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漫画家を目指す処女が、エロマンガを描くために性の経験値をアップするべく奮闘し、世界を広げる冒険譚に引き込まれた。動機が劣等感の克服や性欲の解消ではなく漫画制作のためなので、彼女を応援したくなる。友人のゴーストとして漫画を描いていた彼女が、存在を知らなかった自身のゴーストともいえる存在と巡り合い、過保護な母親からも友人からも自立する脚本も鮮やか。惜しいのはタイに飛ぶくだり。「家出中なのにパスポートを持ち歩いてたの?」という疑問がちらついた。
「私の頭の中の消しゴム」や「50回目のファーストキス」に類する、記憶力に問題を抱える女性を愛する(ことを決意した)男性視点の物語。同じやりとりを繰り返しているように見えて、言動の些細な変化で気持ちのゆらぎをグラデーション化する仲野太賀の力量が存分に発揮されている。メロドラマ的な表現を徹底的に排除した撮影、照明、録音、劇伴のすべてにおいてクオリティは高いが、リズムが単調で観客を巻き込むエネルギーが不足気味。編集にもうひと工夫ほしかった。
小池栄子が演じる大食らいで力持ち、そして業突く張りのキヌ子の全身から、生命力が溢れている。大泉洋がいつもとは違う引き算の芝居で演じた田島にも、女たちが放っておけない吸引力がある。契約で結ばれた男女が、くっつきそうでなかなかくっつかないという少女漫画的な展開をもうひと盛り上げするための、「死んだと思ったら実は生きていた」という仕掛けはやや強引だが、大衆的な娯楽作としては及第点。田島の本妻や愛人たちを演じる女優陣も適材適所のキャスティング。衣裳も素敵。
前作が大ヒットしたという情報だけを入れて鑑賞。導入から、前作を知らなくてもついていける親切設計。言い換えると、キャラクター造形、芝居、BGMのすべてがデジタルで紋切り型。お笑い芸人の使い方は特に雑で、アキラ100%が扮する警察署員が、脱獄犯に制服を奪われて裸で倒れている横に銀色の丸盆が転がっている光景には目を疑った。ずん飯尾とアルコ&ピース平子への演出も残念の一言。観客を欺くことを目的にミスリードするオープニングの演出も反則!
主役は一般公募の中から選ばれた本当の脳性麻痺の女性。映画初挑戦で、体当たりの演技をしている。漫画のゴーストライターの彼女は、独立しようとアダルト漫画を描く。が、編集者に、性体験がなくてはいいものは描けないと言われて、体験しようと街へ飛び出し、そこではみ出し者の様々な人々と出会っていく。いい映画だ。が、終盤実の父親や双子の姉妹に会いに行くところで、話が逸れてしまった感がある。彼女を日陰者にしている漫画家女子や母親との確執をこそもっと見たかった。
脚の不自由な大学の研究室の青年と、屋台のたいやき屋をやっている女子の恋。メルヘンを意図したために敢えてそうしたのか、まず青年がなぜ足を引きずるようになったのか何も教えてくれない。女子は事故にあって短期間しか記憶を留めておけなくなるが、その設定もなんだかあやふや。そもそも女子はなぜ町の片隅でたいやき屋をやってるんだろう。何度でも言いたいが、映画は人間を描くもの。人間がわからなければ、それは記号。記号がいくら泣こうが笑おうが、気持ちは入れられない。
監督自らの企画と聞く。自分がやりたいものがこうして出来るとはなんと幸せなことなのか。原作は「太宰の絶筆」というより、それを戯曲にしたもの。未見だが評判の舞台のようだ。それを一級の脚本家と監督が料理する。文句はあるまい。が、やはりもとは太宰治。得意の陰湿な情愛ものでないのが救いだが、どうしても偽臭い太宰のフィルターがかかってしまう。映画は面白い。だが、釈然としない。「据え膳食わぬは男の恥」。他に食べたいものがあったのに据え膳だから食べた、ような感じがした。
「ボヴァリー夫人」を書いたフロベールは言う、「神は細部に宿る」。ヒッチコック曰く、「ディテールがしっかりした映画ほど年月に耐えうる力を持っているものだ」。あんなにナイフで刺しているのに、ぜんぜん返り血を浴びないなんて、あり得ないでしょう? いくら飴を尖らせて吹いたって、目に刺さるわけがない。制服・制帽で扮してたって銀髪頭は隠せない。誰も怪しまないって、変じゃね? そんなディテールの不可解が目立って仕方ない。名監督にも「筆の誤り」なんだろうか?
出生時に脳性麻痺になった少女、漫画が描ける彼女をゴーストライターにして搾取するユーチューバーや、過保護になってしまう母親によって、ある種心理的な檻に閉じ込められていた彼女がそれを抜け出す。障がい者だから前面に出たら漫画が受け入れられない、障がい者だからできることが限られ、周りに気を使って生きねばならない等、結局「忖度」が周囲の人間を縛っている構造が見えてくる。とはいえ過度に批判的でもなく、よく出来たビルドゥングスロマン。主演女優の頑張りも好感。
短期記憶を失った恋人と、何度も同じ始まりを繰り返す男。「何回目だかのファーストキス」めいた設定だが、ドラマチックなメロドラマにせず、淡々と描いているのは好感持てるものの、大事なのは今なのだ、とばかり「“今”の輝き」を「美しい映像とサウンドで描き出す」(プレスより)映画本篇は少々退屈。記憶とは何かを、無論答えなど出ないだろうが、考えようとしていない。映画はモノを考える術であるのだし、映画に必要なのは出来事、であって、美しい映像やサウンドなど過ぎた贅沢なのだ。
優しすぎるがゆえに多数の愛人たちを抱えた男が、偽の妻とともに彼女らとの関係を切る。ブラックでアイロニカルな「黒い十人の女」を期待はしないが、十数人の愛人が入れ替わり立ち替わりのスラプスティックかと思いきや、人情ものに落ち着く展開。太宰の原作自体軽妙なものであるにせよ、倫理的にキワキワ故に新たな人の道を夢想させる無頼派の秩序破壊的な側面だけは令和風に温められたごく微温的作品。敗戦直後を意識した擬古的な画面、小池栄子の若干舞台臭のする演技も微妙。
前作の刑事と獄中の殺人鬼が協力して新たな敵に挑む。「羊たちの沈黙」みたいな展開で確かに見ている時点では次々生じる展開に最後まで面白く見せられるのだが、冷静になって考えてみると疑問点が多々(結局なぜ白石が狙われねばならなかったのか、ハッカーが自分のPCのカメラは封じていないのか等)。ネタバレサイトを見て、不覚だった設定の深さに改めて感嘆する場合もあるが、これは意外な展開先行で穴が埋め切れていない感じ。殺人鬼も強烈ではあるが惹きつける魅力はない。