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女の戦いは好物だが、男の戦いは退屈だ。生きのびることよりも、勝ち負けをつけたがるスポーツ感、ゲーム感がどうしてもつきまとう。最後の決戦で向き合うヒーローとヴィランは、戦争ごっこに熱中する男の子二人。本作も力まかせにスクラムを組むような骨太の展開で男たちを十分遊ばせてくれる。美しかったのは、日本映画には頻出するのに外国映画ではなかなか見ない建物の屋上を最後の死闘の舞台に選んでいること。ヘリポートで炎上するヘリはゲーム神への供物か。
なつかしい初期スピルバーグ風に始まり、やがてヒッチコックやドン・シーゲルを思わせる緻密に引き締まったスリラーの逸品へ。ただ違うのは、個々のディテイルが時代相応に残酷度、迫力を格段にスケールアップしている。もう一つは「ハッピーエンド死ね!」のパンク精神で、凶事の解決への努力があっさり手放されている。この一線を越えた感じは「ジョーカー」をも思わせ、こちらの身体をえぐり取られるような衝撃があった。悲しい結末なのに、なぜかガッツポーズ!
グッドストーリー、バットノースタイルというべきか、ノースタイル、バットグッドストーリーというべきか微妙。南米某国の要人邸が過激派に占拠され、オペラ歌手、各界セレブ、日本人社長と通訳らが人質にとられて籠城するブニュエルの「皆殺しの天使」状態が、いつしか敵味方入り乱れての微笑ましい多言語多文化教室へ(なんだか映画の撮影現場のよう)。この展開をさほど芸のない平凡な語り口で真っ正直に描く。映画評論家ではない友人には安心してお薦めできる。
コメディ演出が泥臭い、感情過剰で喚きすぎ、上映時間が長い(あと15分は絞れる)と、韓国映画のよくないところ満載なのだが、少女時代のユナが下だけジャージに着替えると、不意に「これは面白くなる」の予感に胸が騒いだ。地表に蟠る毒ガス層を逃れて、ロッククライマーの男女がビルの屋上から屋上へ跳び、走り、よじ登り、最後、夜空の高みへ突き出たクレーン上を天国への階段よろしく、二人きりで登ってゆくところでは、一瞬、神の息に触れたかのように感動してしまった!
冒頭の、マイク・バニングを罠にかけるべく、大量のドローン爆弾が湖上を舞う異様な光景から、ラストの大病院での大乱闘まで、息つく暇のない、まさにクライマックスの連続である。エンドロールが終わるまで、ぜひ席を立たずに堪能されたし。今回は、マイクのファミリーも凄い。ベトナム戦争で人生を狂わせ、失踪した父クレイ(ニック・ノルティ)の、この父にしてこの子あり的な、あきらめの悪い、血がたぎるような戦術は痛快。マイクの妻レアとクレイの初対面も、胸がすく名シーンだ。
緻密に設計された映像や音が恐怖を煽る。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのジェームズ・ガン監督プロデュース作と聞いて納得。ブランドンの同級生の母親の目に割れたガラスが刺さった時の、血まみれのカメラワークやノアおじさんの顎が外れた時の描写など、悪夢に出てきそうなほどの迫力だ。しかしいちばん怖いのは、冒頭の、ささやかな幸福に包まれた母子のかくれんぼが、ラストではホラーシーンへスイッチ。愛情なんて思い込みに過ぎぬという真実を淡々と描き出す。
実業家ホソカワ(渡辺謙)の通訳ゲン(加瀬亮)とテロリストの少女カルメン(マリア・メルセデス・コロイ)の切実な恋に比べ、ホソカワと歌姫ロクサーヌ(ジュリアン・ムーア)の関係をどう受けとめればよいか。ホソカワ(出発前の息子とのやりとりも含め、もやっとする)やロクサーヌの背景描写が何とも思わせぶりな分、南米で展開されるストーリーに集中できない。魅力的なはずの主人公が、テロリストと人質の心を芸術が繋いでゆく美しい物語の不協和音になろうとはもったいない。
どんな人間でもひとつはあるはずの重要なスキルを求められた瞬間のドラマに焦点を絞ったイ・サングン監督の手腕が冴える。子供でさえ黙殺したくなるパラサイト・シングル「進撃の鉄棒男」から、ロッククライミングの才能を活かして家族を救うヒーロー「ヨンナム叔父さん」へと、劇的に変化する主人公と甥(をはじめ家族)とのドラマ然り、「うまくいく」という台詞の回収然り、モールス信号まで主題歌がきっちり網羅する隙のない構成だ。本作が長篇監督デビューとは、次作も楽しみ。
このシリーズ、毎回、テロリストのそんなバカな?! という作戦でアメリカ政府が冒頭から壊滅状態に陥るのだが、この最新作もご多分にもれず。今作は、何度もその危機を救ってきた主人公マイクが、罠にはまってテロの容疑者となり脱走、政府、テロリスト双方から追われることに。アクション映画でよくあるこのパターン、ほとんど「落語」だと思って観ると細部の仕掛けを楽しめる。80年代であればこの手の主役をやっていたはずのニック・ノルティ、その役どころと登場シーンにニヤリ。
子供に恵まれない夫婦が宇宙から飛来してきた赤ん坊を我が子として育てるが……という誰もが知るスーパーマン神話を「もし“彼”が邪悪な心の持ち主だったら」というホラーとして再構築。藤子・F・不二雄のブラックコメディ『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』を思い出したが、本作は全く笑えない。全篇、肉体的にも精神的にもエグいシチュエーションが続き、自分の痛い思春期を思い出したりもして憂鬱になるが、子供を育てた経験がある人は、さらに絶望的な気分になるだろう。
争い事の多くは「話せば分かる」と思っている。言語が違うことでできる境界線は、どうするか。本作は「ペルー日本大使公邸占拠事件」を基にしている。ゲリラ、国籍が違う人質たち、複数の言語が飛び交うその現場はまるで“世界の縮図”で、加瀬亮の「通訳」が狂言回し的役割を担い、ムーア演じる「オペラ歌手」の歌声から利害を超えた関係が生まれ、そこは徐々に理想郷のような空間へと変化していく。実際の現場も同様だったはずで、その終結は単なる悲劇ではない余韻を残す。
滑り台に上がるのでさえ怖い、極度の高所恐怖症なのだが、そういう人間には生きた心地がしないシーンの連続。気がつけば文字通り手に汗握っていた。原因不明の有毒ガスが蔓延した街でそれから逃れるためにビルの屋上から屋上へ決死の移動を繰り返す主人公がイーサン・ハントやジェイソン・ボーンのような「プロ」ではなく、元山岳部のダメ部員で、現在ニートのマヌケな青年という設定がポイント。「冒険野郎マクガイバー」よろしく身近なものを使って危機を乗り越えるのも楽しい。