番目の州になることでしかない現状を見れば、「主権」はナルシストAの脳内にしかないのだろう。
マンガチックというと非難めいて聞こえるかもしれぬが、これは、いい意味でマンガ的なセンスが生きている。藩主のところにいる、目玉が三つで羽をつけた怪物や、何故か身体が桶で、首から上が女子の一群をはじめとするキャラクター造型も凝っているし、背中をねじ式に合体する仕掛けや、城壁から柱が突き出てパチンコ台になったり、財宝が金のパチンコ玉というアイディアも悪くない。それなのに、主人公の虎影が妙にマジに、「家族のきずな」を説いたりするのは、なんとも頂けない。
天の助けならぬ天の茶助こと松山ケンイチが、沖縄の迷路のような市場を走り回るところや、エイサーをはじめとする沖縄のパワフルな伝統芸能が魅せる。ただ、大杉漣や伊勢谷友介、田口浩正たちの過去来歴の小物語と、本筋の物語とがいま一つ嚙み合っていない感じがする。あれは、天の脚本に書かれているという設定ゆえに出したのか、それとも人生など所詮小さな物語に過ぎぬと示すためか。田口扮するポンの母親がブリジット・リンだった(!?)と知るような楽しみはあるのだが。
エンドタイトルに流れるRCサクセションの歌が抜群にいいのに、何故か「ラブ&ピース」という声が耳に残るのは、繰り返しの強みか。そのしつこさが、強みでもあり、臭みでもある。鈴木良一が廃棄物扱いされる冒頭部分なども、相当にしつこいし。それに対して、下水溝に住む西田敏行と廃棄された人形や玩具や動物たちの世界には、正直ホッとした。その、すでに存分に明示された意味などより、単純に、そこに集められているモノたちの形や動きに。あと麻生久美子の黒縁眼鏡。
黒船、東インド艦隊ペリー提督が一八五三年と翌一八五四年に琉球に寄港し琉球王国と琉米修好条約を結んだ史実から語られるドキュメンタリー。沖縄住民女性に対する米兵による性的な加害を扱う部分で最古の事例が一八五四年に起きていることから近年の事件、現在までを描くなど、歴史性と現在性を併せて提示する姿勢。それが米国の悪弊と、日本における沖縄の被差別を明確にする。貴重なインタビュー多数。澄んだ映像が良い。戦後七十年、辺野古新基地問題のいま、観るべき作品。
大人向け「赤影」。愉快。忍者が特殊な能力を持ちながらもその社会のなかでは下請け的弱者だと明かしたものとしては映画「忍びの者」、あと時代劇ではないが、ドカタがショベルカーの運転覚えたのを忍者ちゅうんじゃ、と業界用語を紹介した「赫い髪の女」の台詞などがあるが、本作にもそのような視点があった。忍術は全能を保証するものではなく生き残るため。格好よさだけになることを回避し、滑稽さと情けなさを押し出した監督西村喜廣と主演斎藤工のアプローチが良かった。
凝った設定のファンタジーであり、いろんなネタを盛り込んだこと以上に強い情感と、運命、救いについての考察があった。そして、病に苦しむ人々に奇跡的救済をもたらす主人公に対してその妹が言う、あなたがひとを救えることを見せれば救われなかった者はそれをあなたの責任だと思いはじめる、とは結構すごい指摘。これは救われなさと悪に、救済と正義が対抗できていないように見える昨今、ヒーローものでよく見る、善きことの限界をどうするか問題。答えは本作のなかにあったか。
映画「タクシードライバー」の主人公の暴虐大騒ぎは或る女の関心を惹きたかったからであり、「ラストエンペラー」での清朝最後の皇帝の激動の生涯は世界が茫洋として充足しきった遊戯だと感じられていた子ども時代に回帰し、それはあたかもコオロギが隠されていたあいだに見た夢のようだった。本作はそれらを思わせる。この感覚をなんというのか。個人が世間を大きく騒がせていながらその根本はまったく内的なものだということ。近年の園子温監督作のなかで最も面白く、感動した。
戦後70年。「捨て石」とされた沖縄の長きにわたる軌跡を、時間軸に沿って4部構成で辿る入魂の記録。当時若者だった元米兵、読谷村の集団自決でわが子を失った母親、地元の少女を仲間と共にレイプした黒人兵、米軍との死闘を声を詰まらせつつ振り返る元日本兵……貴重な証人の重く悲痛な一言一言が、雫のように心を穿つ。元米兵が殺戮の状況を語る背後に、現在の楽しげな家族写真が。そのアイロニーに人間の矛盾と戦争の罪深さを見た。鑑賞後から自問が始まる、終わりのない映画だ。
西村監督としては、『走れメロス』や「ダイ・ハード」、当然『赤影』へのオマージュを結実させた家族映画だそうだが、思想性とやらを度外視すれば、いつも通りの無邪気なエロ・グロ・ナンセンスがより奔放に発露した娯楽作として楽しめた。全体に漂う昭和の香り、例えば『伊賀忍法帖』など山田風太郎原作の時代劇をも彷彿とさせるが、小学生級の下ネタや内輪受けからは、懐かしの『新春スター・かくし芸大会』におけるパロディドラマの匂いすら。斎藤工の底なしの度量含め、一見の価値はあり。
SABU監督といえば、「走る」映画。だが並走するにも体力がいると思い知った。観る者にマラソンでいうペースメーカー的能力を求めてくる映画だが、暴走を抑えるどころか開始早々ギブアップ。要因はまず、茶助の延々続くモノローグ。誰かが登場するたびその背景がひたすら言葉で解説されるのだが、この段階で諦めて歩き始めた。さらに極道に突如の教祖化、謎の妹出現と、本筋の恋愛以外に予想外の方向へと揺さぶられすぎて、目眩と闘ううちに本篇終了。体力不足か。監督の若さに敬服。
「実際の僕はファンタジー映画の人間」と語る園子温。確かに西田敏行演じる老人を捨てられたペットや人形たちが取り囲む地下道の描写は、園子温版「トイ・ストーリー」ともいうべき空想世界かもしれないが、そこに横たわる狂気たるや。中庸のつもりで締めていた正気のネジが、知らず緩められ脱力してゆく恐怖に戦慄した。人生、潮目が変われば大きく動く。そんな奇蹟と愛の微妙な塩梅を豪華キャストで撮れるのも成功した今の園監督ならでは。ただ、ラストの『スローバラード』は反則。