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煌めくポップミュージック。ティーンの部屋の窓越しの夜空の星々よりも、壁に貼られた蛍光の星形シールやネオン管の方がずっとリアルだ。彼らの一見低温だが熱いパッションは、iPod内の窮屈そうな音楽たちそのものだ。視力低下の老眼とは裏腹に、盲目的な彼らは成長につれ現実がはっきり見えてきてしまう。『ガラスの仮面』や『あしたのジョー』のように、むしろ夢を諦めきれない大人たちを救済する選民思想なストーリー。逆光やマジックアワーがヘビトンボの幼羽を透かす。
私が言うに及ばずエンタテインメントとして傑作。最近では「サスペリア」、「エル ELLE」などにも該当するフロイト/ヒッチコック「サイコ」の教科書的構造。無意識「イド」の地下空間、道徳や社会のルールに従う「超自我」の地上階、両方を調整する「自我」の半地下。三つの家族はそれらを体現し、現代の韓国社会の引き裂かれた三様を照らす。北への抑止力ミサイルよりも、スマホで撮られた写真、もしくは気候変動による滂沱の大雨が、韓国社会を崩壊させていく。お見事!
固有の場所や歴史、生活から自然発生したものの在り方は正しい。作者不詳で絶対的な目的や機能が備わっているから。一方、音楽やアートと暫定的に呼ばれるものは、本来のそれらは失われ、生み出すという欲望本能の充足が目的だ。後者は前者に対峙すると敗北する。むしろその前では敗北することが存在意義である。現代の我々は錨を失った船のようだ。レーベルや会社、もしくは神や自然か、私たちは一体誰と契約するのか。彷徨い漂い、しかし航海は続けなければならない。
オープニングでミシン音がレースやフリルを縫っていく。山々や集落を縫って走る鉄道はミシンで、大地は乳房、線路で囲われ覆われた地域はブラジャーそのものだ。乳房という自然の大地を、ブラジャーという鉄道で治めていく。人工の意識が被さることで、エロティシズムや女性性が生まれる。ブラジャー始め下着は女性の脱皮した抜け殻だ。繰り返し反復し想い出させる車窓からの光景は、映画のフィルムの一コマだ。そして、鉄道は弦楽器や打楽器だ。ルーセル的独身者の美学満載!
マイルス・デイヴィスのライブで有名な英国ワイト島に暮らす貧しいポーランド系少女が、不勤勉と自堕落を重ねつつも幾たびのミラクルに救われ、たちまちにスターに。自堕落の場面は私にも経験があり目を覆いたくなったが、主人公はあっさり克服するんだなぁ、若さって凄いと呆然。私の大好きなセイントフォー主演映画「ザ・オーディション」(84年 新城卓監督)によく似た場面が多くて後半は泣いちゃったけど(なので★1オマケ)本質は怠け者が見た白日夢。現実は甘くない。
格差社会を映像で可視化し、笑いと怒りを共存させた堂々たる風格の重喜劇。あえて難癖すれば、こうした内容の映画が莫大な予算で大作として撮られ、金持ちたちに絶賛されている様は釈然としないし、底辺層が耐えてばかりの格差映画はもはや陳腐で、それだから優れているとの評価はできない。結末のアイデア欠如も本作の不足要素で、下層民は夢を見るしか希望がないとする後段は庶民を絶望させ、監督の限界を感じた。すべてが逆転する痛快で衝撃的なオチがあれば★5を献上したが。
無欲な人々の芸術的成功と都会に疲弊したエグゼクティブの田舎での幸福発見をミックスした口当たりのよい人情ファンタジー。「事実に基づく」と謳われるが、キナ臭い部分が相当レタッチされていると思われ、あまりに性善説的な物語は毒づきたい邪念を膨張させる。D・ボイルの「イエスタデイ」もそうだが、社会批評性のある大衆音楽を巧妙に非政治化してカウンターマインドを骨抜きする商業主義は狡猾さを感じ腹立たしい。漁師合唱隊にも世に訴えたい主張があったはずなのに。
ブラジャーと鉄道をモチーフにしたユニークな無言劇(サイレントではない)は象徴的に描かれるブラジャーの解釈が多彩にふくらむ。映画通には語りを喚起するだろうし、若い人にも刺激的な示唆を与えるはず。ユーモラスでエロチックな場面も多く男性観客を退屈させず、アゼルバイジャンのカスバのような家並みの軒先を都電もどきに通過する欧州横断列車に鉄道好きは垂涎するだろう。美しい映像による知的映画の見本だが、やや監督の自己愛が匂い立ち観客を選ぶ傾向を感じた。
エル・ファニング主演作はかなり観てきているが、インディーズの小さな作りに押し込められて、じっくり取り組んだ映画がない印象がどんどん強まってくる。本作も予算の少なそうな作品で、重要な要素のはずのオーディション番組の華のなさに興を削がれる。ファニングがステージで見せるパフォーマンスも練り上げられていなくて、思春期の衝動レベルなのが簡素で夢がない。彼女がぶつかる障害はたやすく取り除かれる優しい世界なのに、ファニングの暗い演技設計も違和感がある。
ポン・ジュノの新作というだけで絶対観ようと思わせる監督であり、本作も強烈な作家性と大胆な物語設定は、充実感があり頭に焼き付く。リアリティではなく構成の上手さとメッセージ性の映画であるのもわかる。しかし、箱庭いじりを眺めているような視野狭窄の感覚は、一度乗り損ねるとずっと世界観に入り込めないままになってしまった。近年のポン・ジュノが海外で撮った作品と同じくシュールさの土台や、階級差社会を本当に文言通り表現した作り込みが、やりすぎに見えて冷める。
実話の映画化が大流行していて、「事実は小説より奇なり」を地でいく啞然とする状況を描いた作品が大量に生産される中で、こういう小粒なものも出来てしまうんだなという印象。「漁師の男たちの歌が思いがけず売れた」というワンシチュエーションに付随する演出や些末の物語は、ありきたりな使い古されたものばかりで弾けない。主人公を演じるダニエル・メイズに、映画を牽引していく魅力が乏しいのも問題だ。設定に意外性がまったくないので、細部にもう二捻りは工夫が欲しい。
たわいない出発点なのは映画的に構わないが、しかし時代に逆行したこのテーマで一本撮りきるのかという驚きのまま物語は進む。男性が女性下着に抱く執着や、シンデレラの靴ならぬブラのフィッティングで持ち主を探す妄想は理解できるものの、そのワンテーマだけを具象化する企画の進み方に啞然とする思いがある。性的欲望を可愛らしい演出で見せてしまう90年代的な感覚に、現代的な新鮮さを感じないのも苦しい。出演する女優たちはどういう心境なのだろうかと訝しく思う。