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自分はなんのために生きているのか、生きる価値があるのか と思いつつ日々を生きている人びとすべてに向けたブラックユーモアの秀作。つまり、暗闇で映画を見続けることを人生の一部にしている人への問いかけでもある。かつてのスーパーヒーロー映画のスターがブロードウェイの舞台で再出発を図るその劇場の端から向いのマジェスティック劇場を娘と見ながら話す場面が印象的。すぐそこから空に飛ぶか死ぬか出来そうではないか。幻想と現実の境界なんてあるのかしら。撮影がすごい。
パトリシア・ハイスミスによる一九六四年の原作ミステリーを私は読んでいないので、なぜこの映画の設定を六〇年代にしたのか、初めわからなかった。この映画で警察に追われる三人は、ケータイなどがある現在だったらあっという間につかまってしまうだろう。つまり、ここにはギリシアの観光地の風景のなかで、いまでは許されない人間関係と心理のもどかしさが、じっくりと描かれることになったのだ。犯罪も観光も、いまではこんなにゆっくりしていられないのではないか。それを実感。
「音楽は色だ。聴き手がSFみたいに自分で色をつければいい」とジミ・ヘンドリックスが語るこの映画に、アーサー・C・クラークのSF『都市と星』の本が出てくるのは、スピルバーグの短篇映画「アンブリン」以来のことではないか。イギリス映画「怪獣ゴルゴ」の場面も一瞬映される。スターチャイルドに魅せられるSF好きの不世出のギタリストの短い生涯を、その女性関係や、ロンドンで警官に意地悪される場面などを通して切実に示す。主演のアンドレ・ベンジャミンなど好演。
自動車が空から降ってくる というのはかつてのSFアニメ「ヘビー・メタル」以来のような気がしたが、こちらは実写アクション活劇のシリーズで、今度は空中戦だ。つまり、航空機から自動車を何台も、地上の山道を走る自動車群に向けて降下させたり、アラブの国の超々高層ビルのあいだを車が走り抜けたり、ロサンジェルスでは降下するヘリコプターに自動車がぶつかっていったりするという次第で、ストーリーはあまり気にしないで男まえの女性たちや男たちの活躍をただ見ていればいい。
セットではなく現実の劇場内部でこれをやったことに驚嘆。題材が演劇であることとおそらく関係しているのだろう(舞台にも人生にもカット割りはないのだから)。T・マリック作品のとき以上にルベツキのキャメラはくるくるし、パンのあいだに時空間は飛躍する(アンゲロプロスが大胆に行なっていた演劇的抽象)。なのに観終わったとき映画的興奮は思い出せず、文字どおり振り回されただけのように思えて虚しくなるのはこちらの問題か。A・サンチェスのドラム・スコアが超クール。
殺人事件の共犯にされてしまう若者を主人公とした、典型的な「巻きこまれ」型サスペンスかと思いきや、「巻きこまれ」ているのは全員がそうなのであり、なかでも最も印象に残るのは、三角関係に巻きこまれた中年男の嫉妬と煩悶だったりする。後半そこそこ面白くなってはいくが、(疑似)父子の確執の主題はもっと打ち出してよかったと思うし、ロケ地の魅力が画面にもっと欲しいし、ヒッチコック的なケレンもやっぱり必要。せっかくスコアをバーナード・ハーマン風にしたのだから。
モンタレーでギターを燃やすより前のジミ・ヘンドリックスの物語。当時の音楽シーンの雰囲気や、ファッションや小道具が再現されているだけでなく、映像と音声が細かくジャンプする編集も60年代っぽいかっこよさ。その一方、ここぞというところでは悠然と長回しで撮ってみたり、意図的に無音の場面を設けたりで、登場人物たちの「攻め」の姿勢を、映画自体が模倣しようとしているかのよう。紙が貼られた窓の前でジミとガールフレンドが口論するシーンの、大胆な撮り方に目を見張る。
なんでこの人はこんな行動をするのかというツッコミどころだらけだけれど、アクションシーンは軒並み面白く、当たり前だが車が走り出すとバカみたいに面白くなる。まず中盤の山中のシーンで、よくこんな危険な撮影ができたなと目を剝くのだが、1分ごとにエスカレートしていくクライマックスにはもう呆然。「ヤバいやつが来た」感むんむんのJ・ステイサム、無双感ハンパないD・ジョンソンに興奮。トニー・ジャーもアクションを見せる。そしてもちろんP・ウォーカーをお見逃しなく。
幻覚や幻聴まで生じるほどの重い蓄膿症を患った汚ッサンが、いっそのこと鼻をもぎ取ってみたらスッキリした。たとえるならば、そんな話。「で?」と言いたくなる話を、豪華な配役、雰囲気ある映像という〝ハッタリ〟でくるんで繰り出すイニャリトゥ監督だが、本作はその真骨頂。だが、そのハッタリが彼の魅力だから仕方ない。E・ノートンとM・キートンの拮抗はもはや怪獣映画だし、タイムズスクエアの雑踏でのカメラぐるぐるの酩酊感も凄まじい。でも、観終わると「で?」である。
ペテン師とその妻、たかり屋というチンケで狡い男女3人の逃避行と痴情のもつれ。『週刊新潮』の『黒い報告書』みたいな内容だが、1960年代初頭というノスタルジー、ギリシャとイスタンブールというエキゾチシズム、ヴィゴ・モーテンセンがまとう麻のスーツというラグジュアリー感が、その下世話を打ち消す。そして、よるべなき者たちの彷徨、父性に取り憑かれた者たちの対峙なんてテーマまでグワ~ッと滲み出してくる。映画にはムードってのが大事なのだと改めて教わった。
ジミヘンの2大エポックであるモンタレー、ウッドストックは、しっかり映像で記録されている。だが、渡英期というエポックはドキュメントされていない。それをわかっているのだろう、ドラマ仕立てにはせずに当時の完全再現を目指している。ビジュアルも、そのまま先の2本を観続けてもまったく違和感のない、スモーキーで飴色の色調になっていて感心の感激。有名な落書き〝クラプトン・イズ・ゴッド〟を筆頭に、あの頃のロンドン音楽シーンのあれこれが登場してくるのにも感涙。
「5」からのD・ジョンソン投入が証明するように、ハゲを増すごとに面白さも増す、映画史的にも極めて稀なジンクスを持つシリーズである。J・ステイサムの後頭部アップがドンと映し出される冒頭で、本作がただならぬ代物だと直感。案の定、そうなった。陸も空も重力も引力も男も女も関係ない、破格のパワーがぶつかって渦を巻くアクションに呆けるのみ。もうひとりの悪役D・フンスーまでハゲという念の入り具合も◎。M・ロドリゲスもハゲ頭にしそうな勢いだったが、それはなかった。