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“天才”をどう表現するのかというのは、伝記映画の継続的な課題。本作は人間くさいネガティブな部分にフォーカスすることで人間としてのチェット・ベイカーを見出しつつ、さらに“悪魔との取引”という宗教的な概念を絡めながら、ノワール調で死に至るまでの苦悩を表現し、人間性と才能の間に一つの関係性を描き出すことに成功した、希有な作品となった。ガス・ヴァン・サントの「ラストデイズ」と重なる点も多いが、より突飛な展開が生む混乱が、作品に奇妙な独自性を与えている。
いまだに同性愛が罪になるというケニアで、新世代の才能ある女性たちが保守的な価値観をぶち破るべく放った渾身の作品。シンプルながら、同性愛への周囲の反応をリアリティをもってすくいとった一つひとつの描写は、現実に存在するだろう同調圧力を見事に表現している。そして環境につぶされていく様子を描きながらも、“何がいけない?”というフラットな価値観を捨てないで、タブーを破壊し前進していくキャスト・スタッフたちの作品への姿勢が、とてつもなくかっこいい。
盲目であることの葛藤や変声期の絶望が丹念に描かれた少年期、孤独な学校生活の救いとなる親友との出会いを描いた青年期に人生の浮き沈みが端的に表され、見どころとなっている。対して比較的順調な、大人になってからの最大の試練が、デビュー時に“プロモーターがなかなか連絡してこない”という出来事だったというのは、盛り上がりに欠けるのでは。とはいえ、成功するには本人の能力と正しい努力にくわえ、周囲のサポートと運の要素が大きいという表現は真理と言わざるを得ない。
皮肉なユーモアが全篇に漂った、スラップスティックな犯罪コメディで、障害や臓器売買など深刻になりがちな要素を、絶妙なバランス感覚によって、笑いに転化し得ているのがすごい。さながらギャグ要素が強まったコーエン兄弟作品というところか。「死刑台のエレベーター」や「ピアニストを撃て」を想起させるような数々の要素に監督のフェティッシュが漂いつつも、劇中に散りばめられた、ぎょっとさせるサスペンス演出の達者さは本物。ハリウッドでの活躍も見てみたい監督だ。
まず画面のチェット・ベイカーを演じている俳優の崩れた形相に本人が重なり、その衝撃で物語に一気に引き込まれる。徐々に、死の前の数日間のとことん堕ちた姿に暗澹たる気持ちにさせられるが、それにしても端正なかつてのルックスを知る身からすれば、非業の死を遂げた数多のミュージシャンの中でもひときわ辛い。彼の死の真相を刑事に探らせるというアイディアは良いが、この刑事が捜査にのめり込む動機に自分の抱えている妻との問題を絡ませたのは、物語として脆弱。音楽は◎。
主題となっている肝心要の、レズビアンのヒロインの二人が惹かれあっていく感情が見えてこない。この種の物語によくあるエピソードを網羅したことが、かえってドラマを陳腐に。よってラブシーン、親や周囲との軋轢といった関係も表面的にしか思えないのは残念。かといってまったく見どころがないわけではなく、社会に根強く残る男尊女卑に注ぐ監督のまなざしは、見逃さずに受け止めたい。志やよし。本国のケニア国内では上映禁止だったが、限定公開にまで漕ぎつけたそうである。
自伝をほぼ忠実にストーリーにしたドラマは、M・ラドフォードらしい手堅い演出が崩れることもなく終始安定している。少年期から大人になるまで、主人公を数人の俳優が演じているが、俳優が替わるにしたがって形相が実際のボチェッリに近づいたのには感心。某麦酒のCMソング〈大いなる世界〉を耳にして以来、伸びとスケール感のあるこの歌手の声のファンになったので、本人の吹き替えによる楽曲がたっぷり堪能できるのが何よりも嬉しい。ただ一点、セリフが英語なのが残念なところ。
インド映画だからある程度は覚悟をしていたが、とにかく話の“盛り”が過ぎて、マーダー・ミステリーの面白さ半減。盲目を装ったピアニストが殺人事件を目撃するが、実はすべて見えているわけで……、このダブルバインドで十分いける。エピソードを刈り込むことはできなかったか。もっとも監督はマーダー・ミステリー+ドタバタ喜劇を目指したのかもしれないが。特に中盤以降は味方だと思っていた人間が敵だったり、その逆になったり、唐突なエピソードもあり、展開が雑でくどい。
チェット・ベイカーの謎の死を題材にしているとはいえ、完全なるフィクションであり、死者の語りからはじまる映画はチェットの晩年の美しく枯れたトランペットの音色と共に不気味に蠕動しはじめるも、彼の死の謎を追う孤独な刑事とチェットの物語は並行時空に存在しているかのようで、現実でもあり各々の精神世界でもあるそれらは、なし崩し的に時間の概念を溶かされ、必然の帰結といわんばかりに同じフレームの中で重なってゆく……てカンジの伝記映画を装ったドラッグムービー!
同性愛が法で禁じられているというケニアでこの映画が撮られたことの意義や、製作者たちの熱意は充分に伝わってきたし、原色のドレッドヘアや衣裳、装飾は下品になることなく画面を彩り、人物に寄り添ったカメラも時折ハッとするようなショットを生み出しているのだけれど、純粋に映画として面白いかと問われると疑問符がついてしまうのは、二人のヒロインの境遇や物語の流れに過度の都合の良さや既視感があり、直接的なテーマ以上の何かを感じることができなかったからだと思う。
盲目というハンディキャップを背負いながら世界的なテノール歌手となったボチェッリの半生を描いたこの映画、起こることはドラマチックなのに、演出がオヤ?ってほどに平坦で、まあ、後半巻き返すパターンなのかと思うも、物語が進んでも描写は淡白なままに、彼の人生のダイジェストを見せられている気分になった。なんだろうこの感じ……ひとことで言うと退屈なのだが、そんな言葉では片付けたくない気もするし、美しい歌声は素直に楽しめたのだが、妙にモヤついた気持ちが残る。
監督は「インドのコーエン兄弟」とかいわれているらしく、ラストカットをはじめとして、インド映画らしからぬスタイリッシュさを目指したであろうイカした演出が散見されるが、全体的にはあくまでトラディショナルなインド映画の枠の中での洗練にとどまっており、「踊らないのに大ヒット!」というコピー通り確かに踊りはしないが、いつ踊り出してもおかしくない空気に包まれたストーリー至上主義のオモシロ映画だった。我慢しないで踊ればいいじゃない、インド映画なんだから!