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自覚のない親によって子どもが不幸な目に遭っているという、現実の社会問題を伝える映画は、映画祭に出品される作品を中心に増加傾向にあると感じるが、そのなかにあって際立った存在とは思えなかった。主人公の少女の悲しむ姿をズームで捉える演出や、マリオン・コティヤール演じる親の場違いな振る舞いで結婚式場が凍りつくシーンの悪趣味さは嫌いではないが、親の身勝手な行動をリアルに強調したために、本作に用意された“感動”に懸念を強く覚える内容になってしまっている。
幼年期からの抑圧的な家庭環境へのパーソナルな想いが観念的な映像によって語られていく陰鬱な内容を見続けるには集中力が必要。日本文化が大好きな監督ということだが、黒澤や小津への憧憬なども含め、ネットで繋がれた現代に、過度な神秘性によるスピリチュアルな救いを日本に求め過ぎていないか。日本という土壌が、作中に表れるジェンダーフリー志向と極右の台頭への不安からの逃げ場のような場所にはなり得ないだろうことは、いまの日本に住んでいる者にはよく分かることだ。
人生は一度きり。若い青春時代も一度きり。ティモシー・シャラメが演じる、隅に追いやられるような“陰キャラ”が、ここが人生のピークだと、自分の殻を破り一世一代の行動を繰り返す、痛々しくも前向きな姿は“胸アツ”。そしてハリケーンとともに訪れる、大人への猶予期間の終わり……。「ラスト・ショー」を思い起こさせるような、青春映画ならではの回顧的な描写には、監督の思い入れがたっぷり過ぎて、いまの時代に映画を撮ることの意味を見失っているようにも感じられる。
泉に閉じ込められた魚に重ね合わされた、ジョージアの寒村の因習に縛られる少女。彼女の抱いている脱出願望と、常にあらゆるかたちで顔を見せる“近代化への後ろめたさ”が生じさせる軋轢が、近代文学的対立構造を生み出し、長回しで自然や室内を切り取った映像群をまとめあげている。ここで問題となっているグローバルな先進性とローカルな固有性の間の葛藤というのは、芸術映画における分裂的傾向をも表出させてしまっていて、物語を超えたところで興味深い作品だともいえる。
ニュースで報道されるむごくおぞましい児童の事件。その実態をそのまま映像化したようなこの映画を批評する言葉が見つからないから、リアルとはあえて言うまい。母親にネグレクトされて頼る大人のいない8歳の少女が酒を飲み、庇護してくれるように男性を仕向ける術が身についていく様を見るのはやりきれない。実際に起こっている子供の虐待がそうであるように、劇中にも、大人が救えるチャンスが何度かあるのに……。この世界には、発芽寸前の不幸の種を抱えた大人と子供がいっぱい。
そもそも日本的な情緒は、例えば小泉八雲の『怪談』的な霊性と相性がいい。ドイツ人の監督が描く物語は西洋のゴーストと日本的な幽霊を並び立て、話がちぐはぐに。さりながら樹木希林さんが登場する終盤になって落ち着く。主人公のドイツ人の前に現れる日本人のユウが何者なのかは見てのお楽しみとして、ほんの一年余り前の撮影、それも最後の出演作とわかっていたであろう女優が発する「あなたは生きてるんだから、幸せになんなきゃダメね」。此岸と彼岸の間からの魂の声と聞く。
センシティブな若者役で熱狂的な人気を集めているT・シャラメを大ブレイクする前に発見し、起用したのだから、刺激的な作品を送り出し続ける製作スタジオA24の慧眼はさすが。というわけで俳優と製作姿勢の両面で期待値は高くなる。その分を差し引いたとしても、いささかストーリーが平凡。思うに、シャラメ演じる主人公の恋の相手、マッケイラ役のM・モンローには荷が勝ちすぎていたようだ。気鋭の若手俳優たちの魅力が生かしきれていなくて惜しいが、時代を感じる音楽に★一つ。
映像の美しさに引き込まれた映画の始まりだったが、物語のあまりの深さ・豊かさ・鋭さに圧倒された。トルコと国境を接する村の民間伝承でストーリーを編んだこの映画は、人と自然との交感、あるいは人と信仰や物質文明の関係を描き、人が築いてきた万物との関係が壊れていく現代の世界に警鐘を鳴らす。けれどその鐘の音は清んで控えめ。セリフも説明を排して最小限。なので「絶対の静寂を映像で表現できないものか」と思ったと語る監督の意図を見逃さないようにすべし。集中の至福。
この母親に同情したくはないし、天使だ、愛してる、なんて言葉も次第に白々しく聞こえてくる。不器用なりの愛情すらほぼ示さず母親が子供の前から姿を消す展開は普通なら可哀想で見ていられないのだが、残された8歳の少女のウィスキーをラッパ飲みし小学校でプチ売春をするというハードボイルドさに度肝を抜かれた。級友からのイジメという唐突な外的要因が契機で進む終盤は母娘の物語の締めとしては釈然としないし、トレーラーハウスの男の存在も上手く機能していない様に感じる。
これ多分変な映画なんだろうなーとは思っていたけどやっぱりヘンテコな映画だった。酔いどれドイツおじさんと不思議日本少女のふれあいは何だかヌタ~っとした気持ち悪い空気に包まれているし、ベタな怪談風味や饒舌にすぎる音楽、序盤から微妙にネタが割れている話運びも結構キツい。が、しかし、心挫けそうになっていた(というかもう挫けていた)ころ唐突に登場した樹木希林が一気に映画を引き締める。時間としては僅かな出番だけど彼女の名優、怪優ぶりを改めて思い知らされた。
音楽とナレーションを節操なく貼りまくるペラペラな雰囲気は90年代の軽薄さにマッチしてるけど、出てくるワル達が微妙にシャバ僧感を醸しててあんま怖そうじゃないし、男を狂わす町一番の美女もケバいキャバ嬢みたいだった。「ビューティフル・ボーイ」で薬物中毒者を壮絶に演じたシャラメ君は今回売人側で、まあ、扱ってるブツが大麻ってのがなんかセコい感じしたけど、前半はちゃんと可愛い童貞君に見えたのは良かった。半端者達のしょっぱい青春譚として見れば楽しめるかな。
画の美しさで最後まで観せ切る映画で、多くのカットは宗教画が動いている様な神々しさだし、少女の佇まいはフェルメールの絵みたいだし、水や火や霧や霞の描出は見事だし、ラストでは見たことない奇跡的な画を捉えているのだけれど、普通に生きたいと願う少女が呪縛から逃れようとするという物語や、神話と文明というテーマは睡魔を召喚させる程に薄味で、もうちょっとだけお話を面白くしてもいいのになあと思ったのは、まあ、自分の好みの問題で、とても気高い映画だとは思う。