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上田監督の前作は、裏切り(=サプライズ)が見事に成功した。本作は、ストーリーのある地点までは、シナリオと編集により黒塗り部分を作って観客を騙す、叙述トリックに近いものがある。そこで終わっていたら作り手のマスターベーションに過ぎないが、黒塗り部分を開示して種明かしをした後に、さらなるサプライズを用意。また、3人のヒロインを演じる若手女優がそれぞれに魅力的で、前作では退屈だったフリ部分も飽きることがない。以上、2つの進化を評価したい。
親友同士の少年が、状況を打破するためのルールを見つけ出す謎解きと、大切な人を守るために戦うアクションからなるRPG的構造にワクワクする。異形の者が酒を酌み交わす酒場、悪にその特別な力を狙われる姫、圧倒的な数と武力で敵軍が攻め入るシーン、空を飛ぶ船など、美味なおかずを詰め合わせているが、すべてにおいて既視感あり。別世界へ行くと車椅子が不要になり剣術の達人になるというキャラ変は、この現実を生きる若者にとって果たして希望になるのだろうか。
ミュージシャンでもある古舘佑太郎が演じる、音楽への愛憎を抱え、夢を諦めようともがき、葛藤を歌で吐き出すシンガーソングライター役はもちろん説得力がある。しかし、彼がラストライブを行う1日を描くにあたり、渋谷と下北沢を何度も不自然に行き来する動線とシンクロするかのように、主人公の感情の動線もジグザグカクカクして追いきれず。初めて出会った者たちが一緒に音を鳴らし、音楽が生まれる瞬間を収めたシーンの多幸感が、主人公と映画にとっての救いに。
まだ何者でもない高校生たちの、本人たちには整理できていない感情がスクリーンを埋め尽くし、圧倒する。即興芝居が若手女優らの本物の感情を引き出したのか、特に演劇部員たちが言い争うシーンは、封印していた記憶が蘇るほど生々しい。唯一の男性部員の影の薄さが、女同士がギリギリの冷静さを保つために機能しているという意味でも非常にリアル。西山小雨の歌が彼女たちと観客を癒やし、映画を締める。時折カメラの焦点がぼけていたのが惜しい。気が散ってしまった。
“誘拐、裏切り、復讐、予測不能の騙し合いバトルロワイヤル!”が謳い文句のネタバレ厳禁映画。「ここで観たことは友達に話さないで」とエンドロールに字幕を入れたのは、64年前の「悪魔のような女」(55)。その52年前に“映画は構成である”ことを高らかに宣言した「大列車強盗」(1903)。それらを継承してこの映画があると思えてくる。図らずもそれをラストカットが物語っている。もちろん映画は、構成がよければすべて良しという訳ではない。“仏作って魂入れず”の感。
日本アニメの得意分野となった感のあるパラレルワールド話。今現在の日本そのものの一ノ国と西洋古代のような魔法の世界の二ノ国で、それぞれの人物の命が繋がっている。車椅子のユウと親友のハルは、二ノ国に飛び、幼馴染のコトナを探す冒険を始める。ストーリーはよく出来ている。友情、裏切り、愛、恋、葛藤、勇気、闘い等々、映画にほしいアイテムがあますことなく詰め込まれている。が、今一つ心打たれないのは何故なのか。出来過ぎて、作為が目立つ結果となった気がする。
若きミュージシャンとシングルマザーの作曲家。そして彼らを取り巻く心優しき人々。猫に関する言い回しが思い浮かぶ。「借りて来た猫」のように良い子ぶり、「猫を被っている」みたいに大人しい。そのつもりは毛頭ないだろうが、出て来る人びとが、みなそう見えてしまうのは何故なんだろう。心優しい言葉も心無い罵倒でさえも、どこか借り物の匂い。今の若者には絶望的な閉塞感しかない。それを吹き飛ばすような映画であってほしいのに、却って閉塞感に囚われてしまう。
服飾デザイナーを目指す女子高生が、演劇部の舞台衣裳スタッフとして入部。公演へ向けて、一心に衣裳を作って行くが……。脚本のクレジットがどこにもなく、「?」と思ったら、全篇即興劇という趣向らしい。が、仕掛けはある。ウクレレを弾く少女だが、その正体は後でネタバレされるまでもなく、すぐに客は見破るだろう。南沙良や原菜乃華等俳優たちの良さは即興劇ならではとは思うし、西山小雨の歌もいい。が、脚本に基づいた身に迫る“本当のような嘘”が見たかったと思った。
「カメ止め」の監督の新作、ということだが、そう思ってみると確かに構造的に「カメ止め」に似ている。物見高い観客への批判として悪意あるメタ映画でもある。ただ、登場人物たちを二重三重にしたせいなのか、監督が三人いるせいなのか、どうも切れが悪い。話自体は難しいわけでもないのだから、もっとスピード感あっても良かったのではないか。編集の問題なのかとも思うが。このキャラで色仕掛けと行動がえげつないのは、「カメ止め」と違って後味悪いし信憑性にも欠ける。
異世界転生ものは流行だが、多くが異世界に行ったきりであるのに対し、こちらは異世界と現実を行き来しており、その関係が並行的なのか、対立的なのかが後々問題になってくる点が異色で興味深い。とはいえ、異世界の意義がいまいち分からない。監督出自のジブリならば、異世界を構築するにあたって常に現実の日本という環境が念頭にあり、ゆえにファンタジー世界が現実の問い直しにつながっていたが、ここにはその問いがない。原作がゲームだから異世界の存在は自明、でいいのか。
自分をアイムクレイジーって言っちゃう青臭いロック・ミュージシャンが色々な人との出会いを経て大人になりましたという成長物語として、これでもそれなりに感動する人はいるのかもしれない。しかし全体に作りが粗すぎる。ベタ過ぎる物語が、渋谷でのゲリラ撮影、手持ちカメラのブレの疑似リアリズムで糊塗できるものでもない。とりわけ出てくる窓やライトが全部滲んでいて、意図的なのかもしれないが、露出どうなってるんだと苛々する。在るものをそのまま映せばリアルか。
自分の限界を見るのが怖くて前に進めない少女、周囲を犠牲にしても前に進む少女に、二人の属する演劇部、見守る謎のウクレレ少女。心の揺れ動きやすれ違いが、即興で演じられる。構成が少々甘い、台詞の方向性をもう少し錬成した方が心理がクリアに伝わったのでは、など即興なりの難はあるが、物分かりよく現実を受容する若者が多い中、正面からぶつかり合う少女たちの姿に心を打たれる。気づまりな沈黙や、なじり合いなどが正面から描かれている青春映画が今一体どれだけあるか。