パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
ハネケ作品群や「エル ELLE」、「クレアのカメラ」などハリウッド以外世界中の作品に出演しているイザベル・ユペール。数年前の仏映画祭大使のパーティ会場で、同席していたドヌーヴに会場のマスコミが殺到する中、誰も彼女の存在に気付いておらず私は話しかけた。そんな存在感を全く消し去ってしまうような非存在の作法。ペルソナが剝がれ落ち、私は誰と話しているのか困惑した経験を思い出した。肌理の細かいジョーダン作品の質感と、映画としての観客へのサービスを堪能。
映画とは作品それだけでなく、それが生まれる様々な政治性や経済動向の表現とも言える。名プロデューサーのテレンス・チャンによる作品だが、「メイド・イン・チャイナ(日中合作)の映画作品はここまで来た」ことを顕示することも目的であるようだ。世界最高峰エベレストを舞台に、ヒマラヤ国際会議にまつわる怪文書取得の陰謀。さまざまな頂上を征服しようとする人間の本能的欲動が交錯。それがこの映画の在り方とも相似だ。しかしそれゆえ余計に世界観が小さく見えてしまった。
伊映画界を牽引する名匠ソレンティーノと名優セルヴィッロの名コンビシリーズ劇場。悪ふざけとシリアスが混濁し、セルヴィッロの怪演は頂点に。それもそのはず悪名高き伊元首相ベルルスコーニを演じた。脱税や横領、マフィアとの癒着、そして淫行問題。これだけのスキャンダルがあろうと尚、人たらしで国民からは愛されている。ラクイアでの大地震で家を失った老婦人に限りなく優しく接する。幾つの女性にも愛の限りを尽くす。そこには強くて傷つきやすい無名の普遍的な伊男性がいた。
閉じられた検問所で、語り出し(予言)共有していく物語は、対立する社会的な立場を徐々に侵犯していく。まるでプイグの『蜘蛛女のキス』だ。現実の社会状況もまたたったひとつの「物語」にすぎない。「数世紀にわたるイスラエルとパレスチナの問題もダラダラと続く終わりのないアメリカのメロドラマのよう」と吐き棄てる。世界中に解決を回避している民族問題がある。本作品のような大文字の歴史ではない、しかし無名の人間たちで民族や歴史は成立しているのだ。面白い!!!
「エル ELLE」が素敵だったイザベル・ユペールおば……否、姐さんがまたも怪演炸裂。ヴァーホーヴェンに続きニール・ジョーダンとは巨匠喰いな熟女優だ(小物だが私も喰われ……いや撤回)。善意が発端のストーカー恐怖劇はヒッチコックな格調の序盤からツイストを重ねてムード激変。安っぽい脚本をリストやショパンの曲を用いた効果と撮影監督の技量でブラッシュアップしてるものの、これは何のジョーダン? と当惑も。DVDストレートやネット配信なら拾い物だったろうが。
小型高画質カメラで撮影した地球上のあらゆる極限環境の記録映像が容易に見られる昨今、世界最高峰を舞台にするフィクションは実際との比較を余儀なくされる。とくに私のようなドキュメンタリー好きは現実環境の再現度を重視するので、リアルを希釈し劇画調をめざす演出は意に染まなかった。そこばかり意識させられるのは、本作が私の不服を消し去るほど強烈なドラマや人物像を描けていないせいもある。派手な山岳アクションなら4000m級の冬山のほうが自由に描けたのでは。
同監督の「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」の続篇的なイタリア政界実録映画を期待するも、まったく別物でポカ~ン。フェリーニの退廃、ティント・ブラスの裸女群舞に主演俳優の顔面模写芸を加えフルコース化した大怪作。男性観客には鼻の下伸ばしニヤニヤな艶味だが、ベルルスコーニってここで描かれてるような金満エロジジイ一本じゃないぞ。マフィアとの癒着は言わずもがな、殺人やテロの指示疑惑で何度も捜査線上に名前が挙がってだな……存命中なので盛れなかったか?
先に難を言えばいかにも映画祭の賞獲りを狙ったお高さを感じるし、説明なしでは難解なローカル要素が多々。しかし私はとても面白く見た。イスラエル領内に180万人ほどいるアラブ人の諦念やパレスチナ自治区への越境の煩雑、秘密警察まで登場するブラックな展開など他国の映画には真似できない描写が凝集する。終始仏頂面でひたすら笑わせる主演俳優の演技に拍手、主人公の成長と困難克服がテレビドラマ最終回に統合される脚本も完成度が高い。映画から世界を知る快感がある。
N・ジョーダンがB・デ・パルマをやってみたような、ありえなさと夢現さが同居するスリラー。サイコ物はこのくらい押しが強い方がゲテモノに振り切れていて良い。イザベル・ユペールが元々持っている無表情さが高圧的な恐怖に変じていて、キャスティングがベスト。物語の骨格として異邦人と接した際の、たとえば都市伝説の形を得ていくような無意識の警戒も根底に滲む。高尚さを求めず露骨に不安心理を突くサイコサスペンスとしての、畳みかけと犯人を追いつめていく力技も豪気。
様々な国籍の者が集まるヒマラヤ救助隊が、特に個々の民族性に帰すこともなく集合体で描かれるのはいい。しかし安っぽいCGと不自然にダイナミックすぎるアクションはどうか。作劇も収まりが悪く、語りの浅い過去の出来事や記憶に重きを置いたり、危険な任務中の死が簡単すぎて呆気なかったりなど、醍醐味に至らない徒労感が大きい。あまりに簡単に登場人物が死んでいくため、肩入れして応援したくなるどころか、観ていて心の置き場がなく投げやりな気分になってしまった。
P・ソレンティーノがあえて盛る悪趣味さの「わかってやってます」感がどうしてもノレない。157分の長尺とはいえ主人公が途中交代する構成や、ベルルスコーニと妻の関係性が脆いバランスで展開する描写は良い匙加減だ。でもその技も下品な場面とのコントラストも含めて、手管がこれみよがし過ぎる。パーティーがいかにも表象的で「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の突き抜けた笑いには至らず、女の体という記号の垂れ流しで辟易させようとする、その意気込み自体に辟易する。
軍人といった威圧感のある業種の人物が、意外な芸術的関心を持っている設定パターンは、心地良い添加物になるものだ。イスラエル軍の司令官による提案が、パレスチナ人青年を脚本家として成功へ導いていくのは、中東の政治的背景の際どさゆえ新鮮に感じる。しかし結局、司令官が目立ちたがりの物好きに見えてしまうが。基本的な物語は映像制作と恋愛のてんやわんやで、味のある挿話も多く、その手の映画としてまとまっている。とはいえ図抜けているとまでは言えないのが惜しい。