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中盤あたりから、主役を演じている平祐奈と大友花恋、そしてソフトテニスをアピールするための作品であることがあまりに明らさまに見えてくるのが残念だ。結果、この3者の長めのプロモーション映画という印象が。自然の風景をたっぷり取り込んだ映像は美しいし、主役2人もいい感じ(アピールの効果?)であるだけに、手の内が見えてくると興醒め。2人が場面が変わるたびに衣裳替えしているのもアイドル売り出し作戦めく。ラストのさだまさしの楽曲も2人のPRソングふう。
企画は面白い。新選組+メリケン・ゾンビ+坂本龍馬の3点盛り。とにかくゾンビ・キャラは、一度登場させさえすれば何度でも使い回しが利くし。けれども本作、ゾンビの使い回しは最少限な上、話が中途半端にマジメで。いつくかあるコントもどきのおふざけもショボすぎ。人物や場面が限られているのは予算の関係だろうが、それを逆手にとって3点盛りを引っかき回してほしかった。ここでの龍馬はゾンビの通訳ふうだが、いっそ龍馬もゾンビに。龍馬役兼任の渡辺監督、もっと遊びを。
「前篇」を観ていなくても校内裁判の過程でそれなりに〝事件〟のポイントが分かるように作られている。と書くと、だったらわざわざ2部作にしなくとも、ということになるが、墜落死した少年を巡る無責任な波紋の広がりに堪りかねたからこそ、中学生たちは裁判に持ち込んだわけで、「後篇」だけではやはり理詰めで味けない。ただ残念なのは死んだ少年の背景に一切触れていないこと。いじめっ子少年の家族についてはクドいほど描いているのに。とはいえ上々のリーガル・サスペンスである。
郷に入っては郷に従え、ということわざがあるが、ここに登場する日本人たちは、さしずめ〝郷に入って郷を従わせ〟た人たちである。寿司をメインにした和食の仕掛け人たち。取材されている人たちは、和食をビジネスとして成功させた人たちがほとんどで、米国で半世紀も前から地道に寿司の普及に励んでいたという貿易会社の会長さんの話など、ちょっと頭が下がる。その一方、ルーツは寿司でもびっくりするようなSUSHIもあり、食文化も〝郷〟とビジネス次第、従いつつ変身する。
本作を観てあらためて俳優は体が動かせることが必要条件なのだと感じた。出来る役者は「動けなさ」「動ける」どちらも演じることが可能だが出来なければ出来ないだけだ。結構たくさんソフトテニスシーンがある旧ほっしゃん。こと星田英利と、主人公の姉役の関めぐみ、辣腕コーチの気配を一瞬見せる柳葉敏郎の動きのキレに感心。ヒロインふたりも同様。ソフトテニス振興と地方振興二題噺みたいな映画だが、スポーツ一辺倒映画より出演者のフィジカルレベルが高く、健康的で爽やか。
不満だ。面白さ不足が作り手の、映画とはこれほど面白いもの、という認識の不足なら残念だ。ゾンビ、で何かが保証されたと油断せずタカもくくらず、さらには投げずに頑張った映画こそゾンビ映画の傑作。「エル・ゾンビ」諸作や「ナチス・ゾンビ」「殺戮謝肉祭」「悪魔の墓場」「ビヨンド」等は手を尽くしている。本作はまだまだ。ただ一本の「サンゲリア」に迫る映画があればいい。それで画期になる。機会はあったがここでは過ぎ去った。副題、ゾンビ時代劇、の語感と字体は良かった。
決してダメではないのにしかし、あちゃーこれは違う、と激しく思った。もともと法的な効力はなく、情と倫理の落とし所を求めて行われた疑似法廷の裁判、しかし君たち、頭下げすぎだ! 観る者が裁判劇に期待する論理の応酬という要素がすごく後退してる。……そもそもこちらの観る角度が間違っているのか。日本人の心性に裁判がとことん合わないということを喝破する、一種の日本人論映画と解した。「謝罪の王様」という映画と並べ観るといい。いや、面白くなくはなかったのですが……。
日本文化を評した吉本隆明の一節に「たえず優位な文化から岸辺を洗われてきた辺境の島国」「わが国では、文化的な影響をうけるという意味は、取捨選択の問題ではなく、嵐に吹きまくられて正体を見失うということ」とあり、その「嵐」ごとに飛躍するが主体性はなし、というような言が続く。私はこれを割に真実だと思うが、現在この手の認識を嫌う愛国趣味も多い。サブカルで日本を誇りたいとか。だが本作はこれらすべての裏、別の可能性を開示する。誠にクールジャパン。勉強になった。
のどかな田舎暮らしと若い女優を美しい映像で眺める分には心地良いが、土の匂いはまるでしない。コート作り・練習・試合に至る物語からは汗の匂いも漂ってこない。東京から来たヒロインの顔にわざとらしく付けられた土や不自然なドラム缶風呂が象徴するように、存在するのは幻影の田舎だ。それを自覚して作られているようには思えないのが辛い。肉体の躍動には活用されない無意味なハイスピード撮影や、簡易に可能になった空撮の多用を目にすると便利さは映画を堕落させると痛感。
〈沖田総司はBカップ〉な映画を中学生の頃に観ていた世代としては新選組に男装の女剣士がいる設定だけで喜んでしまう。もう少し彼女を活躍させてほしかったが時代劇+ゾンビをやってのけたゴッタ煮感は支持。低予算で時代劇を撮るなら、これぐらい開き直って猥雑に押し切ってくれた方が清々しい。出オチに近い日村も、監督が龍馬を自演して芝居をリードしてバランスを取っている。渡辺一志と言えば「19」を思い出す者にとっては、同作に主演した川岡大次郎と渡辺の共演が感動的。
〈急〉で押し切った前篇と対照的に、〈緩〉でじっくり見せる後篇。学校内裁判というままごとじみた設定が成立するように蒔かれたジュブナイルの種が芽を出し、藤野涼子が輝きを増していく。この裁判が彼女にとって何の意味があるのかという一点に向けて、彼女の内面と物語の流れが重なりあっていく脚色が見事。この時代ならこんな子どもがいたかも知れないと思わせる意味でも4半世紀前の設定が生きている。前後篇を連続で観たせいか3時間で1本に出来たのでは、と思ってしまったが。
渡米し、和食で一旗揚げた日本人を中心に描いたいかにも海外ドキュメンタリー風な作りだが、米在住11年のすずき監督が撮ることで彼らの心情に寄り添うことができている。劇中の和食のみならず本作の〈海外記録映画の和洋折衷化〉にも注目したい。一流店もトレーラーハウスから小さな店舗を構えるに至った人も均等に見つめ、彼らが現地の人々の口に合うように施した過剰なアレンジは時に驚かされるが揶揄する素振りがない作りが良い。踊るスシ職人と盛り上がる外国人には呆然。