パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
「淑女であれ、自立せよ」という母の教えを忠実に守った娘は、学生結婚し、長年連れ添った夫のフェミニズムの理由を「自分に満足しているから、女性の才能に脅威を感じない」と分析する冷静さを具えるとともに、法服の襟に女性らしい趣向を凝らすレディに成長した。時にオペラで心を潤しながら、怒りなどの不毛な感情に流されることなく、着実にステップアップした彼女の人生は、夫との出会い以外も概ね幸運に恵まれていたのだろう。だからこそトランプへの失言(本音?)がチャーミング。
タイトルがまずクールだ。レイト監督は、大学図書館で大胆不敵な強盗事件を起こした四人の大学生を、“アニマルズ”と表現する。スペシャルな人生を熱望し、恐怖の一線を易々と越えてしまった彼らが自滅を辿る中、自分以上に家族の人生を台無しにしたことと(メンバーの一人、チャズの「殺す」という言葉が印象的)、司書を傷つけたことを後悔する姿は新鮮だ。物語と並行して事件を起こした本人たちが登場し、夫々の真実を語る構成も面白く、ちぎり絵のフラミンゴのように味がある。
贅沢な205分の幕開けは、意表をついて、玄関ホールでのカジュアルなトーク企画から。「利己的な遺伝子」で知られるイギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンス博士の「詩」という言葉が、作中じわじわと効いてくる。まさにワイズマンらしい映像詩! 人が学び、集う館内での、実に知的かつ多種多様なシーン(行政に関する会議も含め)が「未来に図書館は必要ない」と言う乱暴な意見を一蹴する。中でも歴史ある黒人文化研究図書館は、図書館を活性化させる存在として印象的だ。
毒入りスープで淡々と強面の男どもを殺し、剣ナタで躊躇なくボスの首を切り落とすヒロイン・マルリナ。友人の妊婦共々、女ゆえに降りかかる数多の試練否悲劇にもめげず、粘り強く生きぬいて、遂に住み慣れた家から旅立つマルリナの物語に、痛快さを感じるというよりはむしろ、一向に晴れないその眼差しの憂いに、沈鬱な心持ちになった。80年生まれの女性監督は、このヒロインのどこに魅力を感じたのか? 釈然としない。首なし男はユニークだが、荒野に置き去りにされる番犬は哀しい。
R・B・ギンズバーグ判事を本作がポップアイコンに仕立てた意図は明らかだろう。このリベラル派ユダヤ人女性が体現するのは、米国が対外的に本来発信したい格好いい米国である。このところリベラルな米国製ドキュメンタリーが盛んに公開される理由は、現実がその真逆だから。憂慮すべき政治状況にノーを言うプロパガンダは必要であり、制作され続けるべきだとは思う。しかし本作のプロパガンダ性が現大統領のふざけたツイッターを真に凌駕し得ているか、そこは一考の余地がある。
ありきたりな人生を払拭したい学生グループが自分探しの延長で強盗に。しかし犯罪ごっこもまたありきたりな物語しか生まず、「特別な人間はいない」とグループのリーダーは自嘲するほかはないのだが、刑期を終えた実際のモデルたちがカメラの前で実録的回想をくり返すことで、映画はかえって調子を崩している。「聖なる鹿殺し」のあの凄い顔を持つ男の子はじめ秀逸なキャスティングに成功し、珍妙な味わいを出せているのだから、愚直に青春犯罪喜劇を追求すべきだったのでは?
ワイズマンが飽かずに試行してきたのは、ぶっきらぼうに編集されたロケーションがもはや映画でなくなる地点にまで達し、社会とか生活とか、より意義深いとされる実相へと登りつめたかに見せかけながら、じつはすべてが映画そのものにほかならないという壮大な霊的実験への参加呼びかけなのである。私たち観客は幽霊となって、人物のスピーチに耳を欹てつつ時にやり過ごし、時に彼らの肩越しに壁や窓外の光に思いを寄せる。この物憂げな快楽を知ったら、もうあとには引けない。
かつて途上国の女性映画といえば社会派ばかり紹介される時代があったが、こんな、タランティーノもしくは石井隆ばりの猟奇サスペンスで名を上げる快作がインドネシアの離島から発信される状況は、映画の発展を如実に物語る。社会派ばかりだった時代にも漸進的意義はあったし、逆に言うと本作のキッチュもまた時代的要請の桎梏に絡めとられてもいるのだ。本作が吐露してやまぬ男根去勢への潜在的欲望はどこへ向かうのか。時代は一刻も早くタランティーノ的フラットを超克すべきだ。
おお、「ビリーブ」の女優より本物の方が魅力的じゃないか。女性や少数派の人たちの権利を主張。それが頑なではなく、的確で懐深く、しかも温かみがあって。おまけに婦唱夫随の旦那さんがユーモラスで、よきバランスのカップルとなっており。いやもう全米の人気者というのが分かるし、こちらもたちどころにファンに。ただ映画の作りとしてはちといいとこ取りの感。裁判での負け戦とか敵対者の反論も盛り込んでほしく。そんなマイナスの影があれば、いっそう彼女の輝きが増したのでは。
大学生四人組が美術館の貴重な画集を強奪。そのどシロートぶりにハラハラどきどき。計画と実行のあまりのズレ加減に、見てるこちらは手に汗、というより失笑苦笑の連続。そのおかし味を映画は狙って。加えて劇中にモデルとなった実際の犯人たちも登場。あの時はこうだったとコメントする。この虚々実々のスタイルに、作り手の野心を感じ。だけど高見から登場人物たちを見降ろしすぎの気も。だから連中がどうなろうとカンケーねえやとなって。ま、そんな無責任な面白さはあるけれど。
相変わらずのワイズマン。堂々の205分。あわてず騒がずじっくりと、ニューヨーク市中の図書館と人間を撮りまくる。こちらもノンビリ眺めたものの、ちょっぴり退屈の虫が。前作「ジャクソン・ハイツ」には面白い人々が登場。何より街そのものの息遣いが感じられた。今回、出演の人たちは知的で学術的で。むろん描いてる内容には納得も共感もできるのだが、どうも胸の奥まで響かないもどかしさが。ちと常識の枠内に収まった気がして。にしても、もう少し観客の生理にもご配慮を。
抑圧された女性の抵抗をマカロニ・ウェスタンスタイルで描いて。シネスコの横長画面を効果的に見せた構図がカッコよく。寡黙なヒロインもどこかイーストウッド風。だけど見ていくとインドネシア、その土色の肌が感じられて。夫のミイラ死体、首なし男の幻影、民族音楽の歌声。広々とした映像を積み重ねていながら、ここには西部劇の解放感がない。展開もぐずぐずしていてもどかしい。男性優位社会の下で生きることの息苦しさ。それを活劇として描いて、なおも爆発しきれなかった鬱屈が。