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少年の母を演じたニコール・キッドマンが格好いい。美しいレースをふんだんにあしらった、牧師の夫に従順な妻風の装いから一転、ショッキングピンクのジャージー姿で息子を救い出してからは、ヒョウ柄のジャケットなどショートヘアによく似合う洋服で、教会に行くのもすっぱりやめて自由な女に。車の窓から手を出す息子をたしなめる母とのエピソードも、母子の関係の変化をさわやかに印象づけている。実話ベースのテーマの重さを考慮してもなお、父子の葛藤には既視感が残るが。
聖人ラザロと、小作制度が廃止されたことを農民に知らせず、作物を搾取し続けた侯爵夫人(80年代にイタリアで実際にあった詐欺事件がモチーフ)、侯爵家のダメ息子タンクレディ、詐欺集団の一味となった、村人のアントニアやピッポらを対峙させることで、俗なるものの汚れが払い落とされて、愛おしさに変わっていくという不思議な感覚に。侯爵夫人の城や、詐欺集団のアジトなど、登場人物たちの家々も趣があり、魅力的。「シルク」(07)のエミータ・フリガートが、美術を担当している。
映画を“主戦場”に選んだミキ・デザキ監督のアイデアは素晴らしい。スクリーンと向き合う私たちが戦場に立つ覚悟で本作を観れば、慰安婦問題が一筋縄に解決しない理由がよくわかる。同時に今の社会には、自称歴史学者同様、自称政治家や自称ジャーナリストの多いことよ! 彼らの物言いに、他者を知る努力を放棄し、自分の思ったことをそのまま、一方的に主張する行為は暴力であると思い知る。軽薄な言葉を乱用する社会に、私たちは生きている。自戒を込めて、無知もまた暴力である。
主演のシェン・トンがトム・クルーズばりに大活躍。駐車場で繰り広げる、ツバメの如き軽やかなアクション(主人公チャン・チーの妄想内で、というオチまでつく!)や、5年ぶりにカムバックしたサーキットで、神話の馬“ペガサス”のように、ぶっちぎりのカーアクションを披露する。ちょっと冴えない、でも愛嬌のある主人公が、憎めないどころか、5年前に出場停止になった理由も含めて、どんどん格好よくなっていくところも爽快。中国で大ヒットしたお正月映画と聞いて大いに納得した。
LGBTQへの理解が進む米国で本作が製作されたこと自体がショッキングだ。大学生の主人公を「少年」とする邦題に首を傾げるが、確かにこの大学生はあまりにも両親の庇護下にある。同性愛矯正キャンプの高圧的な指導教官を監督本人が演じたことは重要だ。この教官みたいな人物像、どこかで見たことがある、と記憶を弄るとすぐに思い出した。木下惠介監督「女の園」(54)で名門女子大の舎監を演じた高峰三枝子だ。両者とも、自己抑圧を他者にもお裾分けしたくて仕方がない連中だ。
イタリアの無知蒙昧な村落共同体をメルヘンとして提示した点は今冬公開のA・ナデリ「山〈モンテ〉」と似ているが、本作はもっと軽やかに自由闊達に流離する。昨年カンヌの脚本賞受賞作だが、脚本だけで本作の魅力を語りきれまい。往年のE・オルミを思い出さずにはいられぬ、無常観を宿しつつも泰然自若とした構えを見るに、ドイツの父方姓ローアヴァッハーがイタリア風に転じてロルヴァケルと発音されるこの若き女性監督が、並の才能の持ち主でないことは明らかである。
日本国内の言論はすっかり萎縮状況が固定してしまっており、従軍慰安婦問題を正面から取り上げる作品が国内から登場するとは思えない。その意味で本作は昨夏に公開されたフランス資本の「国家主義の誘惑」と似たような位置づけだ。両作に共通するのは、欧米主導による日本問題の顕在化戦術であり、「外圧」ゆえに余計な忖度がなく、言わば帰国子女の転校生のような豪気さが画面に充満する。また、当事者(元慰安婦)そっちのけでコメントをカットバックする逆説的手法も興味深い。
資格停止ペナルティを科されたカーレーサーの復帰願望を描いたこの中国映画には、女性の影も形も存在しない。ひたすら“男の子の夢”にのみ奉仕する反時代性。愛する息子のDNA鑑定も血縁なしの判定で、ここでも非生殖的な桃源郷が追求される徹底ぶり。思えば約一五〇〇年前、この中国で桃源郷の概念が発明された時も女性性は忌避され、ホモソーシャルな逸民の光栄ある孤立が称揚されていた。本作はスピード崇拝の果てにその桃源郷に回帰し、依然として世界は半分のままだ。
同性愛を矯正治療する施設に収容された若者たちの話。いやもう切ない。こうなるとキリスト教も暴力で。流れとしては「カッコーの巣の上で」などの病棟束縛抵抗映画。こういう題材を取り上げたことは眼を惹くが、意外と中身はオーソドックス。ただ少年たちの演技がナイーブなので、ちょいと胸を突かれた。脚本・監督は「ザ・ギフト」が良かったJ・エドガートン。今回も才気というほどではないが堅実の出来栄え。出演作も含め、近頃、彼が関わる映画にマズいものなしのようで。次作も期待。
ラザロは無垢な存在。何も主張しない。優しくされたら、献身で応える。これはそんなラザロの受難の映画で。裁かれるのは彼に関わる人間たちだ。前半が中世の如き農園。その領主と小作民の生活ぶりが、現代なおも続いていたというところが面白い。この舞台が後半、都会となっての、そのコントラストが意外に生きていない。再生したラザロと元農夫たち、それに(前半魅力の)若旦那が上手く絡まなくて。着想や設定はユニーク。だけど、それがふくらんでいかないじれったさが。残念。
いま、これを描かねばという想いに溢れて。慰安婦問題。日韓の主張が食い違い、評者たちの言い分も相反する。ネットも含め、そのほとんどが感情的なやりとりで。だからこそ、このドキュメントは重い。あらゆる人たちの発言に耳を傾け、その反対意見の論者に語らせる。歴史資料でロジカルに。監督は在米の日系2世。それゆえか視点が客観的。決して情に溺れない。あくまでも理性で問題を捉えていく。だから本質を突いて鋭い。元慰安婦たちは変わらず被害者であるという指摘が沁みて。
事件に巻き込まれて引退を余儀なくされた中年レーサーがカムバック。捨て子を育てての人情ネタやら、若き相棒と組んでの資金集めのお笑いやら、盛りだくさんの内容。日本アニメに影響されたような脱力ギャグ、MTVスタイルの音楽処理、米映画的フラッシュ・カットつなぎ。もうもう観客の眼と心を一瞬でも離してたまるかの奉仕精神に溢れ。笑いがスリルに転じ、遂には感動へと至る。その計算が、余りにもせわしない展開で思ったような効果を挙げていない気が。時には深呼吸もしてほしく。