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怒濤のオープニングで物語に一気に引きずり込まれた時点で、この映画の勝利を予感。十五年後の“母、帰る”から、家族の物語がリスタートし、加害者家族でもあり被害者家族でもある三兄妹の人生が徐々に明らかになる。そこに絡んでくるサブキャラ(家業だったタクシー会社で働き始めた佐々木蔵之介)のパートが不穏さを添加し、予想外の展開で絡み合い、カタルシスへ。過去と未来、社会と家族の境界線を示唆する、会社と自宅の間にある中庭のシーンで、勝利が確定した。
はまり役の玉城ティナをアイコンにした、地獄パートの完成度が高い。エコーをかけた音響とねっとりしたCGで、無限に歪む時空間を表現。和製ダークファンタジーの実写映画としては、最高レベルと言っていいのでは。わらべうたや和装が彩る世界観は、日本映画にしか作り出せないものなので、海外セールスすべき作品。人間の愛憎が原動力となる現世パートは、肉体が感じる痛みや苦しみを観客に伝えることに成功したことで、安っぽくなりそうなところをギリギリで踏みとどまっている。
監督の求心力には脱帽するが、オールスターキャストが逆に裏目に出た印象。忠臣蔵に詳しくない自分は、見知った顔が多い分すべてのキャラクターが重要人物に見えてしまって情報処理が追いつかず、かなり早い段階でストーリーに置いてきぼりに。300年前のお話と、今を生きる我々を、お金(数字)で結びつけた結果、仇討ちへの想いや決意が矮小化されてしまった。限られた予算内で仇討ちを行うための作戦会議のシーンの映像は、時代劇としては面白い試みではあるけれど。
セーラー服姿での白いおパンツ丸出しアクションや、特殊造形で武器化する巨乳、唐突にも感じる女同士のキスなど、女性に対する幻想と妄想が気にならないわけではない。しかし、見世物小屋とマッドマックスをかけ合わせたようなグロテスクで残酷な造形美が、不満を軽々と凌駕する。覚醒した片腕マシンガールが敵地へ乗り込んでからのアクションシーンを、ワンカットで撮影し、編集時に随所で早送りしてメリハリをつけるアイデアに、俳優と観客に対する監督の信頼と優しさを感じた。
傑作映画を観て、「魂を揺さぶられるような感動を覚えた」などと人は言う。15年前、陰惨な暴力をふるう夫から子供達を自由にしてやりたいと夫を殺した母が出所して彼らの所に帰ってくる。いやらしい言い方だが、魂を揺さぶられそうなおいしい設定である。白石和彌という人はとても好感の持てる監督だ。人を喰った見せかけの映像パフォーマンスなど決してせず、あくまで正攻法で勝負する。いい映画だと思うが、人物を掘り下げる道筋が少しズレて、魂まで届かなかった気がした。
もとになった企画コンセプトは十数年くらい前からあり、それがテレビアニメと漫画が連動し、漫画は23巻で300万部を超え、テレビアニメは断続的ではあるが10年以上続いたらしい。なら、これは待望の映画化ということになりそうだ。知らなかった。勉強不足だ。で、作品は無難にまとめられている。設定もストーリー展開も平均値。際立ったものは特にない。面白くないかと言われれば、NO。面白いかと聞かれれば、素直にYESとは言えない。時々出くわすそういう作品の一つと言える。
僕が業界に入って間もなくの頃、脚本の大御所、笠原和夫先生にこんなお言葉を頂いた。「『忠臣蔵』を読みなさい。あれには映画のすべてが入っている」。その金字塔の『忠臣蔵』がいま映画になり、経済という新しい視点で描き直している。若い人で、『忠臣蔵』を知る人はほとんどいないが、映画は豪華な俳優陣を配し、コメディタッチでいつの間にか進んでいく。僕が何度も本で読み、映画で観た「忠臣蔵」の旨味は出てこない。そのままの「忠臣蔵」を観たかった、とつい思ってしまった。
失った片腕にマシンガンを装着した姉妹が敵をバカスカ撃ちまくる。もうそれだけで、何でもOKだ。「くだらない日本映画なんか撃ちまくれ!」とばかりに、これでもかと次々に飛び出すブラックでゲテでカオスでパンクでクレイジーでスプラッタな笑いとバイオレンスアクション! そのハチャメチャぶりを称賛したい。が、本筋はクラシックな勧善懲悪。見る人間より、作っている人間のほうがうんと楽しんでいるような気さえする。こういう映画が続々と出てくるのを期待する。
DV夫を轢き殺した母親が十五年ぶりに帰り、嫌がらせが再発するのだが、それが誰の仕業なのか分からないままなのは問題だと思う。顔が見えない悪意として演出されているのでもないようだし、要するに彼らを囲む「社会」を明確にしようという意思がないということだろう。敵がはっきりしないから、母親自身も含めた「社会」と三人がどう対峙し、自分を見出してゆくかクリアに像を結ばないのだ。場所が限定される演劇なら「外」は暗示でいいが、映画ならそうはいかないのでは。
「純度」の低い連中を世界から一掃するため「神」を呼び出す儀式を組織するヴィジュアル系=カルト宗教系=厨二バンド、結束を図るのにキメセクを活用、そのスタッフにはなぜか地獄少女グループのメンバーが参加(コーラスに麿赤兒!)。ツッコミどころ満載で、ある意味面白いが、しかし多少荒唐無稽になっても絵の力で虚構に振り切れるアニメと違う実写の場合、実物と作り物の配分計算を間違うとかくもトンデモに、という教訓として受け止めるのが正しい鑑賞方法かと思う。
赤穂浪士討ち入りにはいくらお金がかかったのか。一見面白い視点だが、数字が乱打されるうち次第にそれがどうしたという気になってくる。本作の新味は、マッチョにいきり立つ表の武士と、冷徹に勘定する裏の武士(その代表が大石=堤と、幼馴染の岡村)の間の、画然たる階級差、格差、それでも何とか表を立ててやりたいという葛藤だったはず。しかしそれは薄っぺらいまま掘り下げられず、結局討ち入りを裏=経済から見たというTVの歴史番組程度の話に落ちている。
「片腕マシンガール」のリメイクでなくリブート。確かに主人公は二人になっているし、彼女らは始めから改造されているし、そのため復讐という動機は薄れているし、CG多用のせいで描写が派手な割にはどこか軽く感じられるし、「殺しの烙印」や、東映任俠の道行、「セーラー服と機関銃」などのパロディもあり、と、情に訴える重い「片腕」よりもノリが軽く、別物と思って見た方がいいかもしれない。自分たちだけが面白がって観客置き去りの悪乗りではない点好感は持てるが。