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何かが足りない。前半とくに、芝居が上滑りしている印象を受ける。父親と息子たちとの親密な結びつきを描いているのだが、それが、やがて始まる戦争という嵐の前の小春日和の時に過ぎないことを予感させるサスペンスを醸し出さないからだ。あるいは、息子の出征を、お国のため、名誉なことと信じて疑わないということが、言葉としてのみあって、当時の庶民の「信」として伝わってこない、といおうか。そのため、息子を国に奪われた母親の悲劇が、リアルに立ち上がってこないのだ。
女子高生・真衣に扮する杉咲花が素晴らしい。むろん、主人公の宏役の野田洋次郎もいいのだが、というよりは、言葉少なくボーッと立っている彼がいるからこそ、それに突っかかるような動勢で立ち、動く杉咲が、いっそう光るのだが。静と動。それは同時に、死と生でもある。死を前にして、生は眩しいまでの輝きを見せる。金魚を放ったプールに飛び込む真衣、自転車で疾走する真衣、そんな生の輝きに照らされ、宏もまた絵筆に命を燃やす。そして彼のピエタを見た真衣はひたすら走る。
ゾンビのホームドラマという着想がまずあったのか、それとも、短篇という枠組が前提としてあり、そこから考えたのか、とふと思う。結果は、物語と38分の短篇という形が、程良く合って過不足なく仕上がってはいるのだが、それだけに、この倍の長さだったらどうなったか、という期待を含めた思いに誘われる。筒井真理子演じる母=妻はよくやっているが、彼女の夫への不満も、夫=木下ほうかの居直りも型通りに収まって食い足りないのは、短篇という枠にとらわれたゆえかと思うからだ。
一言でいえば、絵に描いたように純情・素朴な男が、自身の身体にも関わる傷を抱えた女の心を、いかに開いていくかという話に、八戸の魅力的なスポットや、縄文時代への熱い想いを絡めた物語なのだが、冗長な感じは否めない。いい人たちばかりが出てくる、いい話だから、文句をつける気はないのだが、縄文の魅力が、言葉でしか語られないのが物足りないし、純情・素朴はいいけれど、その表現に直球しかないのが暑苦しい。それでも、押しつけがましい説教がないのは、美点であろう。
私の友人界隈では品のいい美熟女に対するたとえの頂点が、鈴木京香のような、という形容だが、これからはそういう発想をあらためそうになる(あらためないが)ほどの吉永小百合化をここに見た。しかし鈴木京香があまり文盲の百姓かあちゃんらしくは見えないのだが、我が子の戦死が続くなかで、理屈先行ではなく母性によって反戦の思いを湧きあがらせるというこの話の肝はできていたように思う。和製「プライベート・ライアン」とも言えるがその比較でまた、ああ日本負けた、と。
野田洋次郎氏の佇まいが誠にいいので、そこに引っ張られて見せられた。それは本人の単なる見た目や資質、活動によるものでもあろうが、なによりも監督松永大司のなかにある若者像、描きだしたかった主人公の姿が惹きつけるものを持つゆえだろう。自ら忘れさせている夢、鬱屈、土壇場になってようやく生き始めようとすることとか。主人公がもはや仕事ではなく何かの証明のためにガラスを拭こうとする姿に胸を打たれた。ただひとつの絵を描くために、彼は下地を澄ませていたのだ。
虎は死して皮を残し、南木顕生は死して「ニート・オブ・ザ・デッド」を残した。私は昨年まで某ミニシアターの上映番組も選びうる立場だったが以前よりの知人である南木氏に直にサンプルを渡された氏の脚本作の短篇映画を上映はしなかった。だが本作だったら? 答えの出ない問い。フラットには見られぬ。だが、面白い本作。悪くないゾンビ映画だ。主役の筒井真理子が美しい。過去出演作で感じない魅力があった。いまや死者となった監督の、歩く死者たちの映画で息づくものがあった。
どこに行きつくか予想もつかない映画……。と、いうことに良い意味も悪い意味もない。そのままの意味だ。神秘的ビジョンと傷を奥底に隠し持った人生が遭遇してどうなる?感動……、か、これは……?、というなんとも言えない映画だ。地方を紹介する観光映画だ。だが、観光には宗教的な巡礼という意味がある(以前にもこの欄で書いたことある説明)。そういうもの、古代よりの光はあった。そのガイドにアイヌのルーツを持つ宇梶氏、適役であった。鈴木杏樹、武田梨奈も良い。八戸も。
7人の息子を戦地へ送り出し、次々届く訃報に悲嘆する母の姿が綴られてゆくが、ただ表面をなぞるかのごとく何一つ深く引っかからないまま最後まですーっと流れてしまった。各人を描き分け、母と彼らの絆を伝える日常が序盤で活写されていたら、母の慟哭に共鳴できたのか。品行方正な息子たちと美しく優しい母。70年が経ち戦争は、こんなにも端正でこざっぱりしたパッケージに収まってしまう。涙より時代を超えた痛みや怒り、心湧き立つ強い思いを喚起する人間臭い映画が今、見たい。
社会の真ん中から外れた男と居場所を見失った女子高生の、孤独と孤独がやがて溶け合う。全州国際映画祭でヤン・イクチュンも通底するものがあると語っていたが、鑑賞中、「息もできない」が心を過った。「ピュ~ぴる」では、一人の人間の心と体の移ろいをギリギリの距離と均衡で見つめていた松永監督だが本作の言葉は驚くほど直球だ。「息もできない」の漢江名シーンはまさしくピエタ。本作の二人からはそこまでの魂の共振を、主題である「浄化と昇天」のカタルシスを感じきれず、残念。
異色作にして意欲作。わずか38分でブラックな笑いと哀感たっぷりにいびつな家族の姿を描く終末ゾンビホームコメディー。ゾンビとなったニートの息子に、筒井真理子演じる母がプリンを食べさせ涙ながらに懺悔する。やけに心に引っかかる名場面。引きこもり、不登校、介護問題、少子高齢化に家庭内離婚……。超現実に現実の暗部をてんこ盛りにして、短篇とは思えぬ見応えに。終幕の母の表情も後を引く、これもまた〝ゾンビのピエタ〟と呼びたい一本。異色作にして、遺作。長篇も観てみたかった。
冒頭、ベトナムの部族長に宇梶剛士演じる考古学研究員が唐突に問う。「人間として一番大切なことは何ですか?」―ふと思う。これはもしや「北京原人 Who are you?」にも通じる、特殊な味わいで魅せる映画なのか、と。その後鈴木杏樹扮するバツイチの主人公と巨漢純情縄文オタク・五朗との、人気漫画『俺物語!!』風ギャップ・コントが展開され、中盤なかなか楽しめた。だが、問題は冒頭の問いに繋がるヒロインの深刻な悩み。彼女の呪縛は終局、完全に解かれたのか? その一点に、もやもやが残った。