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夫婦の感情のやりとりや関係性に新鮮味はないが、2人の出会い、夫が吐き続ける嘘、夫婦の別れといったポイントに、ラブドールというギミックを巧みに絡め、映画的なインパクトとまとまりが生まれている。妻(となる女性)に告白するために衝動的に走る姿、妻がモデルの新型ドール作りに没頭する姿、海辺で亡き妻への想いをつぶやく姿など、夫を演じる高橋一生は、誰かへの想いを抱えて独りで居る姿が抜群にエモーショナル。夫婦の性愛シーンがそれに負けてしまうほどに。
「あるかもしれない」と思わせる、古田織部の幻の茶器“はたかけ”を主役にしたことで、破綻しがちなコンゲームが自由かつ無理なく展開し着地する。その分、はたかけに振り回される人々の人間模様も鮮かに浮き上がる。特筆すべきはやはり、実力はあるのにうだつが上がらないまま中年になってしまった、主人公の“骨董コンビ”だ。いよいよ老境も視界に入ってきたものの、仕事も色恋も人生も諦め方がわからず惑い続ける彼らに、スクリーンでまた会えることを切に願う。
鈴木氏の生涯と思想信条の変遷に迫りつつ、「真の愛国心とは何か?」を問いかける、今の時代に観られるべき力作。80年代のサブカル界隈で、新右翼団体「一水会」代表だった鈴木氏の名前を頻繁に目にした理由が、本作を観てやっとわかった。彼は、自分の思想を主張するのではなく、異なる思想や意見を知るために、様々な論客と対話を重ねていたのだ。彼のこの対話型のスタンスこそが、対立と分断が進む現代日本において必要だというメッセージに大いに共感する。
90年代の原作を、90年代風の語り口で、まったくアップデートせずに2020年に公開する意義を教えてほしい。原作では人間の世界に存在しているペンギンの詩人を、生身の人間が演じている。それは映画的な改良ではなく、ファンタジーという要素を便利使いする改悪だろう。エロスへの向き合い方も抽出方法も中途半端。アウトローのキャラクターと、山本直樹の看板を借りたお色気シーンで観客が満足すると思っているとしたら、それは映画をバカにしすぎでは?
ラブドール制作工場で働く青年は、生身の女性から乳房の型取りをしようと、美術モデルを呼ぶが、「医療用」と偽ってさせる。それが縁で二人は付き合い、結婚するが、数年経っても、まだ青年のほんとの仕事を彼女が知らないというのがまず解せない。となると、話はみんな絵空事に見えてくる。亡き妻に生き写しのラブドールを作り、ネットで売ると大当たり。関係者共々青年は大喜びするが、なぜあんなに無邪気に喜んでいられるんだろう。妻のドールがいろんな男に弄ばれるというのに。
前作の企画を聞いた時、とても感心をした。日本でほとんど成功したことがないコンゲームものにチャレンジする気概! 成功しないのは、人を騙すのが上手とは言えない国民性によるものか。大概は情をまぶすことで、せっかくのゲーム性を損なってしまう。コンゲームものの要諦は客を騙すことにあるが、この映画は騙しきれていない。敵役がそんなにクズな悪人には見えず、ギャフンと言わせる痛快感がない。何よりアイテムが庶民には馴染みの薄い幻の茶器では興味が持てない。
開高健の小説に、食味レポートをする男が全国の旨いものを食べ歩いた末に、真水に辿り着くというのがある。鈴木邦男の本を読むと、この人は真水に辿り着いたのだと思えた。その真水とは、知性も品性もある大人の日本人のほとんどが思っているであろうことである。「行動する右翼」が、様々な人生体験の果てに辿り着く、ごくまっとうな思想。その言説は感嘆もの。観れば、鈴木の交遊の幅の広さに改めて驚かされる。が、もっと鈴木の思索を追ってほしかった。
毛色の変わった映画だ。彫師の郵便屋、ペンギンなりすましの詩人、その詩人の嫁になりに来る少女、この三人を軸に、変な人間たちが変なことをやらかしていく。彫師の勤める郵便局の局長からして変だ。副業として風俗嬢の斡旋をしている。舞台はとある地方の温泉町。変な人たちに裏社会の面々も加わって、陰惨な殺しが展開されていく。コーエン兄弟の映画を日本でやるとこんな風になるんだろうか。昨今の卒業式の来賓挨拶のような味のないメジャー系映画は、もう持て余し気味である。
出会ってすぐに恋に落ち、結婚した夫婦が、危機を克服して心から一つになる。その夫がラブドールの製作者であり、妻がその(騙された)モデルということを除いてはごく凡庸な夫婦のドラマ。物語の凡庸が悪いわけではないが、大事な場面ではクロースアップの律儀な切り返し、最後のドールを作る際に思い出が走馬灯のように、またそのドールを試し抱きする際にドールが妻に見える、など演出が平凡すぎて、物語の凡庸さを際立たせる形になっている。題材の奇抜だけでは糊塗できず。
勧善懲悪のコンゲーム、仕掛ける方もワルはワルだが、人情家で根っからのワルではないという前作の土台を引き継いで、危なげない娯楽作になっている。ただ見終わってみると、謎の女にするあまり、広末の正体が最後に不明になる、国家ぐるみの悪だくみがあれでは暴かれないままなのでは、など、腑に落ちない点も多々出てくる。少なくとも生中継は本物だったことにすべきで、そうでないと緊張が削がれる。どこかに本物を入れておかないと、偽物も偽物として生きないように思われた。
一水会創設者の鈴木邦男のドキュメンタリー、外国からの視点を持った監督が日本の現状を題材としたということで「主戦場」を思い浮かべるが、論争的というよりは鈴木自身の個人的魅力(「年取ったハムスター」)の方がよく出た作品になった。とはいえ、愛国は、同じ考えの人だけで集まり、他の考えを持つ人を排除することではないとか、正義を振りかざす者への違和感とか、批判される精神がなくてはならないとか、今の日本の権力(とその擁護者)への痛烈な批判が込められている。
強面の郵便配達にして彫物師と、人間関係を恐れる潔癖症のナイーヴな詩人。どんな泥船に乗っているとしても、その泥船でどんな旅をするのかが大事だ、という父の遺言をモットーにする彫物師が周囲の人に影響を与えてゆく。サングラスと制服、ゴーグルとフードの類似が示すように、二人は実は同類=分身であり、彫物師もナイーヴな核を鎧で覆っている。これこそハードボイルドの神髄。決定的に変わったわけではない、が、何かは変わった、しかし日常は続く、程度の何気ない終わりもよい。