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悪行三昧だった嫌われ者の総理大臣が記憶を失くしたことをきっかけに(生来の?)おどおどキャラに生まれ変わり、周りを困惑させ、敵が味方に味方が敵に。その混乱と、ベテラン俳優たちの芝居が醸し出すヒューマニズムに由来するユーモアだけで十分成立するのに、なぜか投入される小手先の笑いが蛇足。チューリップハット&丸いサングラス&付け髭の変装や、特殊メイクの福耳、口が臭いハゲキャラなど、わかりやすい武器ほど慎重に扱わなければすべてが台無しになる。
伊坂幸太郎で起こりがちな“奇跡”を使わずして、日常生活のなかで好きな人と出会うことが、ましてやその人と人生を歩き続けることがどれだけ奇跡的なことなのかが伝わってくる。10年越しの伏線回収も、別人がたどる道のりの偶然の一致も、奇をてらわずに、丁寧に。ともすると淡々としすぎかねないところで、主人公と真逆の性格の親友を演じる矢本悠馬が、これ以上ないアクセントとして機能する。すべての登場人物が各自の人生の主人公として存在する、美しい群像劇。
寛容性が足りない主人公が多様な生き方を受け入れて凝り固まった自分から解放される。「好きなように生きればいい」という作り手の想いや志には100%同意。だが、善人しかいない離島で、都会に疲れた主人公が、彼女にとって“普通ではない”大家族に反発しながらも食卓を囲み、多様な愛に触れて、たった数日で意識が変わる理想主義的展開が逆に息苦しい。おいしそうな食事が魅力的な映画なのに、最重要フードのおはぎに限って、作る音も咀嚼音も汚いのはなぜだろうか。
明暗のコントラストが強い、時代劇というよりはアクション映画のようにギラギラザラザラした画質。イラストを使った時代背景のわかりやすい説明。史実に「あったかもしれない」という自由な発想の物語と、すぐに本題に入るスピーディーな展開。さりげなくモダンな衣裳。キャスティングはもちろん、時代劇に慣れていない層を楽しませたいという意欲が溢れた作品。気軽に観られるライトなエンタメ時代劇としてアリだが、俳優の“白すぎる歯問題”はどうにかしてほしい。
このタイトルと来れば、どうしてもロッキード事件に連想が飛び、日本の政治風土をブラックに笑い飛ばすものかと思ったが、違った。記憶喪失に陥った総理大臣が硬直した日本政治を刷新して行こうという話。人を笑わせる三谷氏の力量は健在である。小難しい問題には首を突っ込まないで、人をくすぐり倒すことに徹したのはアッパレ。が、映画は料理でいうフルコース。クライマックスのメインデッシュにどうしても期待をかけるが、それを食べないで終わったような不満が残った。
モーツァルトの有名なこのセレナードは、とうとう最後まで流れなかった。仙台に生きる様々な男女の十年越しの恋の物語。宣伝文句にはお約束のごとく“奇跡”という言葉も踊る。イチャモンをつけられる筋合いはどこにもないだろう。基本的に真面目で、そこそこオシャレな人生肯定ドラマ。あえて毒を排除したような世界観のせいなのか、テレビドラマを見ているような感じがした。テレビドラマをくさすつもりは毛頭ないが、映画はやはり映画であってほしいと思ってしまった。
この映画のもとになった30分の短篇を偶然見ていた。それを一時間半強の長篇にしている。短篇では描き切れてなかった、亡き妻の衣服を身につけて母親になろうとする父親とは何者なのか、そんな父親に幻滅する娘はいかに気持ちを整理してゆくのか。それが納得のいく形で見られると思って期待したが外された。奇異な設定は腑に落ちてこそ意味があるが、そのままほったらかしてしまっている。笑いを取ることに気を散らさず、この父と娘を穴のあくほど見つめさせてほしかった。
信長に敗れた今川の元家臣たちに、3人の信長が捕まる。家臣たちは信長の首を斬って、亡き主君の墓前に捧げなければならない。だが、3人のうち誰が本物なのかわからない。家臣たちは本物の信長が誰なのかを巡って悪戦苦闘を強いられる。だが、本物の信長が誰だかわかったとして、それがなんだと思ってしまう。史実でもなんでもないトンデモ設定なら、トンデモもないカラクリやトンデモない結末がほしいのに、実に無難にまとめている。この映画をどう面白がればいいのか僕にはわからない。
権力志向の総理が記憶喪失、初心に帰ってしがらみのない政治をやり直す(現実ならいいのに)。身内への利益誘導建設計画の破棄、米大統領に農産物関税引き下げを拒否、率直な物言いが却って好感持たれるなど(現状への皮肉はよく分かるが)、政策変更簡単にでき過ぎ。過去の総理を全否定するのでなく、それなりの理想持っていたのが挫折を経てああなっていた、という方が、同様の設定のディーン・フジオカの翻意も容易にするし、人物造形、政治への意欲も説得力持ったのではないか。
相変わらず達者な恋愛群像劇。出会いの偶然性、勘違い、ちょっとした細部によるほのめかし、同じような状況の反復、そして一気に十年飛ぶ構成。原作の出来もあるのだろうが、やはり映画的な時空間の操作、間合いや雰囲気の醸成など微妙なバランスの計算(それが要するに演出なのだが)が巧みで見ていて危なげがない。しかし「愛がなんだ」に比べても美男美女たちばかりで、まるでおとぎ話。ウェルメイドであるだけ、正直「愛がなんだ」に比べると心には残らない。
「一見奇矯だが、実はまっとうな実家家族の在りようを通して、ヒロインが家族の多様な在り方に気づく映画」。それ以上ではない。愛さえあればどんな形であれ、それでいいのだ、というメッセージ自体は素晴らしいが、コメディとして笑えないためにメッセージまでうまく伝わらなくなっている。ワンピースのおっさんという見た目のインパクトに頼りすぎで、間合いや雰囲気の醸成など微妙なバランスの計算(それが要するに演出なのだが)が今一つ。生硬で未熟という印象。
信長が三人、誰が本物か。人里離れた廃村に舞台を限定したのは予算の制限もあるのかもしれないが、その分、脚本のハードルは確実に上がる。この作戦が功を奏しているかといえば正直微妙だ。アイデア勝負になってくるが、そのアイデアがいささかしょぼいのだ。彼らを捕らえた側の根拠は復讐だが、彼らが信長に負けたことでいかに悲惨な目に遭ったかが感じられないので動機が弱いし、そもそも全員斬ってしまえばいいではないかと思わせる時点で負けだろう。