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基になったのがダン・ブラウン著作の翻訳作業エピソードだったというところに、たわいなさを感じるのはともかくとして、現代的な意匠を凝らしながら、映画では難しいと思われる、ミスリードの繰り返しで観客を驚かせていく構成に挑戦した試みは応援したい。ただ絶えず変転していく物語に対して、興味を持続させるほどの強靱さが根っこにあったかについては疑問も。コマーシャリズムを悪として描くのなら、セットとして大衆側の問題も暗示する覚悟が必要だったと思う。
「子どもの束縛は良くない」、「親と子は別人格」というコンセンサスができあがり、“マザコン”、“毒親”が嫌われる時代にあって、真逆のベクトルへと突き抜けていく内容には圧倒されてしまった。個性を感じさせる演出は希薄だと感じたが、賢母の姿を描きながらも、恋人あるいは長年連れ添った夫婦に見えるように母子のつながりを描写しているところが面白い。シャルロット・ゲンスブールのノーブルな印象とナチュラルな素朴さが、本作の役柄としては非常に効いている。
邦画では、パリなどを舞台にしているのに日本人キャストばかりで占められ、現地の登場人物がそれほど活躍しないという一種の“観光映画”と呼べる作品ジャンルというのがあるけれど、本作のようにアメリカ映画にも同様の傾向の作品がある。主演のデイヴィッド・オイェロウォはじめ出演者が豪華なため退屈せずに見ていられるが、不運に見舞われるだけの主人公に肩入れする理由が見つけづらいのが大きな難点。メキシコでアメリカ人たちが狂騒する様子をただ無心で眺めていた。
身体すべてを地に投げ出す礼拝方法“五体投地”を絶えず繰り返しながら四川省からチベット自治区の聖地まで進んでいくという途方もなさに、「旅の重さ」なんてものじゃない重量を感じさせ、一種のロマンをかき立てられる。それと同時に、ここで描かれる人間同士の軋轢は、あくまでコミュニケーションで解決しなければならず、宗教的行為に対する冷静な視線があるのが現代的でいい。シンプルな内容ながら 「チベット映画人第1世代」監督の仕事として信頼できる出来。
終わってみれば“なんだ、そういうことだったの”と、ちょっぴり拍子抜け感も。とはいえラストに至るまでを密室の会話劇として見れば、集められた9カ国の翻訳家のキャラが面白い。小説のヒロインと同じコスチュームでないと仕事ができないロシア語担当。かと思えば給料の支払いがままならないと言うギリシャ語担当は、危機的な状況にあった国の経済政策への批判もちくり。等々、会話はかなり意味深。元ネタがあの『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズ4作目出版の際の実話だったとは!?
小説家ロマン・ガリというよりは、女優ジーン・セバーグの元夫が、これほどまでに凄まじい母親に育てられていたことに、まず吃驚。母と息子の絆や愛といった生やさしい話では済まない。映画は時にエキセントリックにも映る母の期待に対する重圧、加えて戦争の描写が緩急よろしく展開し、綻びのない演出もさることながら、実話自体が持つ凄みを感じさせる。大人の役がすっかり板についたC・ゲンスブールと、母の思いを受ける役どころに徹したP・ニネのコンビネーションに★一つ進呈。
友人、会社、妻のすべてに裏切られた男が腹いせに一世一代の偽装誘拐を企てるこの映画、クライム・コメディと言ったらいいのだろうか、面白くしようという意気込みが存分に伝わってくるわりにストーリーはやや平板に終始。それもそのはず、登場人物は強欲な人間ばかりなので結局メリハリが乏しく、物語の軸であったはずの主人公のリベンジ計画が脆弱になり、惜しい。S・セロンの、目立って毒々しく赤いボリュームのある唇が、漱石が『草枕』で深山椿を形容した妖女と重なった。
ソンタルジャ監督は、登場人物一人ひとりの心の内を描くのがうまい。前作「草原の河」に続いて今回も、家族関係のギクシャクを描出。夫亡き後、一人息子を実家に預けて再婚したヒロイン。置いていかれた息子。現夫の、口にできないわだかまり。それをチベットの圧倒的な風景に映しこんであぶり出すセンスは独特。ヒロインが前夫と撮った写真の使い方が秀逸で、破いて二人を別々にした現夫の心情は切ない。家族を失うことから生まれたこの新しい父子の関係は輪廻に通じ、息子役が上手い。
閉鎖された空間の中で事件が起こり「この中に犯人がいる!」ってパターンのミステリの王道中の王道をやっているわけだが、集められた人間が各国の有能だが曲者ぞろいの翻訳家たちであり、起こる事件も「ベストセラー小説の流出」というのは、かなり捻りがあって面白いし、真相から逆算して考えると少々無理のあるお話も、構成的なギミックや、現実から巧妙にずらされた独特の空気感により、ある種パラレルワールドで起こっている物語として楽しめるよう計算されている演出もお見事。
脚本に対する演出はほぼ完璧といえ、通常なら4時間分くらいのボリュームのエピソードを130分に収めている手捌きは見事だし、母親のキャラクターが強烈な上、良い塩梅のユーモアが映画全体の湿度を抑制しているゆえ、最後までスルッと面白く観ることができるのだが、ひとたび脚本の構造に目を向けると、やはりエピソードの数珠つなぎ感が気になるし、仮にシーケンスを10くらい落としても全体としてはさほど問題がなさそうというのは映画としてどうなんだろうと思ってしまった。
幾層にも積み重ねられたエピソードがラストに向かって収束してゆき、最後に全てがぶつかり合う興奮を味わうタイプの娯楽映画で、狙いは分かるし、かなり強引なドンデン返しの連続もこの世界観の中ではプラスに作用しているようにも思えるが、中盤までの展開が結構グチャついていて、登場人物の数ももう少し整理してもらえないと自分のような頭の回転のトロい観客が物語に入っていくことは難しく、恥ずかしながら置いてきぼりを食らって理解出来ない部分があったことを告白したい。
「五体投地」なる巡礼作法がなかなかに意表をつくもので、何の説明もなく唐突にアレを見せられる序盤でこの映画に俄然興味がわいたのも束の間、その後続く起伏に乏しい物語にはまぶたが重たくなってくるのだが、頃合いを見計らったようにカンカンズサーってアレをやるもんだから、それがだんだんクセになってきて、結果この不思議な味わいのロードムービーを最後まで楽しみ、しみじみとした余韻に浸ることができた。というわけで、カンカンズサーが何なのかは実際映画で見てほしい。