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2000年直前に歌舞伎町でトップレス女性とドラァグクイーンの大バコの雇われママをしていた。「傷ついた人間は、人を傷つける」。まさにこのセリフを実感していた。そして人は誰もが歪な多面体で、良い面もあれば邪悪な面も併せ持つ。邪悪な面で接すれば、相手の邪悪な面が現れ、良心を持って接すれば、相手の良心が自ずと立ち現れる。良い人間も悪い人間もいないのだ。そしてどの時代も都会では肌の色の様々な女性が逞しく生き抜き、腕力で毛皮の皮膚を勝ち取っていくのだ。
宣伝では全篇ワンカット押し。見る前はどうでも良いことに思われたが、そこが肝だった。それが引き起こすふたつのリアル。全くもってどうやって撮影したのか驚異的テクニカルな点。それから「戦争」を大きな国家間の争いではなく、微細でそれぞれ個人の体験として描くという点だ。前者は臨場感というリアル。後者は歴史を有名人の所有物から換骨奪回する経験のリアル。どちらも「戦争」をリアルに描くことの意味に到達するのが、それらは「生」を最もリアルに描くことだった。
たったひとつのミスが引き金となり、個人的な次元から国家の次元まで様々な影響を及ぼし、秘密が視覚化されていく。絡み合う連鎖や人間模様は、最終的に一箇所に収束し大団円を迎える構造。以前デ・パルマの作品でサカモト教授がボレロのような楽曲を提供していたが、そんなことはもはやどうでも良い。リッチな映像のデ・パルマ先生のサイコな作品がいまも作り続けられているということに感動。人類が繰り返す愛と憎悪の犯罪は、映画という形式で何度も変奏される作品群と重なる。
前作「ヘレディタリー/継承」で彗星の如く出現したアリ・アスター。待望の新作だ。ふたつの異文化同士の差異から生ずる摩擦が、そのまま恐怖や不安という感情に変換される。それは前作も同様で、悪魔主義は悪魔主義者にとっては、もっとも安定した形式である。未体験の文化を受け入れ馴染むこと。上映時間を通してそのエントロピーの安定がなされる。そしてそこから脱落や抹消される者以外、選ばれた主役だけが生き残る。いわば理由なき選民思想で、日本のマンガに近い感覚か。
序盤、ストリップクラブシーンでの五十路ジェニファー・ロペスの巨尻ポールダンスには不覚にも硬直してしまい、しんぼたまらず★5。中盤以降の実録部分、独立愚連隊と化したダンサーたちが客に直営業して眠剤仕込みボッたくる件は被害者があまりに楽しそうだし、女たちも切羽詰まって見えず犯罪の再現として弱い。金額は小さいが私にも似た経験があり憤慨より「あったな~こういう時代」と懐かしみニヤニヤ。映画とはいえ犯罪でそんな悦な気分にさせるのは失敗だろうと減★2。
無線機の普及がない第一次世界大戦の戦場。緊急命令を最前線へ届ける若い兵士の行動を銃弾・爆弾飛び交う戦地疑似体験アトラクションの趣向でワンシーン・ワンカット風にカメラが追う。しかし暗転や人物のフレームアウトが多く映像のつなぎ目がわかる編集は期待はずれ。対岸に狙撃兵がいそうな川で橋の欄干を平均台歩き、小隊が歩哨も立てず音楽鑑賞、歩兵突撃中の最前線を脱走兵もどきに逆走など戦争映画にそぐわぬ描写も不満、悪臭が伝わってこない塹壕の美術も物足りない。
ブライアン・デ・パルマもそろそろ80歳、緻密な芸術品を組み立てるには衰えが隠せず、本作もすべての人に薦められる完成度ではないが、それでも何度か「あぁ、デ・パルマだなあ」と酔える美しいシーンがあり、彼はあえて穴だらけのスリラーを撮りたかったのではと裏読みしつつ細部を愉しめ、ましてシネコンではなく古めかしい映画館で見られれば、彼の煌めいていた時代を知るファンは幸福な時間を過ごせると思うし、デ・パルマにもまだ時間はあると次作への期待がふくらむ上々な出来。
怖かった「ヘレディタリー/継承」の監督による「ウィッカーマン」(73年)によく似た秘祭ホラー。舞台はスウェーデン辺境とされ、白夜の夏至祭をいかにも北欧っぽい天国的、妖精的イメージにこだわり細部まで描くが、どこまで資料調査やフィールドワークをしているか不明。創作なら類型的で偏見まじりの描写に同国の人は怒るかも。現代性を感じさせる家族の悲劇を物語の横軸におき、縦軸の秘祭クライマックスと統合を試みたと思われるラストは多様に解釈できるものの論議を呼びそう。
弱者側からの痛快な犯罪劇で、些細な綻びから始まる切ないシスターフッドの崩壊の物語として面白く観られるが、どこかずっと様々な非対称性が頭に引っかかる。デートドラッグで騙される男性は自業自得という設定は、現実の性差別もあるし、演出の流れでそう見えるようになってはいるものの、果たして受容していいものなのか。シングルマザーの必死さと、買い物に明け暮れる享楽性などの相反や倫理の抵触が気になる。C・ウーとJ・ロペスのバランスの良さには魅了された。
監督のS・メンデスはもちろん、撮影R・ディーキンス渾身の作。移動を中心とし、マジックのように仕掛けが施された長回しはやはり前のめりで観てしまう。次々と展開するシークエンスの中に織り込まれた緊張と緩和の、不規則な連続も主人公一人の地味さを十分に補強する。青年の運命の一日を表現する、ナイトシーンの目を奪う鮮烈な照明の輝きと明け方の空の色、川の激流に飲み込まれる苛烈さは、技術と計算された趣向の賜物だ。英国俳優陣の顔見世も豪華さを添える。
デンマーク警察とCIA、ISISが絡み合う顚末を追っているものの、一刑事が個人的感情で国際犯罪に関係していく不自然さは当然ある。しかし監督がブライアン・デ・パルマなら仕方ないと思わせる、作家主義の象徴的作品だ。奇妙な人間関係、機械仕掛けのように作動していくクライマックスの展開、スローモーション等のカメラワークといったデ・パルマ節が炸裂していて、監督の新作を観たかった人には十分の出来。ただデ・パルマというブランドが利かない観客には平凡かも。
監督のA・アスターは長篇デビュー作「へレディタリー/継承」で、奥の手まで出し切ってしまったのか。本作も決して水準が低いわけではないが、前作で観た手法やラストの構造が焼き直しで使われていたり、基本のストーリーが「ウィッカーマン」すぎたりして新鮮味を感じない。アスターの個性は強烈にあるものの、冒頭での人間関係の歪みや痛々しくも繊細な脆さが持続しないのは、中心となるカルトの形式に囚われすぎゆえか。麻薬と純粋な恐怖の意外な相性の悪さも端々で感じる。