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日本に出稼ぎに来たが、母国に帰ることを決めた中国人の、「この国に希望はもうないよ」という台詞が重く響く。だからこそ、主人公が日本人と築いた信頼関係と、鮮やかなラストシーンから、この国にも日本経済にも希望はないが、(個)人にはあるかもしれないと思わされる。特筆すべきは、ラストシーン。ある日本映画のタイトルを使ったボイスメールでのやりとりは、伏線の回収の仕方、切れ味の良さ、主人公のハッとさせる表情、その後の余韻、すべてにおいて出色の出来栄えだ。
なかなかにいけ好かない主人公を演じる笠松将の面構えがいい。彼を見るためだけに観る価値あり。青春音楽映画として、映像や音楽のレベルは高いが、台詞が非常に聞き取りにくい。ヒップホップやラップに関する自分の知識を総動員して、想像で台詞の穴埋めをしていく作業は容易くはなかったし、このジャンルに明るくない人には不親切。だからといって、明瞭な発声ではアンダーグラウンドの生々しさが消えてしまう。このジレンマを克服する姿勢だけでも見せてほしかった。
主人公のハルは、(もしかしたら死ぬために向かった)故郷への旅の途中で、自分が家族を失った東日本大震災とは違う悲劇で故郷を奪われた人々と出会い、経験を分かち合い、自己の悲劇を相対化する。終着地点となる風の電話で、ハルが茫漠とした感情を初めて言語化するシーンは、演じるモトーラ世理奈がこの撮影で経験したものが吐き出されているように見えた。このドキュメンタルなフィクションは、311後の人間を描いた映画として、現時点での決定版だ。
テーマや取材対象者への向き合い方も、システムや社会を変えるために放たれるメッセージも、真摯かつ明確。作品に色を付けるサンドアートによるアニメーションの使い方も観客ファーストだ。トラウマの克服や、モヤモヤとした葛藤を言語化して整理する作業、自分の人間関係における癖を知る作業など、この刑務所に導入されているプログラムは、もちろん受刑者の更生のためのもの。その一方で、観客一人ひとりが、実はわかったつもりでわかっていない自分自身に向き合う手がかりに。
主演のルー・ユーライの内に光を秘めた朴訥な顔がいい。「平和ボケ」とくさされる日本の若者には決して見られない顔。それに老練な藤竜也の顔が並ぶと、もう一幅の絵だ。技能実習から逃亡して他人に成りすます中国人青年と、彼を受け入れる蕎麦職人。中国にいる母や祖母の切ない愛。それとは対照的な職人の息子の傲慢な冷淡さ。彼の祖母が亡くなっても国に帰れず、スマホに送られてきた遺体の映像に涙するシーンの哀切さ! この映画には清潔な感動がある。
帰国子女が日本社会ではいかに生きづらいかを映画は描いている。優秀な姉は努力してMBAを取得するが自殺してしまい、弟はドラッグを売りさばいて無為な日々をやり過ごす。そんな生きづらさを弟はラップで訴えるのだが、そのスピリットが伝わってこない。映像表現にはこだわりを見せてくれるが、肝心の中身が描き切れていないと思った。「うわずってんだよ。それじゃ伝わるもんも伝わんねえよ」と劇中で友達が主人公の少年に言うが、奇しくもそれがこの映画を言い当てている。
豪華な俳優陣の結集にまずは驚く。監督やプロデューサーが斯界で信頼されている証しだろう。「風の電話」の存在を初めて知った。それを映画の題材に取り上げたことは称賛に値する。だから、余計にもったいない。脚本において、良くない構成の一つと言われるものに「団子の串刺し」がある。複数のエピソードを行き当たりばったりに連ねるもの。本作は正直かなり団子くさい。ドラマチックな構成に作為を感じて、あえてこうしたんだろうか。せっかくの脚本術を使わないのは、もったいない。
受刑者同士の対話によって更生を促す試み「セラピューティック・コミュニティ」を日本で唯一導入している島根あさひ社会復帰促進センター。その受講生たちを追ったドキュメンタリーだ。彼らは対話によって犯罪を犯した自分という存在を見つめ直す。社会的に意義のある映画であるのは間違いない。「取材許可まで6年、撮影2年」という労作であり、受刑者たちが自分たちの犯した犯罪を誠実に語る姿には心を打たれるが、センターの広報ビデオか何かを見せられたような気がした。
不法滞在となっていた技能実修生を、それと知らずに雇った蕎麦屋の主人。すぐそこにあるごく身近な問題として描く、という姿勢は一つの選択ではあり、作りも丁寧なのだが、みんないい人で、どこか穏当な印象。相当数が失踪するこの制度自体を問うことがなければ、「いまあるところで咲きなさい」流の、優しさを装って現状の理不尽を肯定することにつながりかねないという気がする。怒り狂えというわけではないが、これが第一作であれば尚更、もっと我武者羅でもよかったのでは。
差別やいじめ故に自分に立てこもり他人を無視、軽蔑していたラッパーが、ありのままの自分を認めることで成長してゆく。ヒップホップ版ビルドゥングスロマン。ただ、姉の自殺に関しては原因も説明不足で、モデルになった人物の事実だとはいえ、それが主人公にとって何だったのか、映画としてその意味を再構築すべきだった。映画と現実の葛藤はあっていいが、映画は映画としてひと先ずは自律すべきで、その枠内で描写を省略的にするのは可、しかし事実に居直っては映画の意味がない。
東日本大震災で父母弟を失った少女のロードムーヴィー。生き残ったこと自体の罪悪感に苛まれる辛さを、自分が思い出してあげなければ誰も家族のことを覚えている人がいないのだからと旅での出会いを通して克服してゆくわけだが、予定調和に見える。せめてその葛藤を一気に語る最後の電話場面が上手くいっていれば。ここは確かに難しいが、映画の肝でもあり、俳優任せでなくしっかり演出すべきだった。全体に即興芝居が俳優の生身の不確定性を生かしきれず、想定内でしかない。
受刑者同士対話して、自身の罪を自覚させる更生プログラムを実践する刑務所。一人はこのプログラムを通して機械から人間になったというが、彼らの多くはそれぞれの事情で罪を犯す前から自ら心を殺し、社会に対して自身を閉じている。恨みつらみを吐き出してようやく被害者のことが考えられるようになり、被害者を思うことではじめて人に帰る。刑務所の現状への痛切な問題提起であると同時に、話す、ということがいかに人を劇的に変えてゆくかを巡る、スリリングなドラマでもある。