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ゾンビ映画の新趣向として、この映画ではゾンビ化するまでに長い潜伏期を設定し、その間オヤジたちが精力絶倫になるといって列をなしてゾンビに腕を嚙ませる。笑える? ゾンビ映画は英語圏ではアポリカプス(黙示録)といい、地球上に生き残りは我らだけみたいな悲壮な「世界の終末」感が肝だが、そんなことは屁とも思わぬ韓国製ゾンビ映画はあくまで狡く明るく逞しくハッピーエンドをめざす。笑ってしまえ。キワモノ、ゲテモノの類だが、ゾンビ映画ってもともとそうでしょ?
鉄道運転士がのっけから不幸な列車事故で「俺は28人殺した」「俺は何人だ」と言い合うのでびっくりしてしまう。いくらなんでも多すぎないか。ところが監督の祖父はチャンピオンと呼ばれた運転士で、なぜなら17人という記録をもっているからだという。セルビアの鉄道文化がよほど荒っぽいのか、この死をめぐる微妙な感覚のズレが、この映画に独得の調子を与える。無残な轢死はそれはそれでむごたらしいが、なぜかクスッと笑ってもしまえる余白がどこかに取ってある。
ベル・エポックのパリの背景が美しく、そこへロートレック、コレット、モネ、サティ、ドビュッシー、パスツール、マリ・キュリー等キラ星のような著名人が(似顔絵で)登場する。男性の場合はヒゲが、女性の場合は衣装と姿勢がポイントか。物語はニューカレドニアからやって来た少女ディリリが配達人のオレルと、男性支配団による少女連続誘拐事件を解決するまで。ディリリがいつのまにかチータの背に乗ってノソリノソリしている辺りのリズムが、実にいい感じだ。
古典的なホラー映画の序破急を排して、いきなり敵が突進してくるいわば破急急の展開に目がさめる。そしてその敵とはもう一人の自分であるというドッペルゲンガー(映画的には一人二役)のテーマ、ゾンビの黙示録的世界、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、ゴキブリ的スピードの暴発と、思わずなぐり書きしたメモ群の収拾がつかない。要するにとんでもなく知的に興奮させる。終盤の絵解き部分がやや駆け足で詰め込みすぎか。ラストの「チェンジリング」に悲鳴!
主人公家族の兄弟を演じた、チョン・ジェヨン、キム・ナムギルをはじめ、芸達者な面々の競演が痛快。ゾンビのチョンビ(チョン・ガラム)と末娘へゴル(イ・スギョン)が、キャベツ畑で戯れるシーンで流れる、ユン・ジョンシンのヒット曲〈Rebirth〉など、音楽の使い方にもユーモアがある。ゾンビに対する男女の意識差や、ゾンビと育まれる関係性など、のどかな地方の風景の中で繰り広げられる、牧歌的なストーリー展開も面白い。本作が監督デビューとなるイ・ミンジェが脚本も。
冒頭の、60歳の鉄道運転士イリヤの怠惰な運転っぷり、6人のロマを轢き殺した事故の状況を語る淡々とした様子に意表をつかれる。生活のために仕事を止められないのは、セルビアも日本もおなじだが、それにしたって……。やがて汽車住宅での(魅力的!)イリヤ爺さんの静かな暮らしぶりや、鉄道事故で死んだ恋人の存在を知るうちに、養子シーマとのぎこちない関係性やタイトルの意味がわかってくると、俄然映画が味わい深くなってくる。イリヤの相棒、犬のロッコも大活躍で楽しい。
タイトルをはじめ「ペイネ 愛の世界旅行」(74)との共通点は多々あれど、全く違う現代的なテーマ、即ち男権主義者に抵抗し、立ち上がる女性の、凛々しい姿を描いた、繊細な美しさのアニメーションだ。少女ディリリ(チーターとのシーンが素敵)を取り巻く、化学者マリ・キュリー、舞台女優サラ・ベルナール、オペラ歌手エマ・カルヴェら、ベル・エポック時代を彩った女性たちのエレガントな態度には、うっとり、というより背筋が伸びる。ガブリエル・ヤレドの音楽も素晴らしく、耳福。
母が少女時代に大事にしていたぬいぐるみの、娘のTシャツの、ラストシーンで息子が抱いていた、それぞれのウサギは何を暗喩するのか? 恐怖から目を逸らすべく考え続けたが、うまく集中できなかったのは、見事な音楽効果のせいだ。恐怖で固くなった心を激しくかき乱す弦楽器の音色から、ルーニーズの〈I Got 5 on It〉やビーチボーイズの〈グッド・バイブレーション〉などの西海岸系、エンドロールで流れる歌姫ミニー・リパートンの〈レ・フルール〉まで、人を食ったような選曲に震撼。
毎年世界各国で作り続けられる「ゾンビもの」だが、飽きを通り越して、最近再び楽しんでいる。嚙まれる→感染する→ゾンビ化という一連の大前提を作り手が逆手に取り、これまでの“常識”をいかに打ち破るかがポイントだ。本作が新しいのは、嚙まれると(すぐには)ゾンビ化せず、まるで若返ったかのような滋養強壮効果があるのを発見し、それを利用して商売にする家族の物語という点だ。だが、それ以外はゾンビのペット化、ゾンビの恋など既視感に溢れていたのが残念だった。
「アンダーグラウンド」が私のフェイバリットの一本だからかもしれないが、60代になったリストフスキーの佇まい、まなざし、そしてカラノヴィッチとのやりとりだけで心動かされてしまった。そういう俳優、そういう映画も存在するのだ。セルビアの運転士たちは人を轢き殺してしまうことを前提で列車を走らせている、という嘘か本当かわからないような話だが、クストリッツァにも通じるアイロニックなセンスが全篇通して心地良く、彼らが奏でるその“リズム”に最後まで乗ってしまう。
万博の人間動物園「カナック村」にバイトで出演する少女ディリリと配達人の青年オレルが出会う冒頭の流れが見事だ。え、何が始まったの?と思っている間にベル・エポックのパリで繰り広げられる“一見かわいい”冒険ミステリーに引き込まれている。写実的だが奥行きを感じさせない背景、立体的な造形物、ややデフォルメされた人物たちが一体となった不思議な味わいのアニメーションだが、その中に現代にも通じる人種やジェンダーの問題をさらりと描いている、実は骨太な作品だった。
自分と家族に瓜二つの者たちが襲ってくる、というありそうでなかったドッペルゲンガー映画。笑いと恐怖は紙一重、というのを丁寧に描いた上質なスリラーで、その斬新な恐怖のアイデアから徐々に壮大なトンデモ展開になるのは監督の前作「ゲット・アウト」と同じだが、最終的に奇妙な感動を呼ぶところがポイント。トランプ政権以降加速している露骨な格差問題を組み込んだ構造が秀逸で、お前ら何者だ?という問いに“分身”が返した「答え」が本作の全てを集約している。