パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
転倒した車のなかでさかさまになった妻は破水、そのとき生まれた娘を十四年後に〈狂気のパワー〉と記した愛車マスタングの助手席に乗せ、ホンダに乗る宿敵相手にカーレースに挑む男のはなし。離婚した妻は再婚、自分にも愛人がおり、その他周囲の関係者がみなレースに加わるから賑やかだ。警察もこの公道レースを阻止しようとやっきになる。すべては一種のどかなノルウェーの風景のなかで人間味豊かに展開するのでユーモアがあり、なごやかな気分になる。なかなかの見ものだ。
香港で原子力発電所と株価に異変が起き、アメリカで服役中の天才ハッカーを出獄させ、国際的ネット犯罪を追うチームに参加させる。香港の繁華街やマカオの狭い路地での銃撃戦は迫力がある。舞台はマレーシアからジャカルタの祭礼場面へと移るが、ネット犯罪追求がなま身の肉体の衝突で終るのがいい。国際刑事警察機械(インターポール)は、ついにサイバー犯罪捜査総局IGCI(本部はシンガポール)を4月13日に設置したと新聞で読んだ。この映画は最新の世界状況に迫った力作だ。
ひとつのアイデアを発展させたSF映画で、出だしはうまい。見ながら私は、これはアメリカ政府が極秘に進める(例えばキャプテン・アメリカみたいな)超人兵器創造作戦なのかと思ったが、そうでもなさそうだ。すると侵略テーマということになるが、それにしてはちょっともの足りなく感じるのは低予算映画の限界なのか。オハイオ州の原野風景のなかに異空間を拡げるデジタル特撮など、視覚的に楽しい場面もあるが、もうひと工夫ほしかった。基本のアイデアは悪くないのだけれども。
人気キャラクターのスポンジ・ボブ(つまり海綿坊や)が海からとびだし(この種映画でおなじみの)ある秘密をめぐって追いつ追われつの大騒動を陸上でくりひろげる。実写合成ではアントニオ・バンデラス演じる海賊が、船を自動操作(auto pilot)ならぬ自動海賊(auto pirate)方式でボブを追いかけるというアメリカ人が好きな風船ガムみたいなカラフルなアニメ。つまり、めまぐるしくテンポが早く、出来事はどんどんふくらみ破裂をくり返し、ひたすら進んでいくのがこの種映画の特徴。
これはなかなかの拾い物。スピード狂カーアクションのようでいて、さすがはノルウェー産、全体の味わいはユーモラスな人間ドラマといった感じ。違法の長距離レースに挑む者たちの姿をシンプルに描いていくが、主人公は思春期の実娘を同乗させるハメになってしまうなど、ハプニング続出。つまり、スピードと闘志だけでは押し切れない勝負というのがここでは面白いところ。強引な一人勝ちを疑う、まるで長い人生を見つめるような視点がユニーク。レース描写の切れもよく見応えあり。
サイバー攻撃、天才ハッカーというひどく最先端なモチーフを扱いながら、観終わってみれば、挽歌の匂いと凄みに心ざわめいていた。マイケル・マンの真骨頂は、やはりクライマックスの、インドネシアの美しい祭りを背にした対決シーンではないか。ハードボイルドな殺しを、こんなにリリカルに描ける監督もいずれいなくなるのだろう。クリス・ヘムズワースの繊細な野性味、守護天使のようなタン・ウェイのかわいさもグッとくる相性。携帯のマナーモードの音が不吉でカッコよかった。
鳴物入りの新人監督のようだが、私には良さがまったくわからなかった。謎のハッカーの正体を追う大学生たちが、何者かに襲撃され、気がつくと施設に監禁されている。という中盤までの展開はただ思わせぶりなだけだし、後半、真相が解き明かされるのかと思いきや、中途半端で何をしたいのかわからない。イメージとしてはデイヴィッド・リンチ?やろうとしてるレベルが高すぎるのかな。映像表現は秀でているのかもしれないが、まずもっと大事にすべきことがあるような気がする。
TVで子どもたちに大人気の、ゆるキャラ、アニメシリーズの映画化。絶妙なおバカぶりとハートフルなメッセージが、最後までノリノリのアニメ&CG実写の中で炸裂する。スポンジ・ボブが働くバーガーショップの秘密のレシピが盗まれたことで町は大騒動に。いつしかアントニオ・バンデラス(実写です)と対面するに至った後も、畳みかける展開。濃い! ナンセンスな笑いには胸躍るものあって、特に、タイムトリップのへんてこ感が最高。少し疲れるが、大人も十分に楽しめるはず。
冒頭にあらわれるのはハル・ニーダムへのまさかの献辞。「テレクラキャノンボール」以外にも、あのアメリカ=香港の合作アホ映画の魂を受けつぐフィルムがあった! まさにスカンジナビア縦断「キャノンボール」。ジャッキー・チェンが「日本人」役で出てこないか楽しみにしていたが、もちろん出てこないしそもそも笑いの要素がほとんどない。中年を過ぎた男たちの哀愁・友愛・家族愛にすべて回収されていってしまうのがさみしい。田園を一本道が突っ切る北欧の風景が目にやさしい。
銃口から発射される弾丸は、一瞬のうちに距離を踏破し、着弾した者の皮膚や臓器をつらぬき絶命させる。倒れこむそのすがたを例外なく収めるマイケル・マンの映画は、この峻厳な事実のたしかな堆積で成り立っているかのようだ。ワンクリックで巨額を動かす速度の犯罪を前にして、地図を駆け抜け身体ひとつで追い抜いてゆくクリス・ヘムズワースの、その呼吸の音がよく聞こえている。銃火器のディテール、そして中盤の仮借ない展開に、マンは容赦をしない監督だとあらためて知らされる。
監督のウィリアム・ユーバンクは82年生れというから、評者と同い年である。だから世代的にどんなものを見てきたかなんとなくわかる気がするのだが、これは完全に90年代末の「キューブ」や「es」なんかのホワイトスリラー(造語です)のセンス。絶妙に古い。そこにシャマランやノーランをスパイス。新しいのではない、なつかしいのだ。終盤の突き抜けたアホさが唯一おもしろいんだけど、本気っぽくてちょっと引いた。ニューバランスのスニーカーの壮大なCMのようにも見えて。
アニメはいちばん苦手な領域で、ついにまわってきたかと気後れしつつも、映画はすこぶる軽快。後半のCGと実写の合成もよくできており、この底抜けのノーテンキさは、昏迷をきわめる世界の唯一の救いのようにも信じられてくる。ちょっと書きすぎた気もするが、サイレント時代のキートンやロイドらのナンセンスが、たとえばこうした作品になかば無意識的に引き継がれているようにも思えた。近年のアントニオ・バンデラスは、自分でもキャラがよくわからなくなっているようで心配だ。