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冒頭の、遊園地のメリーゴーラウンドの前に傘を持って現れたときの、山𥔎努の顔にドキッとさせられたが、それは、認知症がかなり進んだ段階でのことだとあとでわかる。この辺の病気の進行具合を時間軸で切っているのだが、山𥔎努が、それを肉体的な表現として見せたのはさすがだ。そんな彼に対して、常に変わらぬのが松原智恵子演じる妻、男との関係で変わるのが蒼井優扮する次女と、孫との関係も含め、印象的な場面はあるのだが、時間を明示する以外のやり方はなかったのか、とも思う。
雪深い山村のミッション系の学校に転校して、決まった時間に礼拝する少年の戸惑いから始まるこの映画。何よりも、教室の外の無人の廊下を縦構図で撮ったショット。また、礼拝堂に上がっていく渡り廊下を雪に埋もれた校庭の側から撮ったショット。そして、雪中での二人のサッカーをロングから捉えたショットなど、画面の一つ一つが鮮明に眼を捉える。小さなイエスが何故現れるのかわからない。しかもイエスは何もしない。親友をも助けない。だから、彼は弔辞を読んだときイエスを潰すのだ。
住宅顕信という俳人を知らなかったが、本作に出てくる彼の自由律の俳句は、かなり面白い。彼の、病気とはいえ、あまりにも生き急いだ短い人生を辿るのというのも興味深い。ただ、それだけでは伝記映画になってしまうので、現代との関係性をつけるために、学校でイジメを受けている中学生を配し、彼が顕信の句に親しむなかで、勇気づけられていくという話を作ったというのもよくわかる。ただ、両者をつなぐ教頭の描き方というか、彼と子どもとの関係が、いまひとつ物足りない感じがする。
とにかく、この99歳の母、千江子さんが凄い。ハーモニカも上手なら歌もうまい。耳もよく聞こえるし、何よりも食欲が旺盛。そのうえ、シャツのボタン付けのような針仕事もちゃんとできる。唯一の悩みは、腰が痛むことで、その度に息子にマッサージをしてもらうが、この歳で、それぐらいしか支障がないこと自体が驚きだ。若いときはボウリングもやり、テキスタイル画なども作ったというから、心身共に豊かに生きてきた人だと思う。だから介護といっても、これはほんの入り口の風景。
試写の前日偶然、前頭側頭型認知症という言葉をETVで聞いていたので理解もスムーズにいった。このタイプの認知症はボケない。頭は別な回路でクリアになる。だから障害はコミュニケーションの阻害に現れる。思えばこの映画の登場人物は皆、頭は良いのだがそっち方面に問題あり。長い年月で各自そこを解決していくという手順が楽しい。要するにお父さん山𥔎努は導きの天使みたいなものだ。お母さん松原智恵子の好演も特筆すべき。ずっと下を向いたままで怒る、という場面に爆笑した。
ショッキングな題名だが見て嫌な気がしない。声高なメッセージを前面に出さないからだ。むしろ少年はこれをきっかけに信仰に目覚めるのかもしれないし。神様は「いないと思えばいない」のだ、という仏教徒の祖母の含蓄ある言葉の意味に、少年はこの映画の後で立ち返るわけだな。画面には現れないが、死んだ友へのお祈りを拒否した笹川君の真意とか、献花の件で妙に手回しの良い担任の先生とか、気がかりな細部(もとより答えはない)が数多く見応えあり。ラストの俯瞰も効いている。
夭折の俳人の最後の十数年をたどるというコンセプトで悪くなかったはずなのに、いじめ問題を不用意に入れ込んで台無しにしてしまった。ここまで教師が無能では、社会からいじめがなくなるわけはない。いじめられる子どもにとって、この俳人の存在が救いになったと思えないのだ。それに元々そういう俳句じゃないだろう。悩む少年を最初と最後だけ提示して、中は評伝風に句の成り立ちと俳人の関係を描くぐらいに留めておくべき。義務教育中の子どもをドロップアウトさせてどうするの。
記録映画作家が描く母親の老々介護日記。介護といっても、もうすぐ百歳になる彼女は何と普通に歩く。下の粗相はあるにしてもこの齢なら身体の方は健康体。貯金通帳を家族に奪われたというのは多分被害妄想なのだが、その辺の説明がないのは不満かも。それにしても、耳は遠いが頭ははっきりしていて自分の幻視状況を詳細に息子に報告するのが貴重な症例になっている。意外と星が伸びないのは、もっと息子さんや医療スタッフのことを知りたいと思ってしまうせいだ。惜しいけど良作。
山𥔎努と蒼井優が互角に演技をぶつけ合う姿を観られたので満足だが、良くも悪くも松竹映画か山田組かと思う瞬間もしばしば。若者の側から観た老いや死なので、老人側の視点に立つと違和感を持つのも当然か。竹内がアメリカ暮らしに慣れないといっても、どうかと思うほどぎこちない暮らしをしていたり、妻の松原はもうちょっと注意深く山𥔎を見ておけよと思えるあたりや、メリーゴーラウンドでの見知らぬ幼女の扱いなど、見せ場のための作為性に引っかかるのは監督の前作と同じ。
塩田明彦+園子温的な小学生と宗教の映画だろうと想像していると、どんどん逸脱する。荘重さが欲しいと思う場面は軽く処理され、対立が起こると思うと、軽くいなされてしまう。神様の描写も軽すぎると観ている間は思うが、神仏習合の国の子どもが想像するイエス様はこんな感じだろう。大人が都合よく子どもを動かすのではなく、子どもの目線に寄り添ったからこそこうなったと思えば、納得できなくもない。背伸びせずにこれまでの来し方を集約させた監督の次こそが始まりとなる。
静かな佇まいの学生時代から、やがて僧籍を得て病と共生することになる短い時間を描く中で、純粋さを増していく住宅顕信を演じる木口健太が素晴らしい。余計な夾雑物が削ぎ落とされていくかのような表情の変化が良く、病室の限定された空間の中で情熱をあふれさせる演技のスケールに魅せられる。言葉にまつわる映画を作る困難さに正面から向き合うシンプルな構成が功を奏した分、現代のいじめ問題との二重構造がラスト以外では弱く見える。両者と関わる教頭の無能ぶりが気になる。
親族側からすれば、感じの悪い映画かもしれない。高齢の母への威圧的な発言があったとか、名を挙げて金を持ち去られたと母が言うのをそのまま映しているのだから(事実無根とテロップは出るが)。それだけ二男である作者の優しさと母への愛情が滲んだ作品になっており、声を荒げそうになる出来事が起きても、柔らかく母を包みこんで穏やかな生活を送らせようとする姿が印象深い。戦前に建てられた家に住む母が、不意に見えない人たちと会話を始める場面も寓話的な魅力がある。