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近未来アクション映画というよりは、もはや堂々たる戦争映画。両陣営がプロパガンダ映像を制作して放送し合うという、今回の物語のキーとなるアイディアが面白い。策謀に翻弄されて引き裂かれる盟友たちの、濃厚なエモーションが立ちこめる。いちばんの見どころは、ジェニファー・ローレンス、ジュリアン・ムーア、そして何と言っても亡きフィリップ・シーモア・ホフマンがそろい踏みする画面の迫力か。しかし前後篇に分けて引っぱる戦略を取るのは、日本だけではなかったのね……。
この公開題名だとスピーディーなギャング映画だと思われそうだが、シェイクスピアの戯曲『シンベリン』の映画化である。現代米国を舞台にしながら、シェイクスピアの韻文がそのまま台詞として使われる。同じ監督による「ハムレット」も同じ試みをしていたわけだが、そちらがせわしない大都会NYを舞台にしていたのに対し、こちらはどこかさびれた地方都市が舞台で、荒涼とした空気が漂うなか、アクションはスローモーションで意図的に引き延ばされ、または回避される。興味深い一本。
幸福度研究というのは近年わりとホットな分野で、その文脈の一部として現われたっぽい原作を映画化。幸せを実感できない精神科医が「内なるタンタン」を解放して冒険の旅に出る。その旅は結構ハードで、濃密な感情体験を彼にもたらすことに。愛嬌のある主人公、愛らしいアニメーション、そして何より世界各地のロケーションの魅力がポイント高い。「完璧な恋人」を演じるのがR・パイクだとなると「ゴーン・ガール」が思い出されてしまうけど、あんなことにはならないのでご心配なく。
主人公が労働者階級の人間であることがこの映画のタッチを決定していて、若さゆえの美貌をもはや持たない年齢の男女の運命的な恋、さらには老残と死まできっちりと描く。ターナーの絵画の空気を再現したかのような画面が最大の見どころ。狂気をはらみ、時に不可解なターナーの多面的人格の描写がとてもよいのだが、一方でこれは女たちについての映画でもあって、ひとりひとりの描き分けが見事。この種の映画としては掟破りにも思われる、不安感をかきたてるような劇伴音楽も面白い。
思わぬ快作「2」のノリを継続しているかと思ったが、「~レボリューション」への〝繋ぎ〟に終始。この最終章は二部作ゆえに次作を通してなんぼだが、テレビを通した締まらないアジテーション合戦を繰り返すだけなのには萎える。おぼこい少女から反乱の象徴になってしまったカットニスの葛藤や男ふたりに挟まれての悶々もあるが、踏み込みは浅い。しかしコレを観なきゃ次で「?」となる瞬間がなきにしもあらずで、この手のやりかたはやっぱり商売としては巧い。
うら若きヒロインの部屋に置かれた箱から、そろ~りと抜け出して彼女のあんなとこやこんなとこに鼻を近づけるE・ホーク。そこだけで持っていかれるが、やはり唸らされるのはシェイクスピア作品が誇る計り知れぬ強度と適応度だ。舞台は現代で、ライダースジャケット、バンズのスリッポン、スケボーなどが飛び出すが、セリフは17世紀。それでも違和感が生じない、この不思議。「ロミオ&ジュリエット」や「英雄の証明」などでも思ったが、シェイクスピアが凄いのか、監督が凄いのか?
キャストは実力派がズラリ、舞台のスケールも世界四半周くらいはいっているし、タッチは極めて軽やかでまろやか。だが、幸せについてのアレコレに気づく主人公が、もっとも深く?みしめるのが〝愛する人がいて、愛してくれる人がいる〟ことだったりする。実際にそういう状態にある者なら納得できるだろうが、そうじゃない者にとっては華やかな作品の雰囲気も相まって辛くなるだけのような気が。『ルポ 中年童貞』なんて本が出るようになった昨今、こうした幸せの定義は残酷なのかも。
自作を絶賛してくれる批評家につれない態度を取り、金を無心する仲間を突き放すかと思えば助け、溜まってきたら立ちバックでメイドを犯すターナー。これ以外にもちょっとアレな言動を繰り返す彼なのだが、そうしたエピソードを追いかけるだけで、背景を描く気配はまったく無し。テレビ東京でやっていた『美の巨人たち』〝ターナーの回〟のほうが人物像に迫っていたと思う。ただし、彼が目にし、キャンバスに筆を叩きつけたい衝撃に駆られた風景を再現した映像には引き込まれる。
サバイバル・ゲームから始まったこのシリーズも三作目、独裁政治と革命派の対立というポリティカル・サスペンスになってきた。革命派の広告塔として諜報活動を担っている、我らのジャンヌ・ダークの立場が面白い。プロダクションやマネージャーがいて情報社会の中で作り上げられていくアイドル・スターに似た存在だ。確かな自己と才能を持った者だけが生き残れるこれもサバイバル・ゲームだ。完結篇の邦題は「レボリューション」革命だ。どのような世界が待っているのだろう?
原作はシェイクスピアの『シンベリン』。『ハムレット』や『マクベス』のように名前がタイトルになっているが、性悪な後妻とその連れ子のバカ息子に翻弄されるブリテンの王で、存在感は薄く、主役とは言いがたい。映画では麻薬組織のボスの設定で、エド・ハリスが凄みをきかせて演じている。トップタイトルのイーサン・ホークはヒロインの貞操を狙う色事師で、これも脇役に過ぎない。ストーリーをそのまま現代に替えているが、無理が多く、原作のどこをやりたいのかが不明。
新興宗教か自己啓発の映画かと思いそうなタイトルだが、説教臭は少なく、アドベンチャー、ファンタジーと思えばそれなりに楽しめる。とは言うものの、この金持ちのドクターの世界を股にかけた幸福追求の旅は、多分に幼児的で自己中心のナルシシズムであり、典型的なミドル・クライシスの症状のようでもある。患者を幸せにするべき医者であることが皮肉だ。いい人なんだろうが、単純すぎて、いささか問題のある人物だ。もう少し苦労して大人になれよと言いたい気もする。
イギリスの美術に精通していなくても十分に堪能できる濃密な人間ドラマの傑作。マイク・リー監督の盟友、容貌魁偉なシェイクスピア俳優ティモシー・スポールが肥満体を揺るがせて、画家の晩年を熱演する。傲岸不遜な芸術家に迫りくる死の影、孤独、純粋さ、エゴイズム、不器用な女性関係、様々な矛盾を抱える人間の存在の悲しさ、愛しさ、可笑しさが胸を打つ。画家の眼に映る風景の色調を再現したという撮影技術は素晴らしく、ビデオカメラで撮影したと聞き驚いた。