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「歴史」とは教科書の年表に掲載されているような有名人や政治的出来事だけを指すのではない。アナール学派のように、無名の民衆や社会の集団的記憶こそが重要なのだ。明るく輝く恒星だけで星座は構成されているが、その恒星間には必ず無数の星の存在がある。また人物や出来事は歪な多面体。ジャーナリズムとは多くの真実のうち、正確なたったひとつをいかに伝えるか。そして固有名を持たない人間はこの世でひとりもおらず、個々の出来事を他人事ではなく伝えようとする姿勢を見た。
フィンランドのサウナは憩いの場、告解の場、会議室でもある。この映画では、画面には映らない物語が生まれ語られ伝えられていく場であり、劇場そのものである。居合わせた人々は自分事として耳を傾ける。そして我々鑑賞者も一糸纏わずそのサウナに一緒に入っている錯覚に陥る。マスコミが描く平均的な幸福論ではなく、唯一無二の等身大の幸福論がそこでは展開される。フィンランドではオンカロという最終核処理施設が話題となったが、オンカロもサウナで語られたのだろうか。
特殊で際立った実例や選民思想を描くことが、大衆小説や物語では常套手段のひとつ。この作品はどこにでもいるような等身大の女の子とその変哲もない周囲を描いた。SNSは誰もが自分を発信し客体化できるメディアで、集団無意識的な理想像を映し出してしまう。その中では自身が監督でありプロデューサーでありタレントでもある。世界の中心は自分自身であり主役は自分。その理想像からはみ出し、人が最も見せたくはない無防備で余剰な現実をユーモラスに描いて見せた。
レズビアンとゲイのふたつのカップルのユーモア溢れる妊活物語で、一見編集が複雑で時系列が解りにくい。しかし、物語は終わりからの視線で、生まれてくる赤子が周囲の大人から事ある毎に聞かされた断片を繋ぎとめ再構成しているように思えてならない。4人が主人公ではなく、語り部としての赤子の存在。特別なLGBTの人々の物語としてだけで捉えるのではなく、両親や祖父母の語られなかった埋もれた歴史が必ずあるのだ。小さくても重要な歴史を救済し語り直す物語である。
ロザムンド・パイクの怪演は★5。戦地をノーヘル革ジャンで突進する百戦錬磨の女性ジャーナリストは英雄的すぎると萎えるが、戦争ジャンキーで酒とSEXの依存症、使命感でなく狂気で動いてる感じが好き。しかも男性客に大サービスまで! 一流紙記者のスノッブな日常と陰惨な戦場の落差も意地悪で上手い演出。ただ癇癪型主人公の視点を戦場の真実と提示するのは無理筋では。市民を巻き込む戦闘は悲惨だが攻撃側にも理由はあり、複眼的視座がないとプロパガンダの匂いが……。
全篇オッサン全裸、具まる出しの自分語りを入場料相応とするか。ストレートの男性客には高いハードルだ。似た光景は近所の銭湯にもあるし。むろん中年男の裸身に美術性を感じたり、無害で悠長な映像詩に対価を認める価値観を否定はしない。作意の底に右傾化や徴兵への反発を感じたりもできる。だがサウナでクヨクヨ湿っぽい話ばかりするのが本場の流儀でもなかろう。オッサン世界標準のスポーツ話エロ話を排除し泣き言に絞り込む監督の美意識に共感できるか否かが満足度の指針。
ネット世代の中二病女子が性体験のさざ波に足をさらわれ悶々。大昔の「ポーキーズ」などに較べ萌芽年齢も若いし淡い。昭和37年生れの筆者はアクチュアルな中二世界は知らないことばかり。主人公の父親の視点があって感情移入できたのは救いだった。ひと夏の経験はさして過激なグレードまで発展せず父親世代は安心して見られる。娘との和解は中年男性客の泣きどころ。サービス的でやや鼻白むが。にしてもバツイチ親父、娘ばかりに執心してないで外に女作れとエールを送った。
同性愛の男女二組が人工妊娠で子供を分かちあおうと企てる。ところが人体は機械ではなく、生理と感情に由来するほつれから両ペアの人生と愛情に波乱が。英国と台湾の美しい景色、登場人物みな美形で裕福で恋愛に誠実とバブル期のトレンディドラマみたいな品揃え。空港での抱擁シーンなどウヒャーいつの時代だよ、と苦笑を誘う月9調。時間を錯綜させ伏線を仕掛けた巧妙な構成で謎解き的に魅了する一方、事態の収束点は安直。世の中、物分かりのいい人間ばかりじゃないんだし。
主人公は戦場での経験からトラウマに苛まれ精神的な脆さの瀬戸際に立ちながらも、紛争地に舞い戻らずにいられない。使命感と、恐怖と紙一重の激しさにしか生きている証が感じられない者の行為だ。この複雑な人物をR・パイクが見事に演じきっている。恐怖という感覚を喪失する映画「フィアレス」にもあったように、恐れを失った人間は自由になれるわけではなく、危機意識を感じたくてさらに危うい領域に踏み込んでしまう。戦場だけでなく、その精神的彷徨も豊かだ。
説明などの無駄を省いた構成によって、様々な語りに引き込まれる。登場する人物たちの取り繕っていない裸体は迫力があり、劇映画の美しい俳優に見慣れている目にはとても新鮮に映る。そして会話の重さ。特に苛烈な人生を送ってきたわけでもない人々にも、生きる上ではつらく苦しいことがある。誰にでも何かしら問題はあるけれど、「つらいのはお前だけじゃない」という言葉では切り捨てられない個々の痛みへのまなざし。フィンランドのサウナは汗とともに打ち明け話を吐き出させる。
日本でいう中2の時期の波乱は緻密に描かれている。ネットに密着して自己顕示欲が増し、しかしそれを制御する客観性や抑止力は未熟で、なおかつ性的な視線には容赦なくさらされ始める。そんな危うさを確かに描きつつも、映画の世界観は少女ケイラの小さな世界でこぢんまりと終始してしまっている。対象が少女なだけで、平凡な大人の日常を描く映画の退屈さと大差ない。ケイラと父親との関係は繊細だが、彼女が自信なく背を丸めた演出なども誇張が過ぎて引っかかる。
男女それぞれの同性愛者カップルたちが子どもを持つことへの着眼点はいい。だが出産にまつわる女性の心身への負荷という重要点は絵空事のようだ。時間軸や相関関係の見せ方も、確かに効果的な部分もあるけれども無理にいじりすぎの傾向がある。話を創作するのに「相手の話に耳を貸さないから誤解する」というのは古めかしい悪手であるし、登場人物の後始末に死を用意するのも安直な逃げ方だ。自己投影として宇宙飛行士を用いる描写は、果たして本当に何かを体現しているのか?