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人の選別、憲法改悪を企む無能な政府等々、近未来映画はぬかりなく日本の今を睨み今ここにある危機をこそ撃つ志を感じさせる。硬派な核心を「マイノリティ・リポート」を視界に入れつつ巻き込まれ型サスペンスのお愉しみで包む欲張りな、しかし娯楽映画が本来あるべき姿勢もまた感知できて頼もしい。ただ往年のハリウッドB級映画にいたような要となる脇役、老いぼれ+新米刑事コンビがもひとつぴりりと小気味よく機能してこない。そんなもたつきが全篇の切れ味に響いて残念。
渋谷が変わる――と、これは歩道橋の架け替え、井の頭線から遠くなった銀座線、新しいPARCOと、皮相的部分だけでも日々、実感しているけれど、この絶好のタイミングを映画に活かし切れていないのがもどかしい。変わる渋谷をまざまざと描いてこそ変われない青春が鮮烈に迫ってきたのではないか。それがないから3人の女の子の泣き笑いの日々は、青春映画の陳腐なパターン、花火、すいか割り、転がるビー玉と形骸化した夢の欠片の感傷に呑み込まれ、澱んでいる。
失礼を承知で言えば意外にいいじゃない!! と「『実話』から生まれた積算エンターテイメント!」なる惹句を目にした折の悪い予感をうれしく裏切られた。ファンタジー営業部が実在したという“狐につままれた感”満載の一作だが、嫌々だった部員たちが熱く企画に没入する過程をきちんと捕まえた脚本が勝因だ。昨今の米映画に特徴的なくっきりとショットを成立させない開幕部のオフィス描写と裏腹に、人の心は輪郭を際立たせて描き込む。演劇臭を逆手にとった演技陣も悪くない。
思うままに余命を生きたいというひとりの物語は身につまされる。一方で看取りを誠実に続けることで自身が病んでいく医師の物語、それが映画の核を侵食していくように書き、撮った監督村橋の選択も光る。医師と息子のすれ違っているようで、そうでもない言葉のやりとりも、あざとさと結ばれそうでひやひやさせるが、ゆっくりと染みてくる。人の姿の奇を衒わない切り取り方。そうして死を前にした人が対峙したいといった山の美しさ。撮影監督高間賢治の力も見逃せない。主題歌は要る?
最先端のテクノロジーを題材としつつ、70年代ポリティカルサスペンスへの愛着があふれた画面づくりに好感をもった。ためにする展開の連発もそう思えば楽しい。どうせ荒唐無稽な逃走劇ならば、「君よ憤怒の河を渉れ」くらい突き抜けてもよかったのでは(馬に乗って疾走する大沢たかお、観たかった!)。荒唐無稽といいつつ、全体を取り囲む状況には侮れないリアリティがある。AIを選別の道具につかう人物に、先日ツイッターで差別的な発信をした東大特任准教授を重ねてみたり。
この作品にかぎったことではないが、近年の少なからぬ日本映画では、役者の身体性を信頼せず、物語のカタにはめ込もうとする傾向が目立つように思う。この映画では、再開発によって変わりゆく渋谷という街と人物、およびそのなかにあるやがて壊されゆく部屋と人物との関係そのものが物語を転がしていくのだが、用意された空間のなかに人物を配置して動かしている、という以上の身体性が浮上してこない。役者陣(とくに萩原みのり)はよい表情をしているだけに残念だ。
アヴァンタイトル、スーツを着た小木博明が死ぬほどうざいテンションで「マジンガーZ」の話をし始めた時点で、タクシーの車内でよく観るビジネスマン向けCMを思い起こしたが、驚いたことにタイトルが出たあともそのノリのまま映画は進んでいく。状況をわかりすく戯画化したり、人物のリアクションにいちいち効果音をかぶせたり、一見テンポは速いが実際にはおそろしく弛緩した出来のわるいコントが延々つづきゲッソリ。岸井ゆきのの「間」にかろうじて映画の片鱗が見える。
なんでも暗喩的に描けばよいわけではないが、ここまで直喩的な描写しかないと映画が本来描こうとしているであろう死を前にした患者と医師の心理的葛藤について観客が想像をめぐらす余地がない。立ち止まって見つめるべき風景、頭のなかで反芻し消化すべきことばもスルスルとすり抜けてしまう。ことに医師がうつ病を患ってからの描写は、前半部の風景やことばに十分な重みをもたせていないため、ただ段取りを踏んでいるように見えてしまう。撮影はじめスタッフワークはわるくない。
AIの暴走への警告。小説も映画もやってきたことだ。入江監督、未来のAIの能力を見せるのと、子どもを危機においたサスペンスで、進行を確実にしながら、「悪」を平板にしたうらみがある。発達したAIが監視システムや人を選別する考え方と結びついたら大変なことになる。当然だが、反対運動は最初の方に出てきただけ。いきなり窮地の大沢たかおの主人公、目に閃きが足りない。最後のセリフもピンと来ない。三浦友和と広瀬アリスの刑事コンビが、まともな人間もいるよ、という役。
渋谷の試写室で見て、渋谷をよく撮っていると感心した。スタイリッシュ+なにかあるという期待どおりに、取り壊しを待つマンションで共同生活する三人の若い女性を見つめ、追いつめるところは追いつめる。宇賀那監督、「描く」だけでなく「言う」がもっと欲しい気もするが、ビー玉の出し方と逆ロードムービーの発想は買える。大昔の三人娘映画から明らかに進んでいるものがある。でも、まだヌーヴェルヴァーグに追いついてないという感じ。宣伝、「ささやかな」を強調しすぎかな。
やる気のなさそうな連中が徐々に「困難な課題」に対して真剣になっていく。おなじみすぎるパターンであるが、それ以外にも名作の名場面のパロディーかと思わせるものが出てくる。そのあたり、わざとらしさに目をつむって、ショウケース的に楽しめるかもしれない。元は上田誠の戯曲。その元はなんと実話。英監督、演技の均質性が破れるのを回避しているようなのが惜しい。音楽も鳴らしすぎ。おもしろかったのは、岸井ゆきのと町田敬太のカップルと、六角精児の機械グループ部長。
南木佳士の小説はどこか頼りない線をたどりながら、誠実さを疑わせない力をもつ。これだけかという内容でも、だ。映画にして大丈夫かと思うが、地味さのよさということがある。村橋監督と高間カメラマン、奇をてらうことない画に人をおく。中村梅雀と津田寛治の、死に向かう患者と自分も病みながら彼を看取る医師。どちらの演技も虚構性を忘れさせる瞬間があった。景色、浅間山がいい。江澤良太の、小説家志望の息子もいい。そしてエンディングの小椋佳、なんていい声だろう。